短編小説 テーマ:「自動販売機」

千歳 一

本文

 家の近所で、私は不思議な自動販売機を見つけた。

 それは古びた雑居ビルの一階、それも人通りの少ない裏路地に面した場所に位置している。知る人はほとんど居ないだろう。

 外見は一般的な自販機とさほど変わらないが、飲料メーカーのロゴは何処にも見当たらない。のっぺりとした灰色の塗装が丁寧に施され、一見するとさほど古いものでもなさそうだ。

 では一体この自販機の何が不思議なのかと言うと、そのだ。

 アクリルウィンドウ越しに並ぶ様々な飲料。そのどれもが、今まで見たことも無い商品だったのだ。

 私がこの自販機を最初に見つけたのは一ヶ月ほど前、たまたま通勤ルートをいつもと変えた時だった。裏路地の小汚い雰囲気の中でひときわ目立つその存在に、私はいつの間にか吸い寄せられていた。

 こんな所に置いて誰が買うのだろうと何気なくラインナップを見ていると、私はある違和感を覚えた。見覚えのある商品が一つも無かったのだ。

 展示されているサンプルが古いのかな? 最初はそんなことを考えていて、特に疑問は抱かなかった。だが何日か経つとやけにあの自販機の存在が気がかりになって、また会社に行く途中に裏路地を通ってみた。

 自販機は何も変わらぬ様子で佇んでいて、もちろん誰も買いに来る様子はない。

 改めて並べられた商品に目を通す。お茶に、炭酸飲料に、缶コーヒー……。一見すると何もおかしい点は無いが、やはり商品の名前は馴染みの無い物ばかりだ。

 試しにインターネットで検索してみることにした。ペットボトルのお茶の名前でGoogle検索をかけるが、それらしいものは何もヒットしない。画像検索でも同じ結果だった。

 一体どういうことだ……? 自分が見たことないならまだしも、ネットにも情報が無いなんて。私の中の違和感と、そして好奇心は強くなるばかりだった。

 誰かが趣味で作って置いたのか、それとも企業が非公開の実験を行っているのか。知る術はないが、今の私に出来ることは一つ。……買ってみる事だ。

 商品サンプルの下には値段が書かれてある。小さな缶の飲料で300、ペットボトルには450という表記。高すぎないか?

 だが、この好奇心を鎮める方法はこれしかない。小銭を入れ、恐る恐るボタンに指を伸ばす。公の場に置いてある以上、買って誰かに怒られることは無いだろう。

 私はボタンを強く、押し込んだ。

 静かな路地に、ガタンという音が響いた。

 思いのほか大きな音に鼓動が跳ね上がった。しかし、よく考えれば大して驚く程でもない。

 四五〇円も入れて飲料が出て来ない方が問題だ。私は深呼吸を一つ、高い心拍を鎮めようと努めた。そして、取り出し口に手を入れた。

 出てきたのはサンプルと同じラベルのお茶。やはり、どこのコンビニでも見ない銘柄だ。

 キャップを開け、一口飲んでみる。よくある緑茶と同じ味。少し茶葉が濃い気もするが、普通の「おいしいお茶」だ。

 ペットボトルを片手に一息つく。波が一気に引いたように、高揚感も鎮まり始めた。

 なんだ、こんなものか。さっきまで抱いていた子供のような好奇心も、実物を前にすると嘘のように消え失せた。どうせ無名の企業が出した新商品か何かだろう。私はカバンにペットボトルを突っ込むと、駅に向かって歩き出した。


 事態が再び動いたのはそれから一ヶ月後だった。

 家で何気なく見ていたテレビCM。私は思わずアッと声を上げた。

 いつかあの自販機で買った「あのお茶」が、有名女優と共に画面に大写しになっていた。カバンの中を見るが、もうあのボトルは無い。

 だが間違いない。私は一か月前、このお茶を確かに飲んだ。

 気が付くと、私は夜にもかかわらず家を飛び出していた。

 例の裏路地には街灯が一つもなく、夜ならば存在すら気付かれないだろう。だが私は知っている、その奥で煌々と輝く自販機の存在を。

 年甲斐もなく走ったせいか、すぐに息切れを起こしてしまう。肩で大きく息をしながら、自販機の元までやって来た。

 自販機のラインナップが、全て変わっていた。

 前に買ったあのお茶も、名前が印象的だったエナジードリンクも、もうどこにも見当たらない。

 その代わり以前とは全く異なる商品が、列を成して闇夜に並んでいた。

 どういう事だ。私は酸素の足りない頭で考える。

 さっきCMで見たあの商品は、確かに新発売として紹介されていた。

 そして、私はそれを一ヶ月も前に飲んでいる。


 

 

 やはり企業が何らかの調査のために設置を? だとしたら何のために? 何故、こんな所に? 

