第10話 DOG RACE

 入試を突破した俺は、クラス分けの掲示の前で呆然としていた。リベル・リヴァイ・バントラインはBクラス。そして、エイジ・ムラマサもまた、同じBクラス。できすぎだ。誰かの見えない手で導かれているような気までする。


「よっ、しばらく」


 肩を叩かれ、反射的に振り返ると、そこにはもっとも会いたくない人物筆頭の少年がいた。天然パーマの茶髪と蒼い瞳の主人公サマ。『銀光の勇者シルヴァリオ・エイジ』では、魔王ことリベルに幾度も砂を噛ませる、無敵の主人公だ。劇中でも、そのキャバリーの腕前は回を追うごとに上がっていき、まさしく一騎当千の活躍を見せることになる。


 こんな奴の近くにいれば、俺の身がもたない。俺自身その気はないが、魔王であるのは間違いない。魔王への道を必死に拒み続けているというのに、本来出会うはずのないエイジが眼前で笑みを浮かべている姿は、刈るべき魂を見つけてほくそ笑む死神にしか見えない。


 なんだって、こんな……。俺は、平穏な生活がしたいだけなのに。


 いや、待て。『シルヴァリオ・エイジ』では、エイジは貴族学校に通っていなかった。確か頭は悪いわけではなかったが、庶民の教育しか受けていない。基本的に最前線に出ることはない貴族の教育の場で、実践的な戦闘訓練はほぼされないだろう。つまり、エイジが貴族学校にいるという事実は、却って『シルヴァリオ・エイジ』の通りに進まないということではあるまいか。そうであるならば、俺はエイジと適度に距離を取った上で、魔王に到らないよう細心の注意を払って生活したらいい。ブラック企業で働いていた経験が、俺を仕事以外では怠惰な性格にさせた。何事もやる気がない、そんな死んだ魚のような眼の自分は、鏡写しでおなじみの姿だ。


 よし、そうと決まれば、エイジから離れて、理想の学園生活を送るのみ。


「あ、そうね。じゃ」


 決断と同時、そっけなく応じると、足早に立ち去ろうとするも――。


「おおおい! なんで避けるようにするんだよ」


 追いかけてきた! 避けるように――じゃない、避けているって気づけ! なんなんだ、このメンタルオバケは。俺だったら、避けられている感じを察しただけで、胸が痛くなるぞ。


 くっ。コイツ、しつこい。びったり後ろについてきて、振り切れない。息が乱れる、心臓がバクバク痛いぞ、チクショー。なんで追いかけてくるんだ。そっとしておいてやれ! この鈍感主人公野郎が!


「なんだなんだ」

「あの二人、めちゃくちゃ足早くないか?」


 わんやかんやと俺たちのドッグレースを見ている声があるも、耳元で騒ぐ風の音で、うまく聞こえない。振り返ると奴がいる。駄目だ、もう足が限界だ。意識が黒く塗りつぶされる。荒い息と限界まで早鐘を打つ心臓の鼓動だけが、世界を満たしていく。


 * * *


 リベル・リヴァイ・バントライン。黒髪の、端正な顔立ちをしながらも、少し冷めた――というより諦観した眼差しをした少年。どことなく気になる存在だった。無事に試験を合格したエイジ・ムラマサは、リベルと名乗った少年が何処のクラスになるのかを探していた。なんと、自分と同じクラスになるとは思っていなかったが。


 Bクラスはもう一つあるAクラスと違い、理由あっての者が集められやすい傾向があると聞いている。貴族ではない自分がBクラスなのは合点がいくが、純粋な貴族であろうリベルがBクラスなのは疑問が絶えない。よほどの事情を持っているのか、入試の成績が芳しくなかったのか――。勿論、エイジは前者であると睨んでいる。


 ――彼は『なにか』を持っている。


 勘でしかないが、何故かエイジはこの曖昧な感覚がどうにも気になって仕方がなかった。


 ――しかし、すごい身体能力だ。


 エイジは山間の生まれだ。道とは言えぬ山道を使い、木々生い茂る山を遊び場としてきただけあり、体力には自信がある。そんなエイジと同等の脚力をリベルはもっていた。追いつこうとしても、一定の距離までは詰められるが、それ以上は無理だ。体力自慢が一向に縮まらぬ距離を見て、対抗意識を燃やすのもむべなるかな。


 よし、ならば、なんとしても追い抜いてやる!


