第2話 俺は銀河の辺境伯!――の食客

 初めの目醒めは、俺――リベルの三歳の頃。何処かで聞いたことのある名前が俺のものと定着するのは半年ほどかかったが、今や元の名前も霞がかった印象だ。名前は他人から呼ばれることで意味がある。自分一人では意味はなく、しかし社会においては自分を定義する拠り所だ。ならば、誰からも呼ばれることのない名前は、存在しないものと同じか……。などと、少々格好をつけてみるも、結局のところは碌でもない人生に嫌気がさしていたので、都合よく忘れようとしているだけなのかもしれない。今生は前世よりも顔だって悪くないし、「ただしイケメン――」の枠に入る、イージーモード人生になるだろうと楽観的に考えていただけに。


 だが、結論から言って、それは間違いだったようだ。前世の俺は、顔が良ければ社会の大概の事象はなんとかなると思い込んでいたが、甘い考えだったと言わざるを得ない。ある意味、この世界は元の世界よりもブラックワールドだったのかもしれないのだ。


 未だに大気圏内でウロウロして、莫大な予算を消費しなければ宇宙へと旅立てない前世と異なり、案外この世界の宇宙は。なんせ、宇宙に出るだけならば、その辺のエアカーを使えば事足りる。驚くべき――そして、ここでは驚くほどではないことに大気圏への突入突破能力を備えたエアカーなど、正直珍しいものではない。ごく近距離の惑星ならば、燃料さえ確保されていれば着陸まで可能だ。


 それもそのはず、同じ星系程度ではこの社会は計り知れない。国際的ヒットを生んだ星間戦争映画よろしく、この社会は数々の星系を股にかけた銀河帝国なのだ。光年をも超えたはるか彼方の星系さえも飲み込んだ、広大という言葉さえも狭く感じる宇宙国家など誰が本気で想像しただろう。


 そしてそれぞれの星系を預かるのは貴族。これまたとんでもないことに、基本的に統治は貴族に一存されているのだ。つまり、自身の収める星系においては神に等しい権利を持っているといえよう。あえて発展を中世程度の文化で留めておいて、反抗の芽を摘むもよし。少々のリスクを承知で領土を繁栄させて、甘い汁を吸うもよし。まるで、貴族であらずんば人でなしといった社会だ。そして、輪をかけてひどいことに、惑星を食い散らす宇宙海賊なんて輩も存在する。まるごとスラムと化した惑星に住む彼らは、正規軍の払い下げ兵器を裏から手に入れ、中には貴族のそれを上回る軍事力を保有している例もあるという。おそろしや。


 さて、そんなヤバい世界に転生した俺の立場はというと――その宇宙帝国の映えある皇族……だったが、政争に敗れて追放された哀れな一般人だ。今は、辺境伯の食客として糊口をしのいでいる。いや、それでもこの世界ではかなりマシな地位だ。惑星によっては未だに奴隷制度なんてものまで存在するらしいし、政治に敗れた元皇族がたどる道など凄惨なものだ。暗殺されずに衣食住を享受できるのは御の字と断言できる。それも、ママンの人柄あってのことだろうが――。


 屋敷の離れを無償で提供してくれている――もしかすると何らかの取引があるのやもしれんが――ヴァステンタイン辺境伯は皇帝の覚えもめでたい人物らしい。あいにく、俺はヴァステンタイン辺境伯も皇帝の顔も拝んだことはないが。彼の庇護を受けている限り、一応は生命の心配はなさそうだ。


 ある意味、働かなくてもいい状況にはあるものの、これはいつ状況がひっくり返るかわからない、非常に危ういものだ。ブラック企業での奴隷を経験している俺が危機感を覚えたのも無理はないだろう。そうなれば、何が必要か。自分の能力と知識だ。そう思って、俺はヴァステンタイン家の蔵書に挑戦してみたのだが……。


「眼がシパシパする……」


 俺――リベルは五歳になっていた。


 学生時代以降ちゃんとした活字を読んでいなかったせいか、俺の脳みそは読書への適性を失っていた。しかも、当然ながら字は元の世界の日本語とは異なる。教育が良かったからか、なんとか字を読める程度の知識は元から備わっていたが、それがあったとしても脳は日本語に依存している。思考には言語が深く関わっているのか、俺の考えは基本的に日本語がベースとなっているため、一旦、脳内で異世界言語を翻訳しないといけない。


 結果、進みの悪さに反して疲労が積み重なっていく。況してや、中身はともかく身体は子どもだ。無駄に豪華な装丁が施された本は重く、字もぎっちりと詰め込まれている。精神に加えて肉体も悲鳴を上げても、むべなるかなというところだ。


「リベルは難しいご本を読むのね。五歳とは思えないわ」


 ふわりとした日だまりのような声。ママンである。褒められてしまった! だが、実際は全然読めていない。というよりも、俺の頭では理解しきれない。そもそも、家と学校、または会社を往復するだけだった俺では、社会的な構造を理解できる下地がないのだ。選挙にも行ったことはない。忙しくても、選挙は行きましょう。俺は民主主義のありがたみを痛感していた。でないと、こんなヤバい世界になるぞ!


