第6話 物語は一発の銃声から始まった

 部屋の外は大混乱だった。空には戦闘機や爆撃機が飛び、互いに空を喰い合っていた。明け方も近い空の色は、新しい日の訪れよりも、血を流しているように見える。爆発に眼を向ければ、爆撃機が横っ腹から黒煙を吐き出して墜落しようとしていた。惑星からの万有引力に抗う力を喪った鉄の大鳥は、やがて遠くへと飛び、空をまたも血の色で穢す。銃弾を撃ち込まれた戦闘機が、運動エネルギーのままに飛びつつ、その風圧で着弾点を裂かれてやがて火の花を咲かせる。


「これは……」


 ママンの驚きの声もむべなるかな。朝起きて、こんな絵に描いたような戦場の光景を眼にするなど、どうして思えよう。いくら心に覚悟をおし秘めたとしても、結局は人は同じ日が繰り返すと盲信する生き物だ。それは、一度死んだ俺が一番よくわかる。


「さあ、こちらへ」


 目を覆いたくなる惨状を意にも介していないのか、たすべき使命故か、それとも機械人形オートマタが故か。唯桜いおは平坦な声で俺たちを誘導する。車庫だ。幸い、俺たちが住んでいた離れからは近く、道中では生命を狙う輩は現れなかった。車庫に着くや否や、中に保管されていた一台を迷いなく選んだ唯桜は、エンジンをスタートさせる。


「お乗りください! この場を離れます」


 こんな地獄の一丁目などにいつまでもいてられない。一も二もなく、俺とママンはエアカーに乗り込んだ。


「あれは、一体?」

「ヴァステンタイン様が亡くなられた情報を得て、連邦が攻めてきたのでしょう。今なら、領地を奪えると思ったハイエナが――いえ、もしかすると奴らがヴァステンタイン様を……」

「推測は後にしましょう。今は、この子だけでも逃さないと」


 ママンは俺を抱きしめる。凛然としているが、俺には身体の震えがありありと伝わってきた。それはそうだろう。ママンは若い。老獪な皇家の勢力図に放り込まれたとはいえ、元々は庶民の出。毅然と虚勢を張れるだけでも大したものだ。


「はい。では、行きますよ!」


 唯桜の声と同時、急激な加速でシートに圧し倒される。危険な速度で車庫から飛び出た瞬間、流れ弾が背後に着弾。車庫の燃料に火を付け、轟音と炎が車両の尻を追いかけてきた。だが、燃焼速度よりも爆発的な車両の加速は、炎が伸ばす舌には絡め取られない。


「ヒィィィィィエエエエエエエエエエエエエ!!」


 恐怖が腹から込み上がってくる。ビブラートを奏でる悲鳴に喉が震えているのを、俺は感じていた。


「リベル様、口を閉じていてください! 舌を噛みますよ!」


 機械人形のメイドが轟々たる風の音に負けじと叫ぶも、最初の加速の時に少し舌を噛んでしまっていた。後で口内炎になるな、これは。


 完璧なドライビングテクニックで揺れる車両をコントロールする唯桜。正確かつ速やかな判断力、そして減速を最小限に抑えた技術。ともすれば、あらぬ方向へと飛んでいきそうな、或いは無為に宙空を流れそうなエアカーを巧みに制御している。神業とさえ言える冴えを見せている唯桜だが、俺には疑問があった。


「唯桜、唯桜ォォ……何やってんだよぉ、さっさと大気圏突破して近場の惑星に逃げようよ~」

「リベル、落ち着いて。怖いのはわかるわ。でも――」


 そう、この世界の科学力で支えられたエアカーは、近い惑星間ならば充分に渡るだけのスペックがある。うまく空に逃れれば、ひとまずは安寧を得られるはずだ。


「この場の制空圏は既にあちら側です。このまま上空に行けば、瞬時に撃墜されるのは明らかです」

「えぇ~……。じゃ、じゃあどうすんだよ? このまま逃げるだけじゃあ追いつかれちゃうよ! ああ~、死ぬ! 死んじゃう!」

「――リベル様、お静かに」


 唯桜の静かな、そして低い声。車外の豪風やエンジン音に塗れているというのに、不思議と耳に入ってきた。


「は、はい」

「軌道エレベーター付近は常に厳重な警備が敷かれていて、未だに敵に抑えられていません。今は軌道エレベーターまで宇宙うえに昇ることだけを考えましょう」


 空中で喰らい合っている戦闘機の砲弾が地面を縫う。その間断をくぐり、エアカーは滑空する。尋常な神経ではやろうとしても、怖じ気が足を引っ張り、寸分の内にある好機を逃していることだろう。機械的な冷厳さあってこその芸当だが、恐ろしいのはこの芸当を幾度も成功させている点だ。人間には不可能な無謬性は、見目麗しく数理的な美しさを持つ彼女が、その内側までもが数理のことわりで構成されている証左かと思われた。


