第11話 退学と許婚と曇り空

 一体全体、何をやらかしたのだろうか。あの主人公サマは。


『次の者、素行不良のため退学とする。――Bクラス エイジ・ムラマサ』


 翌日、入学式という輝かしい日に、掲示板へ貼り出されたそっけない通知。それは、エイジにとっては悪いニュースで、彼には悪いが俺にとっては良いニュースだった。これで、少なくとも学園生活でエイジの影に脅えることはなさそうだが、色々と納得はできない。


 俺の知るエイジ・ムラマサは、品行方正な爽やかイケメンで、正直陰キャ元社畜の俺には眩しすぎて嫉妬すら起きない存在だ。そんなエイジが素行不良などありえるだろうか? 俺を追いかけ回している間に、誰か貴族でも撥ね飛ばしたのだろうか?


「嘘……。エイジくん、退学になっちゃったの?」


 口を手で抑えているのは、長い茶髪の少女だ。どうやら彼と自己紹介を済ませていたらしい。彼女にとってショッキングな出来事だったとみえる。すでに在籍扱いとなっていたようだが、冷静に考えれば、入学式前に退学になるなど、まずまずありえない。


「うん」


 随分と厳しい沙汰だが、退学と掲示されているのだから、現実もそうなのだろう。貴族学校にエイジが姿を現したこと自体が解せない話ではあるが、それでも式の前に学校を去るのはもっと解せない。


「きっと何かの間違いだ――」


 そう、間違いだ。


 庶民のはずのエイジ・ムラマサが貴族学校にいること自体もおかしければ、入学早々の退学もおかしい。不安からか、知らず知らずの内に、俺は拳を握りしめていた。


「そう、間違いよね! 間違いに間違いないわ」


 少し頭のよくない発言をする少女だが、言いたいことはわかる。全てがおかしいのだ。そう、本来の邂逅がまだ先の出来事だというのに、この時代でエイジに出会い、追いかけ回される――。不自然すぎる。それとも、俺が覚えていないか知らなかっただけで、そんな裏設定があったのか。


 とにかく、おぼろげながら覚えている設定や物語を土台にして、なんとかこの世界で平穏を手に入れようとしている俺に、悪影響を与えなければいいのだが。幸か不幸か、早い邂逅をはたした主人公サマは不自然とはいえ、一度舞台を降りた。もう会うこともないだろう。これで、学園生活を脅かす、無意識のモンスターはいなくなったのだ。


「そういえば、あなた、確かリベルくん……よね」


 少女が話しかけてくる。自己紹介したか――と、無意識にエイジへ名乗った時に、彼女も傍にいたことを思い出す。


「ああ、リベル・リヴァイ・バントライン。Bクラスだ」

「へ~、Bクラスなんだ。私、エレア・シチジョウ。Aクラスよ」


 微笑むエレアの快活な空気はエイジの爽やかさ同様、陰キャにはまばゆい。確かな、しかしどことない既視感がある。


「リベルくんは、なにか部活とかするのかな?」

「いや、部活は――」

「そっか。残念。私、水泳にしようか弓道にしようか迷ってるの」

「そうか! 


 思い出した。エレア・シチジョウ。魔王にとって日常を象徴し、物語半ばで生命を落とした悲劇のヒロインだ。既視感の中に違和感があるのは、年齢の違いか。特に女性は十代の間の変化が激しい。(※個人の感想です)


 おそらく、物語序盤の時代になれば、見覚えのある顔立ちになるのだろう。『銀光の勇者シルヴァリオ・エイジ』劇中では、弓道着姿の彼女を見た覚えがある。


「弓道着ですらっと立った姿が似合っていたな」


 普段は元気ハツラツといったエレアだが、弓道をしている姿は凛として、可愛らしさよりも美しさが映えていた。当時、スタッフ人気を二分していたキャラクターらしく、エレアの作画は比較的安定していた――と友人が語っていたな。


「え? なんて?」

「ん? いや、なんにも」


 まずい。なんか声に出していたのか? キョトンとした顔をしている少女から視線を外す。あからさまなごまかしの動作だが、エレアから言及がなかったのは幸いだった。


 * * *


 エイジが学園を去ることになった。同年代の友人ができた途端、本人にはどうにもならない力で引き離される――。ある種では、貴族らしい。


 貴族とはいえ、家の格差は存在しており、だからこそ水面下では家の力を増すために泥沼めいた抗争が繰り広げられていることも少なくない。その戦いで必要なのは武力ではなく、舌と縁だ。特に後者は力の乏しい貴族には喉から手が出るほど欲するものだ。縁を結ぶ、もっとも簡単で深く結び付けられるもの――婚姻。そう、貴族にとっては我が子さえも資産投資の一つなのだ。


 顔を見たこともない相手との結婚も珍しいものではない。本人では否めない巨大な家という力が、貴族を縛り付けているのだ。


 かくいう、エレアもその一人だった。シチジョウ家もヴァステンタイン辺境役のはからいで、数いる皇族の一人と許婚の命があったのだが、エレアの場合はその皇族が政争の末に凋落したという。シチジョウ家としては地盤固めの機会が消えたのは不幸だったが、顔もわからぬ、ましてや今や生きているのかさえわからぬ婚約者との結婚がご破断になったのは、彼女にとって僥倖だったのかもしれない。貴族学校に通うこともなく、今頃花嫁修業に何処かの貴族へ奉公に出されていたのは疑いようがない。


 亡くなった者には悪いが、そのおかげでエレアは生を謳歌できていた。


「きっと何かの間違いだ――」


 つぶやく黒髪の少年は固く手を握りしめていた。おそらく、よくは知らないのだろうが、エイジが退学になるような素行不良者ではないと思っているのだ。いい人なのかもしれない。そういえばエイジと自己紹介し合っていた。名前は――。


「そういえば、あなた、確かリベルくん……よね」

「ああ、リベル・リヴァイ・バントライン。Bクラスだ」


 リベル・リヴァイ・バントライン。何処か名前に聞き覚えがあったが、気のせいだろう。


 許婚があったことから、同年代の異性と話をする機会が少なかったエレアは、嬉々として黒髪の少年と言葉を交わす。そっけない感じはあるものの、話自体には応じてくれるリベルは、見立てた通り、基本的に人はいいようだ。


「弓道……すらっと立った……似合……」

「え? なんて?」

「ん? いや、なんにも」


 小声でつぶやくリベル。全ては聞こえなかったが、弓道着が似合うであろうと言っているとエレアは判断した。水泳よりも弓道へ天秤が傾いた瞬間だった。


 * * *


 エレアと別れた後、俺の頭に衝撃が走った。


 しまった。よくよく考えたら、エレア・シチジョウといえば魔王サイドのヒロインだった。しかも、物語途中で巻き込まれて死んでしまっていた……。その回は見ていなかったが、回想シーンで彼女が亡くなる瞬間――弓道着を着ていた気がする。ひょっとして、俺はとんでもないことを口走ってしまったのではなかろうか。


 俺の心中のつぶやきを聞いているのか、空はいつの間にか曇ってきていた。

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