第31話 魔王の怒り

『いいか、決して帝国民には手を出すな』


 ファーマスの宣戦布告からちょうど一分後、魔王からの通信が入った。思っているよりは若そうなはっきりとした口調であるが、変声機ごしであるために、それが魔王の正体への指標となるのかどうか。


「帝国民に手を出すな、だと? 戦闘になればそんな約束ができると思うのか!」

『くどい。くどいな、ファーマスくん。私は言ったはずだ。無辜の民に手を上げる伯爵軍は断じて許せない。だからこそ、君らに手を貸すのだと』

「正義の味方ごっこは大概にしろ!」


 追い詰められていたとはいえ、今更ながらにファーマスはこの男の口車に乗って宣戦布告したことを後悔していた。


『――ごっこ? 違う。違うぞ。いつの世も最後に帝王を下すのは、貧民や奴隷だ。帝国という土台を揺るがすのならば、頂上に入る数少ない貴族ではなく、その下で支える大勢の民を動かすことだ』

「では、あんたは戦略のために?」

『否定はしない。正しさは全てを救わなくとも、全てを変える力がある。考えてもみろ。帝国の民が、救世主として連邦を見るのならば、君たちの任務は成功したものではないかね?』


 詐欺師か、ペテン師か。だが、仮面の男の言は一理ある気はする。ファーマス達がファベーラを拠点としているのも、密告を恐れてのことだ。市街では彼らは目立ちすぎ通報の対象となるが、脛に傷を持つ者が多いファベーラならば、お互い必要以上の詮索はされない。そして、それは当局も知るところだ。だからこそ、ファベーラ掃討作戦が実行されている。だが、もし密告の危険性がなければ――市街に紛れ込むことも可能なのは言うに及ばず、活動の幅も広がる。


「……勝てるんだろうな?」

『私は勝てぬ戦はしない主義だ。少なくとも、それなりの勝算がなければ動かんよ』


 傲岸不遜に言い切る魔王。この自信の源が何処からによるものかはわからぬが、ここまで確信を持っての発言ならば、騙されるのも一興という気分にもなる。悪魔と契約した者も同様の気持ちだったのだろうか、とファーマスは他人事のように感じた。


「約束しろ。必ず勝つと」

『契約成立だな』


 顔が見えぬというのに、会心の笑みを浮かべているのがわかる。天使のような、悪魔の笑顔。まさに魔の王。


『君たちが私の言う通りにすれば、勝たせてみせる』


 魔王の言葉と共に、データが送られてきた。いくつものルートを迂回させたデータは、出どころを追跡するだけで一ヶ月以上はかかる。その頃には、痕跡も残していまい。


『基本的にこの作戦書通りの動きをしたまえ。重要なフラグが立った場合は、その性質によって動きを切り替えるだけだ。簡単だろう?』

「もし、想定外のことが起こったら?」

『その時は、また連絡して直接指揮を取る。だが、君も全てが全て私の手柄にはしたくあるまい?』


 ここで充分な手柄を立てれば、ファーマスもエリートの道に戻れる。そう、彼はかつて愚直ながらも優秀なエリートとして、連邦の上層部へと駆け上るはずだった。しかし、ある一つの失敗でその道は閉ざされ、今では帝国の貧民街で穴熊のような真似をしている。


「……わかった。信用しよう」

『いいぞ、安易に信頼しないのは君の美徳だよ、ファーマスくん』


 魔王との通信が途絶えた。


「魔王……ッ!」


 ファーマスは拳を机に叩きつけた。魔王の日――と呼ばれる連邦襲撃作戦の立案者こそが彼だった。その映えある作戦を潰した魔王に、今度は捲土重来のチャンスを与えられるとは――。運命の数奇さを、ファーマスは呪うしかなかった。



 * * *




 あの時見た、あの瞬間見た、散る紅葉を思わせる鮮烈な――そしてドス黒い赤。奇しくも、その帝国民が亡き母と同様に子どもを庇ったのが見て取れた。誰であろうと、逃げ惑う人を撃っていいはずがない。あの頃は連邦、今は帝国。撃つ者の立場は違えども、犠牲者の立場は変わらない。


 俺は気づけば、夜水景よみかげからコクピット・インファントリを独立させていた。元々、複雑な地形への対応と小回りの良さが要求される都市戦を想定したコクピット・インファントリは都市戦においては、キャバリーやリミテッド・マヌーバーを超える利便性を持つ。時に、攻撃力や巨大さでは測れない戦場の方程式というものがある――。懐かしくも恐ろしいイデ教官の声が蘇った。


『オオッ!』


 獅子吼と共に、俺は戦場へと舞い降りる。逃げるしかない帝国民の楯になりながらも、インファントリの機関銃を解放。キャバリー相手では豆鉄砲に等しい威力だが、人体から見れば、たとえ義体だったとしても脅威だ。肉を千切り、血を雲散させる、弾丸の洗礼。逆に、彼らの銃器はインファントリからはもはや豆鉄砲にも満たない。インファントリの機動力を持ってすれば、照準の死角へと逃れるのは簡単だ。直線距離ならばいざ知らず、ホバーと脚力で変幻自在の足運びを見せるインファントリ相手では、弾を当てるだけでも困難である。ましてや、キャバリーという身体を得て、という条件はあったとしても、大気圏突入・離脱時の断熱圧縮に耐える装甲だ。関節部によほどうまく撃ち込まれなければ、痛痒にも感じない。


 ――こいつらッ!


 苛立ち、怒り、その他様々な感情が胸の内で渦巻く。気づけば、俺は叫んでいた。


『帝国の軍が帝国民を殺すのか!』

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