一章 喰われる花嫁 二
米を
(お
米が炊ける香りがするということは、朝ご飯の準備が始まっているのだ。
顔に触れている布団の感触がなめらかで気持ちよく、体全体がぬくぬくとしていて、とても布団から出る気になれない。
ぐずぐずしていたら奥様が
奥様はきっちりと身なりを整えてから、朝ご飯の席に着く習慣だ。毎日違った
夫の目を常に気にしている奥様は、自分の身なりについて夫から何か言葉があろうものなら、大変だった。
(早く起きて、今日の奥様のお
それでも佐名は、奥様のお召し物の準備が大好きだった。身につける衣装によって奥様の気分が変わり、
今朝は何を準備しようか。和服ばかりでは
そこまで考えて、はてと不思議に思う。どうして黒留袖だったのだろうか。しかも佐名は、それを準備した覚えがない。
(ああ、そうか。
八
自分が座っている
周囲を見回す。
「……どこ、ここ」
起き上がると、音を立てないように襖の一つを開けてみた。
襖の向こう側は長い
(あの男の家?)
そうだとしたら、逃げなくてはならない。なんの目的で連れて来られたのかはわからないが、きっと
細く開いた襖の隙間から部屋を出ると、足音を殺して廊下を進み、用心しながら角を曲がる。その先に、四枚の戸からなる格子戸の
四枚並んだ格子戸は外へ向かって三層になっている。
一つ目の格子戸を開けると三歩ほどの
(あそこを出たら、真っ
そう思った自分が不可解だった。どうしてそう思ったのか、と。
(わたしは、この家を知ってる?)
三層になった格子戸には、どこか見覚えがある。
ふいに、一番外側の格子戸が開いた。
「
少年は怖々といった様子で細い声を出す。佐名は首を
「
声をかけたが、少年の視線は佐名に向かない。それどころか、無言で二つ目三つ目の格子戸を開き近づいてくると、
「なんだ? この家……。こんな家、近所にあったかな?」
少年はぶつぶつ言いながら、玄関をふり返り天井を見上げる。どうやら迷い込んできたらしい彼は、佐名の数歩手前で足を止め、周囲を見回しながらまた言う。
「誰かいませんか」
少年には、佐名が見えていない。
「ねぇ、坊や」
そのことが気味悪くなり、一歩踏み出して少年の
「誰かいるのか!」
「あの、ねえ。わたしのこと見えないの? 声は?」
少年の手に触れると、彼はまた悲鳴をあげた。さらにぴょんと
あっけにとられて見送った。
少年には、佐名の声も聞こえず姿も見えていなかったらしい。
(どういうこと)
まさか自分が
「参ったなぁ。死んでたら、どうしよう。どうしようもないけど」
とにかくこの家を出て、自分が生きているのか死んでいるのか、そこから確かめなくてはならない。立ち止まっていても
(
(とりあえず生きてるときと今は、あんまり変わらないよ。
ずいぶんな
目に飛び込んできたのは、真っ白な、ふわふわの生き物。
佐名の目の前にちょこんと座っているのは、くりくりした黒い
(この子……見覚えがある。まさか)
おそるおそる手を
「……あ」
この子狐の仕草には覚えがある。
「あなたなの?」
幼い佐名の
(あの男の香りだ。あの子は、あの男が飼っている?)
だとしたら間違いなく、ここはあの男の家なのだ。十五年前とおなじく若々しい姿で現れた男があの子狐の飼い主だとしたら、男と同様に子狐も年を取っていないということ。
しかしなぜ佐名の記憶にある子狐と、あの男が
少年と白い子狐が飛び出していった玄関の外は、
玄関の外は普通じゃない。
逃げたいが、あの滲んだ世界へ飛び出して良いのか。
その生き物は──
(狐の次は、狸!?)
目を見開く佐名の耳に、
「ご主人様!」
「ご主人様」と呼んだらしいが、佐名の耳には「ごとぅでぃんたま」と聞こえた。舌足らずの男の子の声だ。
「え?」
佐名は周囲を見回す。どこかに、子どもがいるのだろうかと。
「ご主人様。ご主人様。ここです、ここ」
声は佐名の足元からする。まさかと思って視線を落とすと、子狸が口を開く。
「ご主人様、お目覚めですか」
「………」
「あれ、反応がないな。
「……いや、ごめんね。起きてる」
「なんだ。良かった」
いや、良くないと、佐名は内心反論した。
「あなた……
「ぽん! あ、間違えた。はい!」
「狸……よね?」
「いいえ。僕は
「茶釜なの? お茶を
「道具にも化けられますけど、僕は道具じゃなくて、動物です。茶釜は名前です」
「じゃ、狸よね?」
「ぽん! 狸の茶釜です」
なんと、ややこしい。しかし問題はそこではない。狸が喋っているのが大問題だ。しかもなぜか、自分をご主人様と呼んでいる。
はははっと、
きっと自分は悪い夢を見ている。住み慣れた
からからと
(見つかった……しまった)
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