EPISODE 02 魔王降臨

第8話 その名はリベル・リヴァイ・バントライン

 ヴァステンタイン辺境伯が収める星系の一部が強奪されてから、三年が経っていた。


 リベル、一三歳の春。


 あの、魔王の日――キャバリーに乗った魔王と呼ばれる者が、軌道エレベーター周辺の敵対勢力のほとんどを一掃したというのだ。そのおかげで、軌道エレベーターに辿り着いた俺は、そのままヴァステンタイン辺境伯の腹心であるファインベルグバウ侯爵に引き取られた。


 実のところ、魔王の日の記憶はちぐはぐで、診てもらったうさんくさい医者によると、ショックによる記憶障害ではないかという。確かに、一〇歳の子どもからしたら、自分の世界が一変し、庇護する人物の総てを失ったとなればさもありなんというところだ。年齢を経たとしても、魔王の日が訪れたとなれば、精神にトラウマを抱えても致し方ないところなのだろう。


 さて、魔王の日の衝撃もさることながら、俺にはもう一つの衝撃が襲いかかってきたのだ。キャバリー――。後で聞いた新型人型兵器の名称に、俺は既視感デジャヴがあった。現世の情報量に薄れていく前世の記憶を遡って、ようやく辿り着いた答え。この世界の正体と、俺の正体――。


『銀光の勇者シルヴァリオ・エイジ』


 かつて、日本ライジングサン社が制作した、ロボットアニメだ。そう、この世界はシルヴァリオ・エイジの世界だったのだ。それほど熱心に見ていたわけではないし、全話を見ていたわけでもない。況してや、設定資料集など読んだこともない。実際に、この世界がそのままイコールしてシルヴァリオ・エイジの世界なのかはわからない。しかし、指針にはなるはずなのだが――口惜しいのは本当に断片的な記憶しか持ち合わせていない点だ。しかも、正確なのかも疑問が残る。


 そして、俺――つまり、リベルの正体だ。これについては、ファインベルグバウ侯爵から貰った名前で判明した。まさか、俺がシルヴァリオ・エイジの主人公、エイジ・ムラマサの宿敵である通称、魔王だったのだ。後半に判明することだが、魔王は銀河帝国の皇族でありながら、復讐のために仮面で顔を隠して反旗を翻す役割だった。当時、黒髪の美貌を持つ魔王が初めて仮面を外すシーンは、シルヴァリオ・エイジでも屈指の名シーンとして数えられたものだ。


 だが、待ってほしい。魔王はまさに悪魔的な頭脳の持ち主で、エイジよりもキャバリーの腕前は劣るものの、知略で対抗していた役回りだ。しかし、俺はそこまで頭が良くない。このまま、魔王としての人生を歩むのは、まさしく自殺行為だ。確かに、ママンや唯桜いおのことは残念だとは思っている。でも、俺に何ができる? 実質的に一三歳以上の経験はあるが、正直、前世の記憶など霧の向こうを透かし見ているに等しい。つまり、一三歳の元皇族というだけのリベルには、世界は変えられない。加えて、変えようとする気もない。俺は、今度こそ平穏な日常を手に入れたいだけなのだ。


 つまり俺の目標は、激動する時代のうねりに覇を唱えるのではなく、風に柳にと受け流して、ひたすら日常を甘受するために世の中の流れに逆らわずに生きることだ。そう、俺が欲しいのは平穏な日常だ。


 * * *


 さて、一三歳の春である。前世でも中学校に進む年齢であるのだが、今生でも貴族学校に通うべき年齢だった。俺の記憶ではっきりしているのは、エイジ・ムラマサとは魔王が一八歳の時に戦場で初めて邂逅する。そこから因縁が始まるわけだが、逆を言えばあと五年の猶予がある。それまでに、俺は戦場に出ないようにありとあらゆる手段を講じる必要がある。貴族学校への進学もその一つだ。貴族学校を出てから軍人の道を歩む者などそうはいない。万が一にでも戦争に巻き込まれたとしても、最前線に出ないために俺は後方での立場をあらかじめ確保しておく。この数年悩んで決定した方針は完璧だ。


 物語は、魔王が革命軍を率いれて、銀河帝国へと宣戦布告するところから始まっていた。そもそも、俺自身がそうするつもりが毛頭ないのだから、シルヴァリオ・エイジは始まるわけがない。連合が銀河帝国に攻めてきたとしても、俺自身は戦わなくて済む。素晴らしい。


 本日は試験日。一週間後に結果が発表されるが、周囲は試験が終わった開放感に包まれていた。それもそのはずだ。貴族の庇護を受けていたら絶対に受かると言われている貴族学校だが、お飾りの試験とは思えぬほど難解を極めた。まず、問題の言いたいことがよくわからない。今生の文字体系にもようやく慣れて、文章を読むこと自体はできるというのに、文章が意味不明なのだ。


 まあ、簡単すぎる問題を解かせるよりも、体裁を整えるためにあえて難問を課していたのだろう。そうに違いない。


 うんうんとうなずく俺の前を通り過ぎる、同年代の二人。こいつらも、試験を受けに来た貴族の子息だ。仕立てのいい服を着ている。少しだけではあるが、俺もその辺は理解できるようになっている。


「本当に試験簡単だったな」

「どんなバカでも受かるって話は本当だったな」


 ――なぬっ!


