第24話 魔王の接触
ファベーラ。発展の影を映し出す貧民街。あらゆる犯罪と悪徳の温床であり、尋常な国民は近寄らぬ地域である。或いは貴族社会に対する反抗組織、或いは単なる犯罪組織、或いは他国の諜報組織、或いは――と非社会的組織の跳梁も、広い度量で許す一種の治外法権的な地域でもあった。
連邦の帝国侵略のための駒の一つ――諜報、そして来たるべき日に帝国領土の内戦を引き起こすための軍事力を有したこの組織に名前はない。あえて『組織』とだけ呼んでいるのは、特定の名が有形無形の追跡を呼ぶと弁えているからだ。情報というものは秘匿していても、何処からか漏れていく。闇から闇へ、極力組織を日の下に出さぬことこそが、当局の目を掻い潜る秘訣である。
今まで『組織』は、ファベーラの裏で暗躍を続けていた。先日の連邦の襲撃も、彼らがもたらした情報を元に立案された作戦だろう。これが先触れと『組織』の多くの者は感慨に胸を熱くさせていた。だが、先日の連邦襲撃の際に、恐れをなした者が政府へ密告したらしい。現在、この星域を治めるラルフグレイン伯爵の指揮の元、ファベーラ包囲網が密かに敷かれているという情報が寄せられ、対応に追われている現状だ。
いくらファベーラが犯罪率の高い地域だからといって、善良で金銭を持ち合わせていないだけの領民もいる。その区別がつかぬ内は攻撃してこないだろうが、それもラルフグレイン伯爵の胸先三寸だ。領主へと不遜な輩の存在を伝えぬことを非協力的と断じて、掃討の対象とされる可能性も無きにしもあらず、だ。そうなれば、あとは動くもの皆がターゲットとなる。『組織』を含めた、全てが灰燼に帰す。
押し迫る、見えない処刑台への階段を昇っているような心持ちだった『組織』の長を務めるファーマスが、驚愕の声を上ゲたのも無理からぬことだろう。
「魔王だと?」
魔王――。もはや、銀河帝国はおろか宇宙連邦にも名が広まりつつある、謎のキャバリーライダーだ。連邦のキャバリーをまさしく一騎当千の腕前で落とした悪夢は、ファーマスの眼にも焼きついていた。その魔王が、この窮地で接触をはかってきたという想像だにしない現実。
――我々をどうするつもりだ。
通常の考えならば、今まで帝国に弓する者を一方的に狩ってきた魔王が、連邦に与する『組織』へ肩入れするとは考えられない。しかし、一方では、帝国のキャバリーとも一戦交えたという情報も耳に入っている。
「わかった。つなげ」
目的も正体も不明である以上、魔王はどう転ぶのかわからぬ賽の目だ。吉と出るか、凶と出るか――。絶体絶命のこの場でのファーマスの回答は、自らの運命を魔王で占いたくなったからかもしれぬ。
『ごきげんよう。ファーマスくん』
魔王は仮面の男――いや、そう見せかけている可能性だって考えられる――だった。変声器を使用しているらしく、妙なエコーがかかっている。ファーマスは知らぬことだが、反射で情報を与えぬよう、普段鏡面になっている魔王の仮面は、今、黒く染まっていた。
「俺の名もご存知とはな。大した情報網だ」
『フフ、優秀な情報屋がいてね。さて、今、君たちはファベーラごと包囲されている。それについては?』
「把握している。ネズミ一匹逃さぬ、鉄壁のカーテンだ」
『鉄壁かね? 君たちにはそう見えるかね?』
自信に満ちた声だ。ファーマスも諜報畑の人間だ。ある程度は、相手の声の抑揚や仕草で情報を読み取る術を会得している。だが、魔王はそれを知ってか、表情を隠している。仕草も映さぬよう、バストアップの映像だ。
「見えるね。猫が爪を研いでネズミを狩ろうと待ち構えているのが」
掃討作戦が始まれば、下知を与えられた猫がネズミ――『組織』を含めた、非合法組織のことごとくを壊滅させるだろう。圧倒的な武力で。
『私の読みでは、あと一時間以内で掃討作戦が開始される。全てを巻き込んで、な』
「なに?」
ラルフグレイン伯爵が決断するにしても、あまりに早すぎる。熟慮せずに強行するにしても、国民虐殺の誹りは免れぬ。それだけの決断を短時間で下せるものか――。
「伯爵軍、ゆっくりとですが前進を始めました!」
無線を傍受していた部下からの悲鳴めいた報告が届く。馬鹿な。こんな国民を巻き込む決断を早計に決められるわけが……。
『おっと。思っていたよりも早かったかな、失敬失敬』
おどける魔王だが、少なくとも一時間以内であることには違いない。ファーマスがそう感じていることを、魔王も承知の上だろう。
「魔王。……君が連絡をよこしてきたということは、我々に対してなにかさせたいということではないのかね?」
事ここに至っては、悠長な駆け引きなどしていられぬ。苦々しく問いかけると、仮面は速やかに返答した。
『ファーマスくん、伯爵に対して宣戦布告しろ』
「なに?」
それでは狙ってくれと言っているようなものではないか。
『私は無辜の民を傷つけられるのを看過できん。今のままでは反帝国組織と無辜の民の区別なく、掃討される。そこで宣戦布告した上で陣を引け。なに、ラルフグレイン伯爵も無駄に民の生命を奪うことには抵抗を覚えているはずだ』
「それこそ馬鹿な、だな。ゲリラ戦を仕掛ければ、或いは……」
『ネズミ一匹逃さぬ包囲網ではなかったかね? 後方を突けるとでも?』
「ならば、どうすればいい?」
『簡単なことだ……』
既にファーマスは魔王の放った糸に絡め取られていた。
『君らが宣戦布告するというのならば、戦術と私の力を貸してやる。どうだ? 我が力は連邦の裏側に通ずる者なら、ご存知だと思うが?』
魔王の力――それに戦術? 魔王が戦の術と略に優れているとは聞いたことがない。しかし、その武勇については、直接目の当たりにした。並み居る連邦のキャバリーを単機で圧倒した、その手並み……。まさしく悪魔の所業だ。
『決断するなら早くしろ。時間を浪費しては、勝利の条件が消える』
「本当に宣戦布告したら、力を貸すと?」
『そう言っている』
魔王と呼ばれ、自身でもそう名乗る者が、
「有象無象の民を守るために?」
『くどい』
決断を迫る魔王。悪魔との契約――。これにサインをしたら、自身はどうなるのか。ファーマスは逡巡の上で、悪魔との契約書にサインした。
「わかった。言う通りにしよう」
『当然だが、賢明な判断だ』
あくまで悠然としている仮面。既に、彼はこの場の空気を支配する者となっていた。
通信が切れる。
「お前は――正義の味方、だとでも?」
苦し紛れの言葉が空虚に響く。
魔王の返答は当然ながら、なかった。
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