 * * *


 軌道エレベーターまで残り数十キロメートル。摩天楼という言葉があるが、惑星内の建築物で最大の規模を誇る、この超々高空層建築物は天空を摩する程度に留まらない。前世で語り継がれてきた、神の怒りに触れたという塔もかくやかという巨大さで空を貫き、軌道上までそびえていた 。


 倒壊そのものが惑星環境にさえ影響する建築物は、惑星内で最重要拠点である。実際に、駐留軍もそれに見合う規模と練度で、侵略の手を払い除け続けていた。しかし、古来より攻める者と守る者、どちらが優勢なのかは語るまでもない。必死の抵抗は続いているが、千日手となれば、資源の差が勝敗を分かつ。後方の兵站がある敵側、援軍が期待できるかもわからぬ当主を喪った辺境伯軍。むしろ、この悪条件で士気がくじけていないと褒めるべきだ。俺には無理。絶対に無理。ヤバくなったらさっさと逃げる、それだけだ。


 激戦の証拠に、道中、擱座している戦車や戦闘機、コクピット・インファントリが散見される。路面も爆撃ではつられて、欠片が土砂と混在している状態だ。ビルにも黒煙が舞い上がり、時折、ガラスのシャワーが降り注ぐ。前世でも経験したことがない、戦場。毒々しい炎が呼吸器を閉塞させてくる。


「ひどい……」


 ママンの俺を抱く腕に力が入る。戦場は地獄だ。老いも若きも良きも悪しきも平等に、または不公平に生命を刈り取る。隔てるものは純然たる運、そして生き抜く実力だけだ。


「――なっ!」


 珍しい唯桜の息を呑む様子。途端、エアカーに衝撃。何転もする視界。撹拌された脳みそでは、もはや叫ぶという無意識の行動さえ抑圧される。翻弄されるしかなく、このミキサーに突っ込まれた状況が去るのをただ待つしかできない。


 実際にはそれほど長い時間ではなかったのかもしれないが、やがて回転が収まった。髪が逆立ち、頭に血が上る。エアカーが上下反転しているのだ。状況の把握に手間取ったのは、数秒だが気を失っていたからなのかもしれない。ドアがもぎ取られ、女性の手が差し出される。


「手を取ってください、さあ」


 いつの間に這い出ていたのか、既に車外にいた唯桜のものだ。彼女の手を掴むと、繊細な描線の腕には見合わぬ腕力で俺を外へと引き上げてくれた。


 常に清潔だったエプロンドレスも流石に敗れや煤が付き、この状況が機械人形のメイドにとっても大変な状況であることが、わかる。


「アンネ様も、お早く」

「ええ」


 続いて、ママンが救い出された。何かで切ったのか、一筋だけ額から血が垂れていた。


「アンネ様、お怪我を」

「大丈夫、それよりも」


 俺たちを影が覆った。影を生み出しているのは、エアカーを転倒させたモノの正体だ。十数メートルの人型ロボット。空の恒星を遮るその威容は、暗くてよく見えないが、絶対的な力の具現であることだけは理解させられた。


「キャバリー、完成させていたのですね」

「キャバリー?」


 何処か、何処かで聞いたことがある名称だ。最近か、それとも前世遠い過去か。瞬間、脳をよぎった既視感なつかしさに、しかし今の俺には思いを馳せられる余裕はなかった。


「クッ!」


 唯桜が機械人形の膂力でキャバリーへと跳ぶ。十メートルを超える跳躍力は瞠目すべきだが、それもキャバリーには通じない。唯桜の義体からだをなんなく掴み取ると、そのまま握りつぶしてしまった。


「アンネ様……リベ、ル様……お逃げ――」


 首と胸部の一部だけを残して地面へと落ちた唯桜が、それでも俺たちに逃げろと告げる。

 しかし、俺の身体は恐怖に固まり、うまく動いてくれない。現実味を失った状況をただただ見つめるだけだ。


 キャバリーの頭部が開き、中から兵士が出てきた。どうやらこのロボット、頭部がコクピットらしい。そのまま、ワイヤーを使って地上の俺たちへ向けて降りてくる。如何にも兵士然とした出で立ちの男だ。絶対者の余裕で、地面へと足をつけた兵士は、機械少女の残骸を一瞥し、鼻を鳴らした。


「事前情報なしで、いきなり目の前に飛んでこられたら危なかったかもしれなんな」


 絶対的な生殺与奪の権利を持った兵士が近づいてくる。ニヤニヤと虫をもてあそぶ悪趣味な子どものような笑みを浮かべている。銃口は俺に向けられいる。嘘だろ? 二度目の人生も、こんな理不尽さで奪われてしまうのか?


「呪うなら、自らの産まれを呪ってくれ」


 銃が哭く、その発火炎マズルフラッシュが大気を灼く姿さえも瞳に染みつき――俺をかばったママンが胸から血を流す姿が、瞳に灼きつき――

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