 こいつら、あの難問が簡易だったと抜かすのか。いやいや、そんなわけがあるまい。アレだ。試験前の「俺勉強していない」アピール的な奴だ。目標のために俺が必死の猛勉強していたにも関わらず、わけがわからなかった試験だぞ。簡単なわけがない。ないのだ。あるわけがない。


「あんなの、そこらのガキでも解けるよな?」

「そうだなぁ。なんか、逆にバカにされている気分にさえなったな」

「これも貴族に対する接待の一環なんだろ? こういうのに慣れておけって」


 談笑している周囲の声は、如何に先程の試験が広き門であったかを再確認している。馬鹿なッ。しかも、君たち、やけに仲いいね。貴族学校の前には子弟学校というものがあり、この貴族学校――カリーリ記念貴族学校はエスカレーター方式になっているとは聞いていた。だが、子弟学校は義務教育ではないため、貴族の子どもは優秀な家庭教師を付けて、貴族学校へと進学させるのが一般的らしい。


「あの~」


 つまり、こいつらは昨日今日顔を見たような連中だというのに、既に気の合う仲間を見つけて、談笑していることになる。ウェーイ系ですか? コミュ力オバケですか?


「聞こえてますか~?」


 ま、まあ、いい。俺の目的は平穏な日常だ。こんな奴らと同じように、時間を浪費するわけにはいかない。やがて来る混乱に備えて、土台を築き上げるのだ。


「もしもし? ハンカチ落としましたよ~?」

「ウワァァァァァァァァ!!!!」


 心臓が口から転げ落ちるかと思った! 突然目の前に、将来は美少女となるのは間違いなさそうな顔があったのだ。


「…………あはは。腰抜けちゃった?」


 目線がいつもよりも下だ。驚きすぎて、足の力が萎えてしまったのか。ちなみに、心臓はバクバクと早鐘を打っているし、背中には嫌な汗が滴っている。息も荒い。


「はぁ~はぁ~。脅かさないでくれ」

「はい、これ落としていたでしょ? 紋章がないけど、あなたのでしょ?」


 黒いハンカチを差し出される。間違いない、俺のハンカチだ。貴族にしては珍しく紋章がない。大概の貴族は、衣服と持ち物に紋章を入れる。落とし物をした場合、本人を知らなくても、服に付いている紋章と見比べば 持ち主がわかるのだが、俺の場合は紋章を入れた場合は正体がバレる。皇位継承問題に巻き込まれれば、またも暗殺される可能性がある。俺の血筋は秘め隠さねばならない。かといって、ファインベルグバウ侯爵の紋章を借りるわけにもいかない。ファインベルグバウ侯爵は独身だし、その辺は貴族に珍しく分別がついている。恩人である侯爵に悪評がつくのは避けたい。


「ああ、ありがとう」


 明るめのオレンジがかった茶髪をハーフアップにした少女から、ハンカチを受け取る。アレンジされたハーフアップは、下女の仕事だろうか。手間がかかっているようにみえた。大きめの目は翠緑に輝いている。


「おい、君。手を貸そう」


 爽やかな声と共に、俺に差し伸べられた手。逆光で相手の顔が見えないが、体格から同じ受験生だと思われた。情けないが、あんまり尻もちをついているのはもっと情けない。俺は、ありがたくその手を握った。


 身体が引き上げられ、ようやく見慣れた目線の高さになる。


「嘘だろ……」


 俺は我知らず、驚嘆を口に出していた。


 眼前にいたのは、うねる茶髪の少年だ。地味ながらも整った顔立ちに蒼い瞳には、見覚えがあった。いや、見覚えがあったどころではない。


 彼は――彼こそが、俺が恐らくこの世界でもっとも知っていて、もっとも会いたくなかった人物だったのだ。


「これもなにかの縁だ。俺は――」

「……エイジ・ムラマサ」


 そう、彼こそ『銀光の勇者シルヴァリオ・エイジ』の主人公。銀河帝国の庶民の出にも関わらず、魔王の叛乱の中、破竹の勢いで地位を駆け上っていく銀光の勇者、その人だった。


「あれ? 俺のこと知っているのか?」


 勿論だ。出会う前から知っている――喉からまろび出そうになる言葉を無意識に飲み込む。一八歳の時に出会うはずの宿敵。俺の、リベルの生涯に大きく関わり、大きな障害となる男。予期せぬ出会いに、俺の心は空白になっていた。


「ああ、名札付けていたんだ。そう、俺はエイジ。君は?」


 試験中に義務付けられていた名札を外していなかったことに気づくエイジ。助かったという気持ちさえも抱く余裕がない。


 茫然自失としていた俺は、嘘も考えもなく、自分の名前を口にしていた。物語の中盤まで隠されていた、魔王の本名。世界に風穴を開け、復讐と革命の風を吹かせようとした、叛逆の皇族。仮面で覆われた、その名を。


「リベル。――リベル・リヴァイ・バントライン」

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