 更にギアを上げるエイジ。眼前のリベルの背中、その向こうには腰壁と地下へと通じる階段があった。直進はできない。当然、進路を曲げると速度が落ちる。その時こそ、リベルを追い抜けるチャンスだ。

 決意したエイジの心の声を聞いたのか、瞬間、リベルの速度が上がった。


「なっ!」


 エイジの目の前で、リベルは勢いのままに跳躍、腰壁をあたかも階段のように駆け上り、逆側の腰壁を飛び越えた。よほどの度胸と膂力と瞬発力がなければできない芸当だ。臆病な黒髪の少年には見合わない体技だが、実際に目の当たりにしたとなれば、否定もできない。


 リベルの動きを模倣トレースして、エイジも同じく腰壁を飛び越える。


 しめた。黒髪の少年の向かう先には建物の外壁がある。先ほどの腰壁と違い、五階建ての建物だ。当然、立ち止まるか左右のどちらかに避けるだろうと踏んでいた予想を、またもリベルが裏切った。


 外壁へと足をかけると、雨樋を握って直立する壁を登り、更に窓枠に指をかけ、四足の獣じみた動きで五階もの高さを瞬く間に駆け上がる。パルクールもかくやかという絶技を披露した少年はそのまま、屋上へと姿を消した。本来、人が登ることを想定されていない壁面を無理矢理に登った代償に、雨樋の一部が壊れ、頼りなくぶら下がっている。よほど強い握力で握られたらしく、絞った雑巾のように管が萎んでいた。


「まさか、だろ?」


 エイジも体力には並々ならぬ自信を持っていたのだが、あの黒髪の少年は彼を上回っている。あんなに思い切りよく危険な動きをするくせに、本人は少し声をかけられただけで驚く小心者。チグハグな黒髪の少年――リベルに興味がわいてきた。


「おい、君! 何をやっている?」

「え?」


 振り向くと、騒ぎを聞きつけた様子の教員が駆け寄っていた。貴族学校の敷地内を全力疾走する少年二人――。珍奇な存在に、誰かが通報したのは間違いない。教員は、リベルが破壊した雨樋に目を剥き、そしてエイジを睨む。状況的にエイジが行ったのだと判断したとみえる。


「なんだ、これは! お前、名は?」

「……エ、エイジ・ムラマサです」

「はぁん、庶民か。入学早々騒ぎを起こして、器物破損とはな」

「違――」

「ゆっくり話そうじゃないか。保護者を交えながら、な」


 貴族学校は教員も貴族出身の者が多い。そういった教員の多数は、庶民の奨学制度に異を唱えている。貴族というだけで、世界の支配者気取りの者も少なくない以上、自然な流れなのだが、エイジの不幸は駆けつけた教員がその類だったことだ。


 * * *


 あれ?

 ここ、何処だ?


 俺はいつの間にか、何処かの建物の屋上にいた。記憶はないが、どうやらエイジ・ムラマサから逃げまくって、ここに辿り着いたらしい。しかし、問題はどうやってここに来たのか、だ。それらしい階段もない。建物内に通じるであろうマンホールは見つけたのだが、施錠されているのか、微動だにしない。


「ピャイ!」


 下を覗き見れば、落ちたら死ぬであろう高さが俺を出迎えてくれた。原始的な恐怖を煽る、高低差という魔物が口を開けている。反射的に、俺は屋上の中心まで後ずさった。


「どうやって降りたらいいんだよ……」


 結局、俺は偶然屋上点検に来た業者に見つけられ、事なきを得た。絶対に、エイジ・ムラマサとはお近づきにならない。固く誓った、一三歳の春。

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