三章 探偵と僧侶とあやかしと 一


 この子は人ではない。あやかしだ。確信した。

 家にき、童と呼ばれる、幼い子どものあやかし。

「あなた……もしかしてしきわらし?」

「うん。そう呼ばれることもあるで」

 この女の子は、堂島家に代々憑いている座敷童だ。そうとわかっても、驚きはさしてなかった。堂島邸に住む異形の者や忽那青紀や、喋る子狸の存在を知った後では、座敷童がいても当然。逆に、世の中によく知られているあやかしだけに、親近感さえわく。

「いらっしゃいませ」

 耳に心地ここちよいひびきの声がして、廊下側の襖が開く。そこに黒の和服を身につけたんした、忽那青紀の姿があった。傍らにはぼんがあり、金平糖を盛った皿がっていた。彼はその場に指をつく。

「さきほどはご挨拶頂きましたが、お返事もかなわず申し訳ない。ご丁寧な挨拶いたみいります」

(ご挨拶?)

 座敷童と青紀が挨拶をわす時間など、あっただろうか。座敷童の方も初対面ではない様子で、ぴょんと飛び上がるようにして居住まいを正し、頭を下げた。

 青紀は顔をあげた。ってやると人をおどす意地悪なあやかしだが、和服姿のたたずまいも洋装とはまたちがったおもむきでたんぜんと美しく、佐名でさえも息をのむ。

「どうぞ、お楽に。わたしはこのあるじに仕えている身なので。主のお客様は、わたしのお客様でもあります」

 青紀は盆を手にして立ち、今度は佐名のとなりこしを下ろす。

 目をぱちくりさせて、佐名は青紀の横顔を見やる。

「この主に仕えてる? 喰ってやるって言わなかった? あなたは主を喰うの」

「無論」

 れい微笑ほほえみ、青紀は佐名に向き直った。

「役立たずの主ならば、喰う」

 茶釜の背中の毛がぞわっと逆立つ。佐名もうすら寒いものを感じたが、おびえていると思われるのはごうはらで、「あくじき」とだけ答えた。

 青紀は盆に載っていた金平糖の皿を、座敷童の前に押し出す。

「どうぞ、しあがれ」

 ぱっと座敷童の顔が明るくなった。それを見た青紀の口元に、あるかなきかのみがかぶ。

(わたしは喰うって脅すのに。あやかしの子どもには、やさしいんだ)

 座敷童は金平糖を光にかし、ひとつぶ一粒の綺麗さを確かめながら口に運ぶ。ずいぶん、おたぐいを口にしていないのだろう。ふくむと、甘味に打たれたようにぶるっとかたをふるわせた。

「甘いなぁ。甘いものなんか久しぶりや」

「甘いものも食べられないの? 堂島は、そんなにひどいところなの?」

「昔は良かったで。いい家やった。けどあそこに、こわいものが住みはじめよったから」

 いじけた表情で、座敷童はたたみの目を指でなぞる。

「怖いもの……。それ、わたしも見た。ものすごく怖い、……」

 あやかしと言いかけて、言い直した。

「異形の者」

 青紀や茶釜や座敷童と、堂島家にいたものは同じではない。明らかに異なる存在だと感じた。

 座敷童は、面白そうな顔をした。

「へぇ。姉ちゃん、あれがちがうてわかるんやな」

「違う?」

「うん、まあ、ええねん。とにかくそいつや。ものすごく怖いんや」

 目がしんけんみをおびる。

「堂島みたいな古い一族の家にはゆうれいとかあやかしなんか、いっぱい住んどんねん。あれも最初は、そんな怖いものやなかった。けど、だんだんおかしくなりよって。力も強くなって。あれは、いっぺん家に入ったものは人間でも幽霊でもあやかしでも、絶対に外へ出さへんと決めたみたいで。うちは、あのしきから逃げられんようになっとってん。逃げたくても、逃げられへんかった。けどな、あんたが逃げて、あいつはあんたを追っかけてちょっと屋敷をはなれたんや。それでその隙に、うちは外へ出た」

 小さなてのひらが、佐名の胸にれる。心臓の辺りだ。

「そんでな、あんたのここから出てる光るつぶがあってな。ちようちようの羽の粉みたいなやつや。それが町の中に、ふわふわ光っててな。それがい方へ濃い方へ、いつしようけんめいに走ったら、ここに来られたんや」

