三章 探偵と僧侶とあやかしと 一
この子は人ではない。あやかしだ。確信した。
家に
「あなた……もしかして
「うん。そう呼ばれることもあるで」
この女の子は、堂島家に代々憑いている座敷童だ。そうとわかっても、驚きはさしてなかった。堂島邸に住む異形の者や忽那青紀や、喋る子狸の存在を知った後では、座敷童がいても当然。逆に、世の中によく知られているあやかしだけに、親近感さえわく。
「いらっしゃいませ」
耳に
「さきほどはご挨拶頂きましたが、お返事も
(ご挨拶?)
座敷童と青紀が挨拶を
青紀は顔をあげた。
「どうぞ、お楽に。わたしはこの
青紀は盆を手にして立ち、今度は佐名の
目をぱちくりさせて、佐名は青紀の横顔を見やる。
「この主に仕えてる? 喰ってやるって言わなかった? あなたは主を喰うの」
「無論」
「役立たずの主ならば、喰う」
茶釜の背中の毛がぞわっと逆立つ。佐名も
青紀は盆に載っていた金平糖の皿を、座敷童の前に押し出す。
「どうぞ、
ぱっと座敷童の顔が明るくなった。それを見た青紀の口元に、あるかなきかの
(わたしは喰うって脅すのに。あやかしの子どもには、
座敷童は金平糖を光に
「甘いなぁ。甘いものなんか久しぶりや」
「甘いものも食べられないの? 堂島は、そんなに
「昔は良かったで。いい家やった。けどあそこに、
いじけた表情で、座敷童は
「怖いもの……。それ、わたしも見た。ものすごく怖い、……」
あやかしと言いかけて、言い直した。
「異形の者」
青紀や茶釜や座敷童と、堂島家にいたものは同じではない。明らかに異なる存在だと感じた。
座敷童は、面白そうな顔をした。
「へぇ。姉ちゃん、あれが
「違う?」
「うん、まあ、ええねん。とにかくそいつや。ものすごく怖いんや」
目が
「堂島みたいな古い一族の家には
小さな
「そんでな、あんたのここから出てる光る
「光る粒?」
「そうや。この光るもんを追っかけたら、休める場所に行けるて思った」
無意識に自分の胸に手をあて、佐名は首を
座敷童は立ち上がった。
「ゆっくり休んで元気になれた。ありがとう。赤いおべべも、ありがとう。うち、もう行くわ」
「行くってどこへ? 堂島家へはもう帰れないでしょう」
「帰らへん。どこか
「あてはあるの?」
「そんなもんないけど、なんとかなる」
にかっと笑うと、座敷童は
「お客様はお帰りだ、主。お見送りを」
青紀に
座敷童の
「本当に
あやかしとはいえ、小さな女の子が一人出て行くのが心配でたまらない。思わず問うと、彼女は力強く
「うん、大丈夫や。けど、
返答に
しかしこの小さなあやかしに、「それは無理」とは言えなかった。ちらっと青紀を見やる。佐名の
「主はおまえだ。おまえが答えろ」
茶釜が期待を込めた目で見上げている。
「うん、多分……いいよ」
この子が再びやってきたとき、たとえ佐名がいなくても大丈夫だろう。青紀は彼女には優しく接していたので、
「ありがとう。これでうちは安心や」
小さく息を
「うちは安心やけど、心配は堂島や。堂島みたいな客商売は、店の主の評判が第一や。
(わたしは逃げたけど。その代わりに別の人が
青ざめた佐名の顔色を知ってか知らずか、座敷童は明るく手を
「ほなね」
手を振り返したが、佐名の頭は堂島
(わたしは逃げられた。けれど、また別の人がお嫁に行って、わたしの代わりに。わたしが逃げたから、また別の人が)
佐名があのまま堂島家にいても、喰い殺されるのが関の山。佐名が死んだ後にはまた、新しい嫁が来て、殺される。その
しかし佐名は異形の者を見ることができた。だから逃げられた。異形の者がいると知り逃げられるなら──、佐名はあのまま堂島の嫁になり、異形の者を
それを考えもせず、ただ
その結果、別の人が死ぬ。
(そんな)
冷水を浴びせられたような気になる。
「ご主人様? どうしました、ご主人様。顔色が急に」
心配そうに茶釜が首を傾げた。
「別になんでもない。平気」
そう答えた声は上の空だった。
(わたしは、どうしたら良いんだろう)
青紀は、何もかも
座敷童が出て行くのと同時に出て行こうと、佐名は考えていたのだが──青紀の目があり実行できなかった。
しかも自分に突きつけられたものに
夜になると茶釜は、「ご主人様の部屋です」と、家の西側、蔵へと続く
「
茶釜によると、青紀は仕事をすると言っていたらしいので、彼も自室に入ったようだ。
部屋の中央に
丸窓の障子がぼんやりと明るい。花模様の透かしが入った障子紙が、
(わたしは異形の者の存在を知っているのに、それを
このまま何もしないのは
堂島家の誰も、異形の者の存在に気づいていないのだろうか。そうだとすれば知らせなければならない。存在を知って認めれば、堂島も手をこまねいてはいないだろう。なんらかの手を打つはずだ。
だが、逃げ出した堂島邸にのこのこと顔を出せば、当然
筒乃屋の
しかし「異形の者が家に取り
佐名の名を
結局、方法は一つだけのような気がした。
捕まるのを
だが堂島琢磨が佐名の話を信じなければ、
佐名の
調べるというところまで思考が転がると、ふと思い出す。
(
桂川龍介と名乗ったあの男は、青紀に
佐名が堂島に嫁ぐと知れば、嫁ぎ先のことを多少なりとも調べている可能性はある。もし調べていなくとも、東京市で手広く商売をしている堂島骨董商会の
(桂川龍介に会ってみようか。それから、どうするかを考えよう)
何をするにしても、まずはこの家を出なければならない。
そうと決めてしばらく
箪笥の上にある
今が絶好の機会だ。
「行こう」
決意して立ちあがる。音を立てないように
今一度、誰の気配も周囲にないのを確かめてから、
「どこへ行く」
びくんと飛び上がってふり返った佐名の
「放して」
「どこへ行くと聞いているのだが?」
青紀の瞳はこちらの心の内など見透かすかのような、一言で形容しがたい色だ。黒よりもなお底の深い色。
(
あやかしの目は、うわべの言葉などに
「出て行く。わたしは、この家の主になるつもりはない」
はっきり告げた。
「それに堂島家に憑いている異形の者の存在を、わたしは知ってる。知ってるからには、次の
「なぜ堂島の異形の者が気になる」
「当然でしょう。誰かが犠牲になるのに」
「人間がどうなろうが
「何言ってるの!? 誰かが死ぬのを、放っておけない」
まずいものを喰わされたように、青紀は
「おまえは、やはり
「何が違うの」
「今までの、わたしが知っている主たちとは違う。おまえは、人間の娘のようだ」
「わたしは人間よ。なんのことを言ってるのか、わからないし、もしわたしの何かが違うっていうなら、それこそわたしをここから解放して」
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