第26話 ヴァルドルフ・マキナ・ピースメーカー

 ファベーラを包囲したラルフグレイン伯爵は、こめかみに伝う汗の感触を意識せざるを得なかった。


「で、では、殿下はファベーラにいる帝国民ごと連邦組織を壊滅させろ……と?」


 時間はファーマスが悪魔の契約書にサインをする、少し前。帝国貴族――それも伯爵ともあろう者が狼狽えるなど下々に示しがつかぬ、と日々心得ていたはずのラルフグレインだったが、モニタ表示された意外な人物の冷酷な命令には動揺を隠せなかった。


『そうだよ。連邦の息のかかったテロリストの根絶は急務。特に、迎撃できたとはいえ、君の領地にはついこの間に連邦が迫ってきたじゃないか』


 反駁の余地などない。確かに、連邦が想定より遥かに帝国の領地に潜んでいる。キャバリーという新兵器の優位性を最大限に活かした連邦が、ヴァステンタイン辺境伯領を襲撃して、まだ十年にも満たぬ。そんな中、ラルフグレインの領地に密かに侵攻してきた彼らを手引きしている組織があると考えるのは、自然な考えである。だが――。


「恐れながら、無辜の民を犠牲にしては……帝国貴族の名折れではあるますまいか?」


 高貴なる者には高貴ならんがための責務が存在する。幼少よりラルフグレインが教わり、そして奉じてきた哲学だ。だが、彼よりも高貴であるはずの画面向こうの青年は、彼の訴えを痛痒にも感じていないらしい。


『選択だよ、ラルフグレイン伯爵。今、十を犠牲にして将来の千をたすくか、この場の十を活かすために先の千を生贄にするか』


 ――恐ろしい方だ。


 確かに、青年の言は正しいのかもしれない。先手を打つのは戦の定石なれば――しかし、盤上の遊戯と異なり、実践は生命の駆け引きが存在する。当然に、貧民とはいえ、国民を手にかける危険性リスクは計り知れない。貴族が貴族としていられるのは下々たる者あればこそだ。ラルフグレインも上位階級ゆえの傲慢さを無意識で持ち合わせているのかもしれぬが、大前提は弁えている。それを知らぬわけではない青年が、理解しながらに民の犠牲を強いろうとしているのだ。しかも、やむ無しという段階の遥か手前で、だ。


『忠言はありがたくいただこう。だが、我々は事象を大局的に見通さなければならない。ファベーラの住民のために、帝国の屋台骨を支える真の国民が犠牲になることは避けなければいけないんだよ』


 優しげな声だが、そこに含まれているのは冷たい生命の算術だ。帝国にもたらす利益を勘定に入れて、残すべき人命をふるいにかけている。


「帝国を担う人材がこの場で生命を落とすかもしれませんが……」


 ラルフグレイン伯爵のせめてもの抵抗は、あえなく断言された。


『優秀な者には天が味方する。もし、帝国を豊かにできる人材が潜んでいたとしたら……この場を切り抜けられる運と才覚は持ち合わせて然るべきだ』


 こともなげに言い放った青年に、伯爵は閉口せざるを得なかった。所詮、ラルフグレインは貴族に過ぎぬ。本当の意味で運命に選ばれた者とは、こうも違うのか。隔絶した差を感じ、伯爵は敗北を認めた。


「かしこまりました。ご随意に……ヴァルドルフ・マキナ・ピースメーカー殿下」


 ヴァルドルフ・マキナ・ピースメーカー。銀河帝国の皇位継承者の一人にして、生ける伝説である。この傑物は誕生した瞬間から、伝説の人物だった。齢一桁の段階でキャバリーという兵器の将来性を見抜き、自らの資産を投じて新型兵器の研究機関を設立。もし、彼の思想通りにことが運べば、連邦のヴァステンタイン辺境伯領への侵攻はなかったであろうと言われている。


『それに、我らの敵になるか味方になるか――仮面の操縦士が現れるかもしれない』

「魔王……ですか」


 魔王。先日の連邦の襲撃時にも現れたと聞く、おそらく現状で最もキャバリーの操縦に長けた、正体不明の人物。だが、謎なのは正体だけではなく、目的もだ。現状、帝国に味方しているような動きを見せているものの、なんの声明も出していない以上、将来的な脅威となるか見極めなければならない。


「魔王は帝国にとっての敵となるのでしょうか?」

『さて……。だが、魔王の乗る夜水景よみかげは私の研究所から強奪されたものだ』

「なんと!」


 監視の厳重な皇子の研究機関からキャバリー――正確にはリミテッド・マヌーバーだが――を奪うなど……。なるほど、帝国民であるならば不敬罪で処されても、なんら不思議ではない罪人だ。


『私のスタッフが、ちょうどそこにいる。魔王が出てくることも想定して、彼らを派遣しよう。ただし、彼らの役割は魔王の相手に限らせてもらうよ』

「かしこまりました。ですが、私は今回の作戦に反対したことはお忘れなきよう」

『わかっている。諫言を聞くのも支配者の器だが、それを秤に乗せてなお決断するのも支配者の器だ。今回、なにか不備があっても君には塁が及ばぬよう、このヴァルドルフ・マキナ・ピースメーカー、確約しようじゃないか』


 本当に恐ろしい。ラルフグレイン伯爵には、むしろヴァルドルフの方が魔王に見えてならない。父の黒髪は遺伝しなかったのか、流れる繻子の如き銀髪。涼やかな笑みを絶やさぬ美貌。そして、紫水晶の瞳。通信が切れた後も、伯爵はしばらく立ち尽くしていた。彼が皇帝になれば、おそらく帝国の繁栄は約束されたものだろう。だが――。


 麒麟児の名高い皇子――そして、黒い魔王。役者が揃い、盤上の駒も配置された。ファベーラ掃討作戦が今より開始される。

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