「うん。けど、ぜんぜんよめないの」


 思うように身体が動かず、舌足らずな俺の口。前世での同時期の記憶は薄らいでもう思い出せないが、これくらいの歳頃は案外自分のイメージ通りに身体が動かないものなのかもしれない。となると、今後は身体の動かし方も学ばなければならない――運動は嫌いなのに。


「その読もうとする考えが素晴らしいのよ。偉いわ」


 頭を撫でるママン。くすぐったい。


「アンヌ様、こちらにおいででしたか」


 ママンを探していたらしく、長い黒髪の若いメイドがそばにやってきた。表情が乏しい彼女は、実のところ人間ではなく、ある惑星の超古代文明が生み出した機械人形オートマタであるらしい。銀河そのものを版図としているだけあって、支配した惑星には現行文明を一部では凌ぐ程の文明の遺物が発見されることもあるという。彼女もその出土品のひとつだ。名前は唯桜いお。和風な名前は発掘された惑星の文明にちなんでいるそうだが、黒い長髪といわゆる日本美人的な美貌には合っていた。


「はい、なにかしら?」

「少し、よろしいでしょうか?」


 唯桜は、ちらちらと俺に視線を向ける。俺に聞かれたくない類の話なのは間違いない。いくら俺でも、それくらいの察しはつく。


「かあさま、ぼくはすこしおそとにいってきます」

「ええ、転ばないようにね」


 どう言い含めようかと思っていたらしいママンは、息子の言葉に胸を撫で下ろした様子だった。キナ臭い話なのだろう。俺は外に出るふりをして、こっそりと二人の会話を盗み聞こうと試みる。


 限られた情報しかない今。状況が悪くなれば、たちまち俺やママンの生命はなくなる。追放されたとて、皇帝の血を引いている俺は微妙な立場にいるのだ。


 だが、唯桜は優秀だった。屋敷内で声の漏れぬ上に、覗き見もできぬ場所を心得ていたとみえる。こっそり室内に戻った俺だったが、結局は話も終わって一人でいるママンを見つけただけだった。


 * * *


 リベルが母を見つける、その少し前。

 唯桜は小さな主の耳に万一にも届かない場所へとアンヌを連れて行った。入り組んだ本棚の端。この位置からならば、盗み聞きは勿論のこと覗き見も不可能だ。密談には好都合なロケーションは実のところ、設計段階で仕組まれている。いつ何時政争の種が芽吹くか知れたものではない。貴族ならば備えていて然るべき心得である。当然、辺境伯ともあろうものが、この不文律に無頓着なわけがない。実際に、屋敷は言うに及ばず庭園や門に到るまで、身を隠しての密談が行えるよう工夫されている。


「まず――アンヌ様、あまり喜ばしい話ではありません」

「聞きましょう」


 本棚の影に隠れる二人。リベルは言うに及ばず、下女の耳にも入れることが憚れる内容なのは明白だ。


「どうやら、ヴァステンタイン辺境伯を探っている者がいる模様です。おそらくは御身を……」

「……やはり、ですか」


 落ちぶれた皇族を匿っている事実は、帝国からの辺境伯の覚えを悪くするのだろう。二人の声には苦さが伴っていた。


 先代が亡くなり、空位となった皇帝の座。現在、暫定的にそこに座る男が、自らの帝位の妥当性を強固にするため、リベルを亡き者にしないとは思えない。先代皇帝の寵姫が生んだ、先代の血を受け継ぐ皇子が今もこの世にいると知れば――。アンヌの背筋を冷たい緊張が走った。


「唯桜。――ユリアンヌ・アルフォンスが命じます」


 アンヌ・フェイスフルという名は偽名だ。俺の母の本来の名はユリアンヌ・アルフォンヌという。皇帝の目に留まった庶民の出の娘が望まぬ政争に巻き込まれ、城を後にするしかなかったのは数少ない彼女と下女の会話の端々から掴み取った情報だ。


 確かに、良くも悪くも人の上に立つ威厳という気配が乏しいアンヌ――否、ユリアンヌだが、この時ばかりは違った。声だけだというのに、背筋を伸ばさせられる強制力がある。厳しい声ではない、むしろ懇願している声音だというのに。


「リベルを……リベルをお願いします。あの子はいずれ、大きな運命に巻き込まれる――そんな気がするのです」

「はっ、この生命にかえましても!」


 機械人形のメイドが凛々しい宣誓の声を上ゲた。

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