「光る粒?」

「そうや。この光るもんを追っかけたら、休める場所に行けるて思った」

 無意識に自分の胸に手をあて、佐名は首をかしげる。そんなものが出ているのだろうか、と。出ているとしたら、それはなんだろうか。

 座敷童は立ち上がった。

「ゆっくり休んで元気になれた。ありがとう。赤いおべべも、ありがとう。うち、もう行くわ」

「行くってどこへ? 堂島家へはもう帰れないでしょう」

「帰らへん。どこか心地ごこちい家を、見つけなあかんけど」

「あてはあるの?」

「そんなもんないけど、なんとかなる」

 にかっと笑うと、座敷童はおおまたに歩き出す。

「お客様はお帰りだ、主。お見送りを」

 青紀にうながされ、佐名も座敷童とともにげんかんへ向かった。茶釜もついてくる。

 座敷童のぞうは、買い物に出たときに新調していた。茶釜がいそいそ持ち出してくると、赤いはなのそれをいた座敷童は、うれしそうにつま先をとんとん鳴らす。

「本当にだいじよう?」

 あやかしとはいえ、小さな女の子が一人出て行くのが心配でたまらない。思わず問うと、彼女は力強くうなずく。

「うん、大丈夫や。けど、つかれたらまた、この家に来てもええ?」

 返答にきゆうした。ここの主になれとは命じられているが、それを受けるつもりはなく。それどころか、座敷童が出て行ったら、自分も出て行こうと思っているのだ。

 しかしこの小さなあやかしに、「それは無理」とは言えなかった。ちらっと青紀を見やる。佐名のまどいを察したのか、冷たい声で彼は言う。

「主はおまえだ。おまえが答えろ」

 茶釜が期待を込めた目で見上げている。

「うん、多分……いいよ」

 この子が再びやってきたとき、たとえ佐名がいなくても大丈夫だろう。青紀は彼女には優しく接していたので、じやけんにはしないはずだ。

「ありがとう。これでうちは安心や」

 小さく息をいた座敷童だったが、ふと何かを思い出したかのようにまゆをひそめる。

「うちは安心やけど、心配は堂島や。堂島みたいな客商売は、店の主の評判が第一や。よめもおらんような主は信用ならへんと言われかねんよって、必ずまた、嫁をどっかから連れて来よるよ。あんたは逃げられたけど、それじゃ終わらへん。また新しいお嫁さんが来て、あいつに殺されるんや」

 むなさきものきつけられたように、どきりとした。

(わたしは逃げたけど。その代わりに別の人がせいに)

 青ざめた佐名の顔色を知ってか知らずか、座敷童は明るく手をる。

「ほなね」

 手を振り返したが、佐名の頭は堂島ていそうぐうした異形の者のことでいつぱいだった。座敷童がこうを出て行くと、しばらくその場に立ちくす。

(わたしは逃げられた。けれど、また別の人がお嫁に行って、わたしの代わりに。わたしが逃げたから、また別の人が)

 佐名があのまま堂島家にいても、喰い殺されるのが関の山。佐名が死んだ後にはまた、新しい嫁が来て、殺される。そのり返しかもしれない。

 しかし佐名は異形の者を見ることができた。だから逃げられた。異形の者がいると知り逃げられるなら──、佐名はあのまま堂島の嫁になり、異形の者をしずめるためにほんそうすることもできたのではないか。

 それを考えもせず、ただきようられ、命しさに逃げ出した。

 その結果、別の人が死ぬ。

(そんな)

 冷水を浴びせられたような気になる。

「ご主人様? どうしました、ご主人様。顔色が急に」

 心配そうに茶釜が首を傾げた。

「別になんでもない。平気」

 そう答えた声は上の空だった。

(わたしは、どうしたら良いんだろう)

 青紀は、何もかもかしたような静かなひとみで佐名を見ていた。



 座敷童が出て行くのと同時に出て行こうと、佐名は考えていたのだが──青紀の目があり実行できなかった。

 しかも自分に突きつけられたものにこんわくし、行動を定められなかったのだ。

 夜になると茶釜は、「ご主人様の部屋です」と、家の西側、蔵へと続くろうに並ぶ部屋の一つに佐名を案内した。そこにはゆうぜんの布をかけた鏡台があり、きりだんがあり、ステンドグラスで作られたシェードが美しいランプも置いてあった。若いむすめのために整えられたらしい六じよう間は、ふすまがみがく模様のモダンなもの。

る」と茶釜には言い、佐名は部屋に引きこもった。

 茶釜によると、青紀は仕事をすると言っていたらしいので、彼も自室に入ったようだ。

 つうであれば嬉しいはずの可愛かわいらしい調度類も、今の佐名の目にはほとんど入らない。

 部屋の中央にたんして視線をさまよわせていた。

 丸窓の障子がぼんやりと明るい。花模様の透かしが入った障子紙が、れいだ。窓の外は庭のはず。今は夜だが、満月の明かりがあるかのように、家の周囲は常にほのかに明るいらしい。青いもやが家の周囲からくらやみはらっている。

