二章 小さな客人 二
女の子は、佐名が寝かされていた
女の子は
その間に佐名は、茶釜に案内されて家の中を見て回った。
家は大きな
長い
さらに不可解だったのは、築地塀の向こう側だ。ぼんやりと、浅草凌雲閣の
屋敷内の柱時計は三時をさしていた。堂島邸から
視線を頭の上にまで引き
「わたし、こんな家に住んでたの?」
揺らぐ浅草の景色を見つめて
幼い
「そうみたいですよ。僕は知りませんけど、
足元で茶釜が答えた。
「お母さん、どうしてこんな所に住んでたんだろう」
母親は何者だったのか。忽那青紀と知り合いだったのだろうか。そもそも彼は、なぜ佐名をこの家にさらってきて、主になれなどと命じるのか。十五年前は血まみれの姿で、佐名に
家の中を見て回ったが、一部屋、青紀の使っているらしい小さな
六
あのあやかしは、忽那青紀本人に
(人気作家が、あやかしなんて)
作家には個性的な人が多いと聞くが、まさかあやかしまで交じっているとは。
笑うに笑えない。
「目が覚めたら、まず、あの子にご飯を食べさせてあげないと」
「お料理なら僕がしますけど、材料を買いに出ないといけません。ご主人様、
「わたし、買い物に出て
「ぽん」
「忽那青紀は、家の外に出たら喰ってやるって」
「あれは、逃げようとしたら喰うぞっていう
「買い物ついでに、わたしがそのまま逃げ出したら?」
「そしたら帰宅した青紀様に、僕は腹いせに喰われます」
「逃げない! 逃げないから」
眠り続けている幼い女の子と、喰われる
逃げないと約束すると茶釜は安心したようで、柱時計が七時をさすのを合図にして、お勝手に行って買い物に出る準備を始めた。
お勝手は広い土間になっていて、
茶釜は買い物用の
「襟巻きは不自然じゃないかな。それ、とったら?」
子狸の変身能力には驚いたが、人間の子どもとしては
「おそろしいこと言わないでください。とれません。これ、僕の尻尾です」
「そこに尻尾?」
「ちょっと、おさめきれなくて」
「うん、まあ。じゃあ仕方ないか」
家を出るときに座敷を
一歩
門をくぐると、ふっと空気の
佐名と茶釜は、浅草の七區辺りとおぼしき、寺の本堂裏の墓地と、長屋の裏塀に
路面電車のベルが聞こえた。視線を
ふり返ってみると、出てきた棟門。路地の行き止まりに家の出入り口があるらしい。
(家の門を出た
「あの子に何を食べさせてあげようか」
茶釜に相談すると、子どもに化けた子狸は、考え深げに
「そうですねぇ。
「
「卵としらすの雑炊にしましょうか。しらすがあるんです。卵と三つ葉があれば。あと、
「
「柚は家の裏に植えてあるのでちょうど良いです。じゃあ、まず八百屋さんですね」
うきうきと
(
八百屋の主人の景気よいかけ声を聞きながら、晴れた空を見上げた。
異形の者に出会い、不可解な家に連れて行かれて、まるで悪夢の中にいるような
十五年間の、筒乃屋で過ごした
悪夢の一晩を
視線を感じた。茶釜は
(あれは、あのときの)
右目下の泣きぼくろが印象的な、昨夕
あのときは佐名に手をさしのべようとしていたふうに見えたが、今、彼が見つめてくる目には
(
友好的な色ではない。
八百屋で三つ葉と白菜、大根を買った後、生卵を買うために店を移動した。僧侶は道路を挟んだ向こうの歩道を、佐名と茶釜を追うようについてきた。
卵を買い終わってから、茶釜が
「ご主人様、今川焼きを買って帰りましょう。僕、あんこ大好き」
「わたしも好きだけど、早く帰った方が良いかも」
茶釜の背に手を当て、急ぎ足で歩む。
「どうしたんです」
「よくわからないけど。お
「え?」
きょろきょろと茶釜が視線を巡らしていると、ふいに横合いから出てきた男とぶつかりそうになった。
「すみません」
茶釜の
「や、すまんすまん。俺こそ、申し訳ない」
「今日はさすがに
「お嬢さん」という声には聞き覚えがあった。昨日、大通りを
昨日声をかけてきた男と、今日も
(この人、何者)
茶釜を背後にかばう。
「どちら様ですか」
「そう、警戒しなさんな。
彼が胸ポケットから取り出したのは
「……………………探偵」
職業が
「めちゃくちゃ怪しいです」
「ひでぇなぁ、おい」
言いながら男、桂川龍介は、突き返された名刺を胸にしまう。
「俺は忽那青紀に
「探偵さんに頼んでまで捜してた?」
そこまで
「昔から捜しているが、手がかりがないってことでね。俺を
そこで龍介は、にやりと口の端をつり上げた。
「まさか、結婚式直前に逃げ出すとは
「わたしは、あの人の何でもありません。示し合わせてもいません。わたしは、わたしの意志で逃げ出したんです。それで、恩人の優秀な探偵さんが何のご用ですか」
「別にたいしたことじゃない。あんた今は忽那青紀と
「探偵さんなら、流行作家の家くらい知ってるでしょう」
「それが、わからないのさ」
にやにやしている彼の目に、油断ならない光が
「高名な作家先生なのに、あいつの家は、出版社の編集者だって知らないんだよ」
「それを知ってどうするんです」
「あんたには関係ないことだ」
茶釜が佐名の
「ご主人様」
不安そうな声。
忽那青紀はあやかしだし、佐名を
(面倒と言えば)
ちらりと佐名は、道の向こう側を見る。そこには僧侶の姿。立ち止まってこちらを見ている様子から、
僧侶と探偵。
佐名はそろりと茶釜の体を抱き寄せ、身をかがめ
「逃げよう、茶釜。走るわ」
「おい!」
桂川龍介の
(逃げ切れる!?)
まともに走っているだけではすぐに追いつかれるので、路地に入り、彼らをまこうと試みる。しかし男の足は速い。ぐんぐん追いつかれていると感じた。
(どうしよう)
焦ったそのとき、佐名が手を引いていた茶釜がぴょんと
また視線を前に
歩調を
「良かった。逃げ切りましたね」
「うん。ありがとう、茶釜」
門の内側に入ると、茶釜は宙返りして
茶釜が道案内をしてくれたから、逃げ切れた。それにしてもよく簡単に、大の男を二人も
門の向こうを見て不安な気持ちになった。
あの僧侶は何者か。
そして探偵だという桂川龍介という男は、何を目的にして忽那青紀の家を探しているのか。
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