第36話 お招きください、暫定ヒロインを
普通に遅刻である。だが、エイジの奴は職場の上司から事前に連絡があり、遅刻扱いにはならなかったらしい。贔屓だ。っていうか、
「リベル、リベル」
机に突っ伏している俺の肩を叩いたのはランド。悪友と呼べる間柄だったのだが、先日、俺が魔王その人であると知ってから、おもしろ半分で首を突っ込んできた馬鹿二号である。唯桜とは魔王の臣下同士で連絡を取り合っているようだが、俺はなんにも知らされていない。知りたくもないのだが、俺の知らぬところでとんでもない皮算用を企てていそうで怖い。
「唯桜さんから、エイジには気をつけろと聞いているんだ。俺も影に日向にサポートするから、あいつに魔王と知られるなよ?」
どうしてこうなった……。そもそも無理矢理魔王活動をやらされていなけりゃ、エイジに目をつけられる心配はないのだ。あんなトンデモな強さを持つ主人公サマを相手にしていたら、命がいくつあっても足りやしない。
「…………はあ~」
「なんだよ、盛大なため息なんてついて」
そのため息の原因の一人が何を言うか。俺がどれだけ平穏な日常にあこがれているのか、こいつは全然わかっていないらしい。下手なギャンブルに飛びついて破産しないか心配なレベルだ。
「リベル! 駄目でしょ、遅刻なんてしちゃ!」
オレンジの髪をハーフアップにした美少女がやって来る。エレア・シチジョウ。『銀光の勇者シルヴァリオ・エイジ』で魔王側のヒロインの一人であり、魔王にとって平穏の象徴だったキャラクターだ。なんだかんだで、この貴族学校入学時からの付き合いだ。彼女にとって、俺は放っておけないタイプらしく、色々と世話を焼きたがる。
「唯桜が起こしてくれなかったんだよ」
「え? 唯桜?」
俺と親密になれば、エレアの命が危ない。彼女の死から、リベルは本格的に魔王として銀河帝国に叛逆していくのだ。だからこそ、俺はちょっと心が痛みはするが、エレアを邪険に扱う。
「え? 誰? 唯桜って? まさか……!」
ん? なんかショックを受けているのか、エレアは両手で口を抑えている。なにかおかしいことを言っただろうか?
「リベルリベルリベル~! 誰、唯桜って! もしかして、もしかして――」
まさか、唯桜が
「……彼女だったり⁉」
――⁉
彼女? 唯桜が?
顔を真赤にしているエレアは、どうやら盛大なる勘違いをしているようだ。
「んなわけあるかーっ。メイドだ、メイド!」
自慢じゃないが、俺は前世でも異性とのお付き合いはなかったのだ。今世でも同様。彼女作るのも平穏の一コマには違いないが、その根っこには日常がなければならない。そう、エイジとかいう死神がいる以上、俺にキャッキャウフフな展開など望めようはずがないのだ。
「へ? メイド、さん?」
「そうだよ。俺も会ったことあるけど、すっごい美人でさ。なんかリベルが幼い頃からの付き合いらしいぜ? めちゃくちゃ仲いいもんな」
ランドの馬鹿、余計なことを言うな。またトラブルが起こるだろうが!
「美人……。仲がいい……」
あの、エレアさん。うつむいたから顔が前髪に隠れて、非常に怖いんですが……。
「ダメダメダメダメ~! リベル、駄目なんだからね!」
「な、なにが……?」
りんごもびっくりな頬に手を当て、いやんいやんといった素振りで身体を揺らすエレア。この娘、妄想癖でもあるのだろうか。
「メイドさんとそそそそそそんなことするなんて! 絶対に! 駄目ェーーー!」
そんなこと……。はっ。そういうことか!
「なななななにを勘違いしているんですかね! 確かに唯桜は昔からの付き合いだけど、そんな恋愛的な関係もなけりゃ、いやらしい関係でもない!」
確かに唯桜が美人であることは認めるが、そんな感情になったことはない。もはや家族みたいなもんだ。
「そうなの?」
「そうなの!」
そもそも、なんでエレアが俺の女性遍歴を気にする必要があるのだ。本来のリベル・リヴァイ・バントラインならいざ知らず、転生してきた俺に彼女が惚れた腫れたなどなるわけがない。そう、エレア・シチジョウがリベルに恋をしたのは『銀光の勇者シルヴァリオ・エイジ』を見た者なら誰もが知る事実であるが、そのきっかけはリベルがファベーラから出てきたチンピラに絡まれていたところを助けた事件だ。だが、その事件そのものが発生していない今、彼女が俺を好きになる理由がない。
「……行く」
「え?」
「本当にただのメイドさんなのか、帰りに確かめる!」
な、なんですとお~! 唯桜の奴、なんか怪しげな物品を搬入していたこともあり、そこから俺が魔王をやらされていることがバレる可能性がある。エレアにバレる=エイジが知る=ジ・エンド。背中を滝のような汗が流れる。心臓破りの坂を駆け登っている時ですら、ここまで滂沱とした発汗はなかった。
「嫌です。勘弁してくれください!」
「絶対に行くんだから!」
「いや……弓道部はどうすんだよ?」
エレアは部活に入っている。しかも、結構真面目に活動している模範生徒だ。部活を盾にすれば――
「休みます!」
なんでだよォォォォォォォッ! 嫌だって言ってるだろ! このままでは、平穏な日常どころか、処刑台へ直行コースだよ?
「――唯桜さんには連絡しておく。このままじゃ梃子でも動かないぞ」
耳打ちしてくるランド。そうか、俺が連絡したら不自然だが、ランドだったらノーマーク。わけのわからん誤解も解けるし、放課後にエレアを屋敷に連れて帰るだけで執拗な追跡を躱せるのなら、安いものかもしれない。なにより、エイジがしゃしゃり出てきたら、その時点で第二の人生終わりである。あいつが顔を見せていない内に話をまとめる方がいいかもしれない。
「わかったわかった。じゃあ、今日の帰りに真偽を確かめてもらおうじゃないか」
こうして、誠に遺憾ながら、エレアを屋敷に連れて行くことになったのだ。ちなみに、汗のせいでシャツが背中に張り付いて、異様に気持ち悪い。ついでに、胃も痛い。誰か、本当の俺の味方になってくれないか……。
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