第3話 鬼のシゴキと鬼とメイド

 リベル、九歳の頃。


「ピャァアアアアアアアアツ!」


 この頃になると、ヴァステンタイン家から訓練と称される地獄のシゴキが俺の肉体を虐めてくれた。正直、年齢一桁にするような訓練ではない。前世むかしに見た香港映画の修行みたいなことをやらされるのだ。たまったものではない。


 脚を結ばれて逆さにされた俺の手の届く場所には水瓶がある。なみなみと満たされた水にはコーヒーのミルクピッチャーが添えられている。脚をくくられた棒の上にはワインの瓶が置いてある。


「リベル! 良いか! そのミルクピッチャーを使って瓶を水で満たせ!」


 筋骨隆々、マッチョ満々な教官が叫ぶ。イデ教官。もはや児童虐待もかくやかという鬼訓練をいつも課してくる俺の天敵だ。


「そんなのできるわけないです! 僕は九歳ですよ?」

「できる! 何故諦めるんだ! 年齢を言い訳にするのは甘えだぞ!」

「ギエエエエエエエ! 児童虐待の防止等に関する法律よ、助けてェェェェェェ!」


 イデの言葉はつまるところ、逆さにぶら下げられた俺を、幾度も上半身を持ち上げさせるという鬼筋トレを意味していた。ちなみに、俺は前世の頃からスポーツや筋トレは大嫌いだ。あんなの、本質的にドMがやるもんだ。俺はそうではないが、イデの折檻が恐ろしいのでやらざるを得ない。あいつのビンタで記憶が飛び、物理的にも数メートル吹っ飛んだのは未だに語り草だ。


 ママンはこのことを知っているのだろうか。ヴァステンタイン辺境伯は俺のことを疎んでいるに違いない。美人なうちのママンを所有物にしたいから、密かに庇護しているのだ。そうに違いない。おのれ、ヴァステンタイン辺境伯!


 俺は未だに顔も見たことがないヴァステインタインにブリブリ思った。


「よし、一旦休憩!」


 怒りと疲労と腹筋を灼く激痛……。時間の感覚が曖昧になってきた頃、イデの救いの声があった。一瞬感謝しそうになるが、そもそもコイツのせいでこんな目にあっているのだ。畜生。前世よりもハードかもしれんぞ。


 脚の拘束が外され、俺は芝生に倒れ込んだ。耳に谺する自分の心臓の音。高く蒼い空には鳥類のような生物が呑気に飛んでいる。


「なかなか見どころがあるぞ! ここまで伸びがいいとは驚きだ」


 こんな褒め言葉を素直に受け止める奴なんかいるのか。あからさますぎるだろ。子どもだと思っていい加減なことを言っている。見どころなんてあるわけがない。そんなことよりも、今は休ませろ。腕にチョモランマでも乗せているのかと言いたくなるイデに、怒りが沸いてきそうになるが――。


「よし、続きだ! さあ、まだまだ時間はあるぞ! この後は格闘と剣術、そして銃器の取り扱いだ!」


 またも逆さにされながらも、俺は無慈悲な宣告に目の前が遠くなってきた。コイツ、実は俺を殺そうとしているんじゃないか。そんな疑惑さえいだきながら、俺の意識は遠い世界に旅立った。


 * * *


 黙々と感情が凍った目で、ミルクピッチャーの水を瓶に移し替えるリベルを見て、イデは正直感嘆していた。


 本人は読書などを好んでいるようだが、あまり実になっていないように感じる。だが、運動神経に関しては非凡も非凡、傑物とさえいえる。最初こそ泣き言を口にするが、諦めてやり始めると――達人のいう無我の境地といえる域へと集中し、課題をこなすのだ。


 実のところ、リベルの内心の叫びは正鵠を射ていた。確かにイデは九歳に課すにはハードと呼べる以上の訓練を与えている。無論、適切な休憩を与えているが、それを考慮しても尋常な子では耐えきれぬ試練には違いない。それを泣き言を言いつつも――その理由に自身への恐怖があることも当然イデは見抜いている――なんだかんだとこなしてしまう。


「旦那様」


 音もなく忍び寄ったのは唯桜いおだ。


「如何でしょうか、リベル様は」

「正直なところ、眼を見張る。身体能力は言うに及ばず、この集中力。戦場に立ったことがないというのに、死線をくぐり抜けたような――死に際で垣間見る忘我の域ゾーンだ。この幼さで、ここに至っているとは驚きだ」

「そこまで高く評価されていましたか」

「正体を隠しきれることができるのなら、そして将としての才があったならば、我が子に迎えたいとさえ思えるな」


 辺境――帝国領域の境においては、頻繁とは言えぬまでも時折別の星間国家からの攻撃に晒される。辺境に据えられた貴族は単なる領地治世に留まらず、武力をもって帝国の敵との一番槍を担う立場でもあるのだ。当然、武芸の才、加えて軍略の才が求められる。


「軍略の面は、優秀な副将を就ければよいが、兵にとって主が共に戦うという安心感は何よりも士気を高める。だからこそ、ヴァステンタイン家の家督を継ぐ者は代々勇猛にして武芸に長けた者が選ばれた。武芸にかけてはこの先幾らでも伸ばせられるだろう。それだけの才覚は持ち合わせていると踏んでいる。もっとも、根本的に戦に向いていない性格だけはなんとかせねばならんが」


 苦笑するイデ――もといヴァステンタイン。そう、自らの名を隠してリベルの教官を勤めていた人物こそ銀河皇帝の覚えもめでたきヴァステンタイン辺境伯だったのだ。


「まあ、いい。荒療治も時には必要だ。明日からはキャバリーの騎乗訓練も行っていくか」

「リベル様のご年齢を考えると早計では? いくらなんでも――」

「いや、行うべきだ。私の近辺もきな臭くなってきている。杞憂で済めばいいが、やれることはやっておきたいのだ。この子が――」


 二人の会話も聞こえていないのであろう。黙々と与えられた修行を行っているリベルには、一切の感情もない。


「この子の前途には想像を絶する試練が待ち受けているだろう。それらに立ち向かえる強さを与えておかねばならんのだ」

「旦那様……」

「唯桜、私からも頼む。誰が裏切っても、お前だけは最後までリベル様の元にいてくれ」

「……はい」


 敬愛すべき二人の主から託された想い。機械人形の少女は、だからこそ色褪せぬ記憶を胸に誓いを立てる。主、リベル・アルフォンスの征く道をどこまでもついていく。この身が朽ちて砕けるまで――。

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