第30話 アーラヤの目醒め

 強襲用ブースターの加護こそ失ったとはいえ、月影狼つきかげろうの加速力は目を瞠るものがある。脚部に仕掛けられた推進機に加えて、近距離戦用にオーダーされた機体そのものの脚力。二つが加わった突進は瞬く間に五歩の隔たりを塗りつぶす。


 肩に担いだ右の太刀――月姿刀クレセントシミターを肩ごと叩きつけるが如き一刀。這うに近い低い姿勢から放たれる太刀筋はさながら、海中から襲いかかるシャチやサメに似た。


 水面みなも隠し。海棲猛獣が船を襲う際に、水面を影で覆う様を名とされた技だ。海中から突然飛び上がる様を模した太刀筋は、身体を相手の死角へと入り込みながらも、そこに注目した頭上を狙う。下の死角を意識させた上での、更なる上からの強襲。


 無論、長所だけではない。相手の死角へと潜るということは、相手もまた自身の視界の外にいるということ他ならない。直前に見据えた相手と手応えから技の成立を確かめるしかない、高難度の芸当だ。ましてや、機体から伝わる震動や操縦桿の手応えとなると――。まさに、エイジ・ムラマサほど長けたセンスを持ち得て初めて扱える剣技である。


 ――躱されたッ。


 魔王も伊達ではない。死角から覆いかぶさる豪剣を見切ったか、エイジの脳裏にははっきりと空を切る月姿刀の姿が見えた。だが、これも織り込み済みだ。


 このために左の月姿刀はのだ。左の柄尻を地へと突き刺し、路面を削りながらの強引な方向転換。脚を止めては、こちらの命脈が断たれる。そう理解していたエイジは、リミテッド・マヌーバをドリフト走行じみた方法で回頭させた。


 立て直しを行ったエイジの月影狼が再び、魔王の夜水景よみかげへと挑む。通じぬとしても幾度も斬り込む姿は――なるほど、邪悪な魔王を討つ勇者の英雄譚的ではある。


 点から線へ蠢き、天から地へ落とされ、逆巻き、そして逆流れる。二振りの月姿刀を巧みに操り、銀の輝線が大気に描かれていくドリップ。夜水景は両手の掌底の粒子発振レンズから時に伸ばした刀身で、時に投影した楯で身を守る。点を受け、線を弾き、天から地へは流し、逆らわず、そして逆転を狙う。


 無数の網めいた放射ビームを放たれたら、回避は絶望的だ。優勢に見えて月影狼もまた、際どい氷上を歩いている。そして、その均衡は崩されつつあった。攻める者と守る者。結局のところ、優勢を誇るのは前者となるのは、世の定め。


 攻め続けていたエイジに確信が生まれる。魔王の次なる動きがなんとなくだが掴めつつあった。予感、勘、本能、直感――まるで世界という理を瞬間瞬間で悟れるような。眼識・耳識・鼻識・舌識・身識の五感、そして意識・末那識を超えた阿頼耶識の領域とでもいうのか。自我の向こう側にある世界が明瞭に感じられる。


 エイジはもはやなんの疑いも持たずに、月姿刀が夜水景の未だ到達していない像へと切っ先を滑り込むのを見つめていた。


『グゥッ!』


 浅い。像よりも、魔王の動きは捷かった。しかし、今まで鉄壁を誇っていた城塞を突き穿つ、蟻の一穴には違いない。事実、連ね重なる剣技が次第次第に浅手とはいえ、夜水景の装甲を削り始めたのだ。


 ――ここでるッ!


 エイジは気づかなかったが、魔王を仕留められるという脳裏に湧いた僅かな雑念。これこそが、彼の芽生え始めた感知能力を鈍らせていた。しかし、それでも一旦崩れた均衡を立て直せるほどの要因ではなかった。


 魔王は防戦に次ぐ防戦一方。注がれる器の水が、辛うじて溢れることを拒否しているようなものだ。僅かながらでも水の容量が増えているのならば、自ずと――。


「それほどの力を持ちながら、何故正しく使わない」


 とはいえ、攻め手であるエイジが焦れるほどに魔王は耐えている。刃は届けど決定打には至らない。高速で連環する虚技に実技と絡め技に加えて裏技。全てを危ういながらも凌いでいる。刃の動きが正確に見えているのか。ならば――。


 薙いだ剣が受け止められたことを体感で認めたエイジは、身を屈めつつも背中を見せ、銅を狙った蹴り――海老蹴りを放つ。やはり、月姿刀に集中していたとみえ、魔王は今までの見事な捌きが嘘のように、撃ち込まれる踵を享受した。


 しかし、流石というべきか、間に合わぬとみて後ろへと跳んでいたらしい。想定よりも


「逃がすかッ!」


 月姿刀一振りを拾う暇はない。下手に間合いが遠のけば、依然としてこちらが不利となる。ビルの間へと飛んでいった夜水景は姿こそ見えぬが、衝撃音から満足な受け身は取れなかったと思われた。この絶好の機会を逃してなるものか。



 * * *



『イテテ……』


 いつの間にか、俺は倒れた夜水景のシートに圧しつけられている自分に気づいた。


 なんとかエイジの機体の剣を受け止められたが、蹴られでもしたのだろう。鈍い頭痛がする。多分、この仮面が頭蓋を覆うタイプではなかったら、したたか頭をぶつけていたことだろう。


 そして、俺は重なる銃声に気づく。キャバリーやリミテッド・マヌーバーの爆弾の破裂めいたものではない、銃声。視線を巡らせると――テロリストグループと伯爵軍とおぼしい連中が撃ち合いを演じていた。普段着のようなテロリスト側と比較すると伯爵軍は防弾性の外骨格アーマーを着ているが、趨勢は意外にも拮抗している。どうやら、テロリスト側はサイバネ手術を受けているのだろう。


『ッ!』


 血しぶき。だが、両軍どちらのものでもない。背中に銃弾を受けて倒れたのは、哀れな一般帝国民だ。それが、魔王の日のママンを思わせ――俺は……。

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