(わたしは異形の者の存在を知っているのに、それをだれにも知らせず、自分だけ逃げて。それでまた、お嫁さんが死んでしまう)

 このまま何もしないのはきようだ。

 堂島家の誰も、異形の者の存在に気づいていないのだろうか。そうだとすれば知らせなければならない。存在を知って認めれば、堂島も手をこまねいてはいないだろう。なんらかの手を打つはずだ。

 だが、逃げ出した堂島邸にのこのこと顔を出せば、当然つかまる。

 筒乃屋のほうこう仲間の誰かに知らせて、その人経由で堂島に知らせるか、とも考えた。

 しかし「異形の者が家に取りいている」などとこうとうけいな話をまた聞きで聞かされても、堂島が真に受けるとは思えない。げ出した佐名が、下手な言い訳をしているのだろうと、そんなふうに思われるのがおちだ。佐名の名をせて知らせたらなおのこと、みような言いがかりをつけるなと、伝えてくれた人がしつせきされる。

 佐名の名をかくし、とくめいで手紙を出すことも考えたが、たちの悪い悪戯いたずらだと無視される可能性が高い。

 結局、方法は一つだけのような気がした。

 捕まるのをかくで、佐名が堂島琢磨に面会を申し込むことだ。心を尽くして、堂島家に取り憑く異形の者の存在を説き、手を打つべきだと説得する。それが最も確実だ。

 だが堂島琢磨が佐名の話を信じなければ、すべてが終わる。佐名は捕まって嫁になり、異形の者にわれ。堂島家にはまた新しい嫁が来て、また喰われて。その繰り返しは止まらない。

 佐名のうつたえが受け入れられるかどうかは、堂島琢磨の考え方やひとがらいかんに、かかっている。堂島琢磨の人となりを、くわしく知る者に話を聞きたい。あるいは誰かに、堂島の人となりを調べてもらうか──。

 調べるというところまで思考が転がると、ふと思い出す。

たんてい

 桂川龍介と名乗ったあの男は、青紀にたのまれて佐名をさがしたと言っていた。佐名を発見したのは、堂島にとつぐ前日だとも。

 佐名が堂島に嫁ぐと知れば、嫁ぎ先のことを多少なりとも調べている可能性はある。もし調べていなくとも、東京市で手広く商売をしている堂島骨董商会のあるじの情報が、探偵ならではのつながりで耳に入ってはいまいか。

(桂川龍介に会ってみようか。それから、どうするかを考えよう)

 何をするにしても、まずはこの家を出なければならない。

 そうと決めてしばらくねむった。ずいぶん深く眠ったような気はするが、やはり気がかりがあるせいか、障子窓の向こうがほんのり明るくなるころに目が覚めた。

 箪笥の上にあるはくらいの置き時計に目をやると、時計は六時をさしていた。明け方だ。家の中では物音一つしないので、茶釜も青紀も眠っているのだろう。

 今が絶好の機会だ。

「行こう」

 決意して立ちあがる。音を立てないようにふすまを開き長い廊下を通りけ、げんかんへ。

 今一度、誰の気配も周囲にないのを確かめてから、ぞうを履いて格子戸に手をかけたそのとき。

「どこへ行く」

 耳朶みみたぶに息がかかるほど近く、真後ろから声がした。

 びくんと飛び上がってふり返った佐名のこしうでが回され、体をらえられる。まつげが一本一本はっきりと見えるほど近くに、青紀の顔があった。あんそくこうの強いかおりが全身を包む。

「放して」

「どこへ行くと聞いているのだが?」

 青紀の瞳はこちらの心の内など見透かすかのような、一言で形容しがたい色だ。黒よりもなお底の深い色。へいたんしきさいではなく、中心点へ向けてしゆうれんしていくつややかな黒。

しがきかない)

 あやかしの目は、うわべの言葉などにまどわされないだろうと直感する。

「出て行く。わたしは、この家の主になるつもりはない」

 はっきり告げた。

「それに堂島家に憑いている異形の者の存在を、わたしは知ってる。知ってるからには、次のせいしやが出るのをだまって見ていられない。だから行く」

「なぜ堂島の異形の者が気になる」

「当然でしょう。誰かが犠牲になるのに」

「人間がどうなろうがほうっておけばいい」

「何言ってるの!? 誰かが死ぬのを、放っておけない」

 まずいものを喰わされたように、青紀はまゆをひそめた。

「おまえは、やはりちがう」

「何が違うの」

「今までの、わたしが知っている主たちとは違う。おまえは、人間の娘のようだ」

「わたしは人間よ。なんのことを言ってるのか、わからないし、もしわたしの何かが違うっていうなら、それこそわたしをここから解放して」

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