第9話 悲劇のお姫さま

 爽やかな笑みを浮かべるエイジ。だが、俺には掴もうとしている幸せを貪り喰らうような悪魔の笑みに映る。平穏な生活を営むためにも、決して出会ってはいけなかった人物。彼と魔王が、幼き日に出会っていたなどと、そんな設定は存在していなかった――少なくとも、俺の記憶にはない。


 いや、そもそもエイジ・ムラマサは優秀とはいえ、貴族の出身ではなかった。『銀光の勇者シルヴァリオ・エイジ』作中でも、嫌味な上官などから庶民の出というだけで不当な扱いをされていた。……勿論、主人公サマの障害となったそれらは、ことごとく代価を払わされていたが。


「そ、それじゃ、俺はここで……」


 不意の接触は最小限にすべきだ。エイジ・ムラマサの印象に残る行動はまずい。相手は主人公。どんな苦難苦境も乗り越え、巨悪ボスを討つ者だ。彼に相容れない存在と認識されたら、俺の生活の全てが崩壊する。世界に愛された主人公サマにとって、ライバルという駒は成長と立身のためのていの良い生贄に過ぎない。


 生贄の祭壇に供されてはかなわない。そう思って、逃げようとしたが、腕が引っ張られ、俺は一歩を踏み出すことができなかった。


「うおっ」

「ほら、あなた。怪我してるかもしれないでしょ? ちょっと見せてみて」


 茶髪の少女だ。さっさと退散したいというのに、面倒見がいいのか、俺の身体の心配をしているらしい。正直言って、今は骨折していようとも即座に逃げの一手を講じる状況だ。しかし、なんだかんだと行為を無碍にもできず、なされるままとなる。


 少女は俺の身体を見回し、服についた埃をパッパッと手で払い、満面の笑みを浮かべた。整った相貌に人懐っこさが加わった笑みは、彼女の魅力を更に引き上げている。何処か見覚えがある笑顔だが、今の俺は彼女に思いを馳せる余裕はなかった。


「はい、なんともないようね! よかったわね」

「あ、ああ……ありがと」


 長居してしまった。その間、エイジは俺の方をじっと見つめていた。主人公力みたいなものか。俺に、何かしら感じるところがあったのかもしれない。蒼い瞳が俺を射抜く。


「そうだな。大丈夫とは思うけど、決して無理はするなよ」


 何を考えている? 主人公が持つ運命力が俺の正体を無意識に嗅ぎ取ったのか? 残念ながら、俺は平穏な日常を送りたいだけだ。銀河帝国に叛逆する気も、お前と一戦交える気も毛頭ない。そっとしておいてくれ。


「すまないね。それじゃ」


 ハンカチをポケットにしまいしまい、俺はその場を離れる。ここは危険だ。この年齢として考えれば、深慮遠謀と言えるだろうが、元の俺はそこからはほど遠い。なんとか、エイジ・ムラマサとの接触を極限まで減らして、俺が取るに足りないモブであると認識させる必要がある。カリーリ記念貴族学校の校門を急いで出ると、ファインベルグバウ侯爵が用意してくれた部屋へと走る。


「クソ、なんだって、これだ!」


 なんてことだ。このままでは、俺が魔王に仕立て上げられてしまう。世界の脚本にでもそう書かれているのか。何も大それたことなど考えていない。俺は、ただの一般市民モブとして生きたいだけなのに――。


 * * *


「え~っと、帰っちゃったね」

「そのようだな」


 黒髪の少年はなにか用があるのか、急いで帰路についた。少し不自然さは感じたが、エイジは気にしないことにした。


 貴族学校という身に余る教育を受けられる機会が与えられたのは、まさしく僥倖ぎょうこうだ。これを最大限に活かすべく、エイジは独学で勉学に励んできたのだ。そして、今日この日がある。輝かしい日だ。


 試験は――自己採点だが、充分合格ラインに達している。これで落とされることはないだろうと、エイジは憧れだった学校生活を夢想する。勉学も勿論だが、彼も一三歳の少年。友人も欲しい。彼が産まれた地域では、あまり子どもが少なかった。だから、そんな地域を出て、友人もつくれる環境と実りある生活を手にしようと努力してきたのだ。


「まあ、いっか。用事があるんなら仕方ないからな」


 そうは言いつつも、エイジは何処か黒髪の少年に感じるものがあった。予感――と呼んでも差し支えないような、しかし、それにしては曖昧な心の感触。


「エイジくん、よね? ひょっとして、君、貴族じゃない……のかな?」


 長い茶髪をハーフアップにした、快活そうな少女はエイジの持つ気配を鋭敏に嗅ぎ取ったのか、彼にとって核心の部分に唐突に触れてきた。流石に、周囲に気を使った小声ではあったものの、心臓に冷たいナイフを突き立てられた気分だ。


「なんで、わかった?」


 エイジは己の行動に貴族らしかぬ――ノブレス・オブリージュに値せぬ行動があったのかと即座に顧みたが、どうも思い当たる節はない。


「やっぱり? なんとなくだったんだけど、お父さまからカリーリ記念貴族学校ここは一定数、優秀な貴族以外の生徒も受け入れているって聞いていたから。わたし、エレア・シチジョウ。よろしくね」


 貴族らしかぬ――とは、彼女のことを言うのだろう。勿論、好意的な意味で。貴族は大抵の場合、庶民を下に見ている。特に、ほとんどが貴族の子弟で構成されている学び舎は、高貴なる者の心得を叩き込む場だ。今まで貴族というだけでぬるま湯に浸かっていた者が庶民をどのような眼で見るか、など火を見るより明らかだ。しかし、エレアにはそんな様子が一切見られない。厳しい教育の賜物か、元々の彼女の性質によるものかは不明だが、エイジにとってはありがたかった。


「あ、当然、誰にも言わないから。これは私たちだけの秘密ね」


 ウインクするエレア。


 彼女こそ『銀光の勇者シルヴァリオ・エイジ』で物語途中で生命を奪われる、日常を象徴していた悲劇のヒロイン――エレア・シチジョウだった。彼女の死から、物語は終幕へ向けて拍車をかけることになる。

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