第7話 魔王の日

 目の前が白くなる。動きは鈍り、ただ鮮血の赤だけが異様に色づき、妖しく光っている。ゆっくりと倒れていくママン。駆け寄ろうにも足がもつれてうまく動いてくれない。びちゃり、と自ら流した血の池に身を横たえた彼女を受け止めるには、俺の手はあまりに小さく頼りなく、そして届かない。


「ぁぁぁぁ……」


 チックめいた震え声が喉からまろび出るのを、俺は何処か他人事のように感じていた。濃い血と焼け焦げた何かしらの臭い。肌がひりつく。目が沁みる。


 血で服を汚しながらも、俺は母を抱きしめた。死相。人がただのへと変わる、その移り変わりが明確に嗅ぎ分けられるのは、俺も無意識にを体験したからなのだろうか。


「リベル、逃げて……」


 涙ながらの訴え。だが、残酷にも俺の手足は言うことを聞いてくれない。震え、ただ認めたくない現実に動きを止めている。


 今際の際の最期の力だったのだろう、母が俺をかばう。俺を抱きしめる肢体の痙攣と銃口。更に吹き出す血。


「子をかばわなければ、あんたは生かしてもよかったんだがな」


 遠近感が狂っている視界で、深淵の闇と揺らめく硝煙が見えた。ずるりと力を完全になくし、糸の切れた人形と化した母。


「今度こそ、だ」

「ぁぁぁぁぁぁぁぁ」


 決定的な致命の瞬間。馬鹿な。こんなところで――。絶対的かつ完全なる断絶の予感は、俺を恐怖一色に塗りたくる。視界が明暗し、明確さと曖昧さが往復し――。


 * * *


「ぐぅっ!」


 近くで派手な爆発が起きたらしい。銃爪を絞った瞬間、肌を打つ熱を伴った爆風と轟音で銃口がブレた。結果、銃弾は目標を捉えられず、地面を穿った。だが、どちらにせよ、大した違いはない。弾はまだ充分。落ち着いて、もう一度狙いを定めて人差し指に力を込めればいい。そうすれば、莫大な褒賞が手に入る。


 いくら銀河帝国の皇族とはいえ、没落し、今は隠れ潜んでいる子どもを一人殺すなど容易い。自身の任務が後にどういった影響を与えるのか、それはお偉方が考えればいいことだ。


「!」


 目前の任務達成に思いを馳せる。相手は所詮臆病な子ども。そう軽く考えていたのが、彼の運命をわかったと言っていい。そう、獲物を前にして舌なめずりし、勝機を失った瞬間だった。


 或いは、彼我の戦力差を勘案しない愚かな特攻ならば、いなすまでもなく間合いという銃の優位性を再確認するだけだったろう。だが――。


 突然、視界を遮ったのは血。爆風に晒されている中、皇族――リベル・アルフォンヌ・ピースメーカーは母親の血液を掬って投げたのだ。正確に兵士の眼を直撃した鮮血は、狼狽する兵士の冷静な判断力を取り戻すまでの数秒を獲得していた。


 ――無駄な抵抗をッ。


 面倒をかけさせられたという怒りと共に眼を拭って見やれば、既にリベルは視界の外にいた。何処、と巡らせた瞳に映ったのは、キャバリーに乗り込もうとしている子どもの姿だった。


 実用段階に差し掛かった人型戦闘機キャバリーは、陸空宙を制覇する汎用戦闘機である。専門性よりもあえて汎用性を持たせた仕様は、星間抗争の特殊性故だ。特に侵攻段階では宇宙空間からそのまま大気圏突入、航空戦力や地上戦力と鉾を交えた後、拠点を制圧する。準備の時間を与えぬ速攻兵器――それこそがキャバリーの根幹にある設計思想である。


 脱出機構と局地戦を兼ねてコクピット・インファントリが採用されたキャバリーは、たしかにインファントリの操縦技術があれば操作自体は可能だ。とはいえ、脇目もふらずに、おそらく初めて目にしたであろうキャバリーに乗り込むなど誰が想像しただろう。それも、絶えず悲鳴を上げていた臆病な子どもが――。


 反射的に発砲するも、狙いもそこそこに放たれた銃弾など相当運が良くなければ当たるわけがない。当然の帰趨として、鉛玉はリベルをかすめて宙を横断するに留まった。


 兵士は瞠目していた。これが、先程まで足も萎えて泣き叫んでいた子どもか。銃弾がかすめたというのに、驚きと恐怖で動きを止めることもなく、淡々と己のすべきことへと邁進している。己の生命を狙った兇弾であろうとも、無為に終わったのならば斟酌する必要などないとでもいうような、無関心さ。ならば、その関心は何処にあるのか? これほど明快な答えなどない。


 キャバリーに乗り込む死神。そう、死神だ。幼く見えようが、死神だ。幼いからこそ、より残酷に死を刈り取る存在だ。


 ――に、逃げ……。


 踵を返した瞬間、彼の意識は断絶した。その様子を余人が見たのならば、生命の在処をまだ理解していない子どもが、残酷な無邪気さで虫を踏み潰す姿を連想しただろう。圧倒的質量に圧し潰された男は、カルシウムまじりの挽き肉となって地面に血を撒き散らした。数秒前まで人間だった名残りは、道路とキャバリーの足底ににへばりつくピンクと白と赤の混合物だけだとなった。


 * * *


 キャバリーが重力を裏切る。上空の辺境伯軍の飛空艦を狙っていた戦闘機へと一気呵成に迫り、ナイフで一刀両断する。翻って、蹴りで付近にいた同型戦闘機をひしゃげさせ、手に持ったライフルで確実に侵略者を撃ち落とす。辺境伯軍も侵攻勢力も、誰も彼もが困惑した。誕生が星間戦争の革命となると目されていたキャバリーの、一騎当千の立ち回り。しかし、本来味方である勢力に向けられた暴力は躊躇なく、そして無慈悲に生命を刈り取っていく。一切の呵責ない戦闘機動。


 空を紅蓮と黒煙の斑色まだらに染める姿に、この日は後にこう呼ばれる。


 魔王の日、と――。

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