第93話 セシリア・チョロイング
――フフフフフフ。
セシリア・サノールは、心の中でほくそ笑んでいた。表情の上では嫋やかな微笑ではあるが、それは長年の演技の賜物。彼女が心境そのままの表情を浮かべていたなら、おそらく猫科猛獣の威嚇にも似た獰猛な笑みだっただろう。
――出し抜いた。あの、ケイン・クルセドアを!
魔王の代理人からの指名で司令の椅子に座った、ケインとかいう壮年の男。正直、能力的に光るものは感じられない。だが、それは偽装だった。
本人の能力は戦に出ていないので未知数ではあるが、組織運営においては適材適所を心得た配置と、裁量を持たせて人材を育成しながら軍を強化している。規模という点では、魔王という鬼才がいたとしても、帝国に数では到底敵わない。ならば、質で対抗するしかないが、そう都合よく確保できるわけがない。
質とは、基本的に数あって初めて質の概念が産まれる。雑多な大多数より傑物が出てくる以上、数で負けている魔王は帝国には勝てないのが道理。しかし、ケインは巧みな人材の配置と、更に裁量によって伸び代を与えている。リスクはあるが、組織の成長性を考えれば妙手ではある。
司令に就任し、ファリドが到着するまでの一ヶ月。その短期間で結果を出しているケインは、どう考えても魔王の覚えもめでたい。代理人の推薦以上の結果を出しているケインに比べて、キャバリーライダーにすぎないセシリアは戦いにならなければ無用の長物だ。
しかし、歯痒い思いをしていた彼女に救いの手を差し伸べたのも、また魔王の代理人だった。
「セシリア・サノール。あなたには特殊任務を言い渡します」
「特殊任務?」
キャバリーの整備を行っていたセシリアが振り向けば、メイド服を着た魔王の代理人の姿があった。
「ええ。あなたにはカリーリ記念貴族学校に転校してもらいます」
「はあ?」
正直、意味がわからなかった。そもそも学校に行く意味がわからない。いや、そういう学生生活に憧れはあるものの、今の自分には望むべくもない。
「あなたが適任です。既に手配はしています。翌週には寮から通ってもらうことになります」
「そりゃ、年齢的にはそうかもしれませんが……」
十代後半の者など数えるまでもなく、セシリアくらいしかいない。
「その年齢が肝心なのです。他の者では、潜入してもすぐに悟られます。あなたでなければいけないのです」
「あの、ランド殿では駄目なのですか? 彼も私とそう変わらない年頃では……?」
「ランド殿は既に潜入済みですが、彼はこの組織に入る前から通学していたので、既に交友関係が固定されています。それに、彼とは違う視点での調査は必要です」
なるほど。確かに、ランドが不自然に仲の良くないグループへと接触したら、違和感しかない。あの陽キャならいけそうな気もしないでもないが……。
「それでも、代理人のあなたなら……」
「いいですか。学校というシステムは潜入が困難なのです。我々が潜入しようとしても、外見だけで違和感があるでしょう?」
代理人は確かに学生には見えにくいが、それならば女教師の扮装をしたらいいだけではないか、とセシリアは思った。
「これから話す任務は内密に。トップシークレットです」
「拒否権は?」
「ありません」
むべもなかった。
「この写真を御覧なさい」
代理人が取り出したのは、三枚の写真。黒髪の少年。茶髪天パの少年、黒髪の少年とよく似た銀髪の少年。
「これは……イヴァル・アルフォンヌ・ピースメーカー? あとの二人は?」
「最重要人物です。茶髪の少年は、カリーリ記念貴族学校の仮面武闘会で優秀な成績を修めています。あなたもそれは承知していますね。それもそのはず、彼は帝国の試作キャバリーのテストライダーです」
「彼が?」
セシリアも仮面をかぶって参加していた仮面武闘会。外部からの参加も受け付けていた上、魔王の腕前を測ろうと参加し、彼の余りにも凄まじい腕を思い知らされた。その記憶が蘇る。
「現状では、イヴァル・アルフォンヌ・ピースメーカーと並んで、魔王に勝るとも劣らぬキャバリーライダーです。それだけに、捨て置くわけにはいきません」
「魔王と……」
あの魔王と渡り合えるだけの傑物。なるほど、確かに捨て置いておくには危険な人物だ。
「そして、彼はリベル・リヴァイ・バントライン。魔王にとって最も重要な人物です。あなたには、この三名の監視をお願いします」
「え、彼についてはそれだけ? 何が重要なんです?」
「言えません。あなたは普通の学生生活を送りつつ、彼らの動向を注視してください。憧れだったのでしょう? それに、この任務をこなしていればきっと魔王もあなたをお認めになるはずです」
魔王が認めてくれる?
「本当ですか? あの。ケインよりも?」
「ケイン・クルセドアにそこまで対抗意識を燃やす理由はわかりませんが、間違いなく魔王とお近づきにはなれますね。あなたにとっては学生生活と魔王との接近というメリットが存在する任務です。拒否権は認めていませんが、断る理由もないでしょう?」
「……やりまぁす!」
チョロいセシリアはあっさりと、この任務を快諾していた。
「やはり、ケイン・クルセドアを推薦して正解でしたね」
代理人のつぶやきは、舞い上がったセシリアの耳には一切届いていなかった。
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