第34話 奇跡の代償
「これは――」
ファーマスは驚きを隠せなかった。数で劣る我が方が、事前の作戦書通りにことを進めるとなんと拮抗を保てる水準の戦いを演じれていた。それだけではない。伯爵軍にコクピット・インファントリが一機のみである事実を読んでいたのか、神がかり的なタイミングで場の均衡を我が方側に傾け、更に奇襲してきた帝国側のインファントリを一手に引き受けたのだ。
『X2、前進しつつ三時の方向に銃撃。B3、一〇〇メートル後退し、ビルの側面に回れ。そこから背後を突ける。5G、突出しすぎだ。その場で待機していろ』
渾沌が支配する戦場に一定の秩序をもたらす魔王。目まぐるしく移り変わる変化を全て許容し、全てに対応する。電撃的な頭の冴え、的確な判断力、躊躇を許さない決断の速さ――なによりカリスマ性。顔を晒していない不審な男だというのに、彼はその声と能力だけでファーマスの組織を牛耳っていた。
「逆に包囲している……」
一箇所に戦力的な空白を生じさせ、誘い込み、ビルを掩体にして回り込む。手としては単純だが、伯爵軍とて無学の徒ではない。よほど誘い込む塩梅がよいのだろう。撒き餌に反応した軍勢は、今や籠の鳥である。
『P7、後退しろ』
だが、完全に成立した包囲網の一部を魔王は解放した。どういうわけか――。
『既に我々の勝利は揺るぎない。あとは、仕上げだ』
――仕上げ?
仕上げとはなにか?
『聞け、伯爵の手の者よ!』
いつの間に――もしかしなくても、事前にスピーカーの類を仕込んでいたのは間違いない。通信だけではなく、ファベーラ全体に魔王の声が響いている。
『貴様らは、同胞である罪なき帝国民をも撃った。誤りなしに我が方が撃った数は二。そして、その者には断罪を与える』
「なっ!」
表示されていた味方のアイコンが二つ、消失した。状況で察せられない者などいようものか。なんらかの手で魔王に殺されたのだ。
『諸君らはどうだ? 幾人もの罪なき者を手にかけた? テロリストと一般帝国民の区別がつかない以上、仕方がない? 違う、違うな。我が方は君たちに宣戦布告し、正々堂々たる戦いを敢行した。我らの敵は無辜の民ではない。全てを支配した気になって、民を虐げる貴族だ』
この状況……魔王はファベーラの民を自身の側に取り込むつもりだ。一見無謀と見られた戦況を覆し、更に過ちを犯した者は疾く処断する――。そして、彼らが心の底で感じている、生まれの違いからの格差。その根付いた仄かな反発心を心地よく刺激する、巧みな誘導。
更に恐ろしいのは、続く次の言葉だ。
『……だが、私は同時に人の善意というものに期待もしている。既に勝敗は決している。諸君らがこれ以上攻撃しない限り、諸君を見逃そうじゃないか』
まさか。結局のところ、貴族側にいるとはいえ、兵士はファベーラの民よりは悲惨でないだけの帝国民に過ぎない。慈悲を見せるのは、己への陶酔の念を抱かせるためなのは間違いあるまい。
『これより、反撃以外の如何なる発砲、攻撃行為を禁ずる。我が方はこれを破れば、先ほどの愚者二名と同じ末路を見ると覚悟するがよい』
次第次第に包囲網の穴へと兵士が集まり、そしてファベーラから立ち去っていく。組織のメンバーの欠損率は驚くほど低い。さきほど魔王に断罪された二名を加えても、だ。
「魔王……。お前はどうして、俺に接触した?」
解せぬのは、ここまでのことをしてのける魔王が、何故ファーマスに接触したのか。戦闘中に組織全体に向けて接触を行ってもよかったはずだ。むしろ、追い詰められている状況ならば、ファーマス自身も藁にもすがる思いで魔王にすがっていたはずだ。
『それは、この組織を事実上把握している者を確認したかったからだ』
「ッ!」
息を呑む間もあらばこそ、背後に響いた声に反射的に銃口を向ける。この場にはファーマスしかいない。後は、通信機だけが共にあるのみ。
司令室と呼ぶには粗末な廃ビルの地下室。地上へと続く階段を一歩一歩焦らすように降りてくる者がいる。
「……魔王」
そう、先ほど奇蹟的な芸当を成し遂げた仮面の男だった。
『どうだったね、ファーマスくん。君の期待には応えられたかな?』
「そ……そうだな。だが、味方を殺すとは。お前も手駒にしていたはずだろ」
『命に従わぬ駒など、駒とは言えん。私の厳命に背いたのだから当然のことだ。あの場で私のスタンスを示す、いい例になってくれたがな』
やはり魔王は人心をかどわかすために、聖者らしい訓辞を述べたに過ぎなかった。
「それで、何の用だ?」
『ハハッ。冷たいな、ファーマスくん。共に掴んだ勝利の美酒を味わおうじゃないか』
既にファーマスは悟っていた。悟ってしまっていた。魔王がここに来た目的を――。
「一つ聞こう。お前の目的はなんだ? お前は誰だ?」
『質問が二つになっているぞ。まあ、いいがな。この世界への叛逆。そして――』
誰という問いに対する魔王の答えは意味がわからなかった。ただ一つ言えることは、魔王はファーマスの理解しているそれと違う世界を眺めているということだ。
『ではさらばだ、ファーマスくん。ご協力感謝する』
「魔王ォォォォォッ‼」
銃声が哭く。だが、狙いをつけていた胸から逸れて、仮面へと着弾する。よほど堅牢な材質を使っているのか、弾丸は貫通することなく、魔王に痛手を与えることはできなかった。続けざまに撃ち込んでも、魔王のスーツは武装外骨格の簡易型のようで、防弾性にも優れているらしく、全く痛痒にも感じていない様子だ。
絶望感と共に連射するファーマスをよそに、魔王は悠然と銃を構える。そして、ファーマスに本当の絶望が忍び寄ってきた。銃爪の手応えがない。弾切れ――。
魔王の構えた銃口から瞬いた炎の花。それがファーマスがこの世で最後に見た光景となった。
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