二章 小さな客人 一
「筒乃屋の奥様の
いや、と心の中で言い直す。それよりももっと
白い
半分開いた箪笥の
色彩や
(素敵だ)
「この家の
「あの、もっと普通の着物はないのかな?」
抽斗を開けながら、茶釜に問う。
「普通?」
「
開ける抽斗、開ける抽斗、
「ありません」
「そうか。仕方ないよね」
迷いに迷って、佐名は銘仙の花模様の着物を選んだ。佐名にとっては
(子どものとき以来)
毎朝奥様のお召し物を準備していた
乱れた
姿見の前に立ってみると、いつもの自分ではない誰かがそこにいる。
いつもより自分が、幸せそうに見えた。
身なりというのは不思議だ。身につけるもので人の
もしも母親に置き去りにされなかったら、この家でこんなふうに育っていたのだろう。
(ああ、だめ。また考えた)
「もしも」を想像するのは、つらい。しかも無意味だ。
母親なんて、
慣れたもので、すぐに心に
とにかく今は、忽那青紀を名乗るあやかしから
堂島から追われる身となったので、上方に逃げようか。ぐずぐずしていたら、連れ
青紀の命令通りこの家にとどまれば、当面は生きられるのかもしれない。ただそれで、いつまで無事でいられるのか。あやかしが佐名を、ずっと生かしておくとは限らない。
人でさえ──母親でさえ信用できないのに、あやかしなど信用できるはずもない。
(逃げるに、しくはなし)
決意を固めて蔵から出た。茶釜はとことこと佐名についてくる。
「お
「ありがとう。でもわたしはこの家を出て行くから、必要ないわ」
「へー。そうですかぁ。だったら……えっ!」
茶釜は佐名に追いすがり、着物の
「待ってください、ご主人様。そんなひどい」
「わたしを
「そりゃもうひどいです。
「昔ここに住んでいたから、主になれって言ってるみたいだけど、今更わたしは必要なの? ここにはあなたたちが住んでるんだし、わたしなんか必要ないはず」
「必要ありありです」
「そうは思わない」
「あるんです。だってこの家の存在は、あなたなしでは成り立たないんです! もう、ぎりぎりなんです。ご主人様がいなくなれば、近いうちにこの家は消えてしまう」
最後の格子戸に手を
「消える? 家が?」
「ぽん!」
茶釜が、こくこく
「家が消えるってどういう意味?」
こつこつと格子戸が鳴った。格子戸の
再び、格子戸の
「開けて。中に入れて」
こつこつ、こつこつと音が続く。
「開けて、開けて」
「開けて。お願い。中に入れて、お願い。うち、もう
関西なまりのある幼い声。佐名と茶釜は顔を見合わせた。
「
「お客様です」
こくりと
「お願い。開けて」
声は弱々しく、
「格子戸を開けないの? 茶釜。お客様なのに」
「この家の主人は、ご主人様なんです。だからお客様が来たときには、ご主人様しか戸を開けられないんです」
「わたしは主人になった覚えはない」
「この家の中にいれば、ご主人様はこの家の主なんです」
「そんなこと言われても」
しくしくと戸の向こうで、女の子は泣く。
「やっと逃げて来たんや。うち、もうくたくた。あんたが堂島
「堂島!? 逃げてきたって」
そうと聞いては放置もできず、思わず格子戸を開く。
そこには佐名の
女の子の目線までしゃがむ。
「
「うん」
「ひどい」
「中に入れて。お願い。もう歩けへん。休みたいのん」
女の子の体は不安定にぐらついていて、今にも
「どうしよう。ここに……」
今まさに、佐名は家を出ようとしているのだ。
当てもなく出て行くのだから自分の身すら
「わぁ、ひどい臭い。このお客様、すぐに洗った方が良いですよ。僕、お風呂を準備します」
子狸が、無礼にも鼻をつまんで言う。
「この子、家の中に入れても良いの?」
「ご主人様が良いなら、良いんですよ? この家の
子狸は基本的に害がなさそうだし、あやかしの忽那青紀も、今すぐ佐名を取って
(でも、でも)
女の子はふらついて、ことりと佐名の胸にもたれかかる。
「ああっ! ええい、もう! 仕方ない。茶釜。この子を
女の子を
(喰われたら、もうそのときよ)
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