第5話 動乱

 リベル、十歳の春。


 運命というものは時に前触れもなく訪れる。俺はこの日、そのことを強く意識させられた。そして、俺自身の運命もまた――。


「アンヌ様、一大事です」


 ある早朝のことだ。急に起こされた俺とママンは眠い目をこすりながら、しかしにわかに慌ただしくなっている屋敷内に気がついた。まるで戦争のような――いや、それは取りも直さず渾沌と混乱が支配する戦場だったのだろう。


 感情を見せぬ澄まし顔が常だった、唯桜いおがその無表情さの中に何処か苦々しい気配を匂わせていた。それがなにかの凶兆に見えたのは、俺だけではなかったようだ。ママンが普段は見せぬ――特に寝起きには見せない――毅然とした表情を浮かべていることからも明らかだった。


「ヴァステンタインが――」


 かすかではあるが沈痛な唯桜の表情と、権謀術数渦巻く城に短い間ながらも住んでいたママンには察しがついたとみえ、機械人形オートマタの言葉を引き継ぐ。


「亡くなられた、と?」

「はい」


 結局、一度もお見かけしなかったが、伝え聞くヴァステンタイン辺境伯は病気知らずで、少々の怪我では微苦ビクともしない相当な武人である。特に領地内での戦闘の噂など耳にしていなかった――俺には聞こえないようにしていても、下女の口に戸は立てられないものだ――のだから、俺にでも辺境伯の死因が暗殺によるものだということは理解できる。問題は、たして外敵からのそれなのか、政敵からのものなのか――。


「どちらです?」


 その可能性に行き当たったのはママンの方が早かった。端的な物言いは、この優秀な機械人形がそれだけで言葉の意味を理解できると踏んでいたのだろう。


「不明です。帝国内の手の者の可能性も否定できませんし、或いは連邦を手引した者がいたのかも。如何せん、情報が錯綜している現状です。一つ確かなことは、ここにいては御身が危うくなることだけです」

「あなたは、味方でいてくれるの?」


 もはや四面楚歌、誰が味方で敵なのかさえも判然としない状況だ。唯桜は薄くほほえみを浮かべる。


「アンヌ様、私はあのときのご命令を忘れていません。そして、これはヴァステンタイン様のご遺志でもあります」

「あなた……。献身と忠誠に感謝します」

「さあ、お早く身支度を! まずは宇宙港へと上がらねば」


 急いで着替えを済ませようとした時、寝惚けていた頭が明確さを取り戻してきた。おいおい、待てよ。これって、めちゃくちゃヤバい状況なんじゃないか?


「あわわわわわ。駄目だ死んでしまう~」


 せっかく二度目の生を授かったというのに、こんな年齢ほぼ一桁で俺は死にたくない。これなら、まだ中年までブラック企業ですり減っていた方がマシかもしれない。


「リベル様、お早く!」

「いやいやいや、早くってなんだよ。いきなり叩き起こされて生命の危険ですとか言われて、キビキビ動ける十歳児が何処の世界にいるんだよぉ。怖いわ! 地獄の訓練はともかく、それ以外でお坊ちゃん育ちだった子どもなめんな!  わあああ、享年十歳とか絶対にヤダーーーー!」


 俺は取り乱していた。それはこれぞ取り乱しといった感じで、取り乱して右往左往していた。っていうか、涙で前が歪んでいる。なんなんだよ、ハードモードすぎるだろ、この人生。


「申し訳ありませんがリベル様、ここであなたのご意見を尊重できる猶予はありません」

「あぎゃ!」


 ガッツンと脳天に衝撃。なんと手荒い。唯桜はメイドのくせに俺の頭に鉄拳を――おそらく言葉通りの鉄拳だ――を叩き込んだ。目が沁みる痛み、火花の散る視界。


「少しやりすぎましたかね。ですが、リベル様。まごまごしていては痛いだけじゃ済みませんよ」

「バカ、せめて軽く頬打ち程度でいいだろ! なにしてくれんだ!」

「わかりました。次回からは気をつけます。ただし、このままでは次回は訪れませんよ」


 なんという脅しをしてくるんだ……。この娘、こわい。


 また、気絶しかねない過剰な気合注入をされてはかなわんと、着替えにはいるが指が震えてではうまくいかない。


「リベル様、こうですよ」


 かじかんだように震える俺の指を見かねたのか、機械人形のメイドがシャツのボタンをかけてくれる。先程の荒っぽさとは裏腹の繊細な動きは、たしかに彼女がこの宇宙の先進文明が生んだ未踏技術の塊であることを強く意識させられる。いくら銀河帝国文明であろうとも、ここまで精密な動きができる精巧な機械人形は造れない。


 唯桜の世話になりながら、なんとか俺は着替えを済ませた。俺たちのやり取りの中、ママンは今日がいつの日にか来ると予期していたのだろう、既に最低限の荷物をまとめ終えていた。


「唯桜と仲がいいのね……これなら安心ね」


 最後のつぶやきは聞こえなかったものの、俺は反論させてもらった。


「母様、それは誤解です。僕は唯桜とはなんでもありませんし、暴力的なメイドは苦手です」

「私も、ここまで臆病な主人はタイプではありませんね」

「ななな、なにおう?」


 極めて遺憾だ。遺憾の意を表する!


 だがあろうことか、この機械人形、俺の言葉を無視しやがった! 俺、本当に皇族なのか、扱いが悪すぎて実は違うんじゃないかと思い始めたぞ。


「今は生き残ることを最優先にしましょう。生きてさえいれば、なんとかなります」


 妙に説得力に溢れた言葉だが、俺の前世はなんともならなかった。或いは、どこかで間違えていたのかもしれない。それとも、死を迎える前に、何かしらの行動を起こしていれば良かったのだろうか。


「リベル……取り乱してはいけませんよ。あなたは強い子。絶対に死にません」

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