 その仮説を確かめるには、もう一度買ってみるしかない。私はポケットを探るが、そこで財布を忘れてきたことに気が付いた。

 取りに帰るのも面倒だし、また明日にするか……。そう思っていた時、私はあることを思い出した。スマホを取り出し、カバーを外す。裏には折りたたんだ千円札が挟まっていた。

 飲料の値段は相変わらず五百円近い。そして、そのどれもが見覚えのない商品名ばかりだった。私は熟考の末、前とはまた別の名前のお茶と、缶コーヒーを買うことにした。

 出てきた容器を取り出し、しげしげと眺める。よく見ると、製造元は有名な飲料メーカーとなっている。やはりこれらは愉快犯の仕業ではなく、なのだろうか……。

 

 その答えは、三ヶ月後に明かされた。

 ベテランの俳優が出演するCM、そこで新しい缶コーヒーの情報が解禁されたのだ。

 私の推測は確信へと変わった。俳優が手に持つ缶と、机の上に今置いてある缶、

 私は、未来から来た自販機に出会ってしまった。


 次の日、また「あの場所」へ行ってみる。

 ……やっぱりだ。商品が全部入れ替わっている。

 ただし値段が少し上がっている。私は五五〇円の水を買った。

 これも未来から来た水なのだろうか。少し容量が少ない気もするが、私はそもそも飲むために買っているのではない。

 限定的ではあるが、これは未来を見る装置だ。そう思えばこの値段設定も頷けるだろう。一体どういう理屈かは分からないが、私は世界の秘密を触れたような気がして、その時ばかりは童心に帰ったように心が浮わついていた。


 しかしその後、待てど暮らせど買った水の情報が出ない。胸を高鳴らせて待っていた私も、次第に気持ちが薄らぎつつあった。

 そしていつの日か買った水のことなど忘れ去った頃に、やっとCMで見覚えのある名前を目にした。あの日から、実に八年の月日が経っていた。

 どこかで見たようなデザインのラベルが私の頭の中を駆け巡り、私はやっとその正体に思い当たった。あの時と比べると物価は高騰し、その煽りを受けて内容量も少なくなっている。

 八年という歳月で私も心が老いてしまったらしい。確かに自分はあの水を誰よりも早くから知っている。だが、あの日買ったボトルを今さら探す気にはならなかった。過去に一瞬だけ取り戻せた熱い情熱が、今度はどうしても湧き起こらなかったのだ。

 一週間後、私は冷凍庫の奥で「あのボトル」を見つけた。カチカチに凍っている表面の霜を指で拭うと、消費期限は今年の年末と書かれてある。あの時は気が付かなかったが、こんな所にも「未来から来た水」を証明する印があったようだ。

 だが、見つけたからと言って何になる? あの水はもうどこででも売られている物となった。今さら未来予知だ何だと主張しても、おかしい中年の狂言にしかならない。

 そもそも「未来から来た自販機」だって、どう考えてもあり得ないだろう。当時の私は仕事ばかりで疲れていたに違いない。偶々見つけた珍しい自販機に妄想を重ねていただけだ。

 ……もう、あそこには近づかないようにしよう。夢を見て浮かれているような年でもないのだ。

 私は凍ったままのペットボトルを、ゴミ箱に投げ捨てた。


 それから一年が経ち、私は自販機のことなどすっかり忘れ、通勤ルートも変えてしまっていた。仕事に明け暮れる日々、定年退職も見えてきたような年だ。そろそろ人生の去り際について考え始めた方がいいかもしれない……。


 あの自販機に、また出会ってしまった。

 どのような偶然か、気付けば私は会社帰りに裏路地まで来ていた。

 路地の入り口からでもはっきりと見える。自販機は九年前の姿のまま、無表情な灰色で佇んでいた。まるでそこだけ一切の時間が流れていないかのように、ただ単調にボタンのLEDが点滅している。

 もう忘れたと思っていたのに……、過去の記憶が次々と蘇り、線で結ばれ像を成した。そうだ、私はここで「未来の飲み物」を……。

 惹かれるように近づき、どんな商品が入っているか確かめようとする。半信半疑でありながら、「未来を知る」という行為に一抹の不安を覚えながら。

 

 品揃えは、すべてが水になっていた。

 どうなっている? 私はアクリル板に顔を近づけ、サンプルを凝視した。何かおかしい、以前はこんなに偏ってはいなかったはずだ。

 よく見るとラベルの部分に、見慣れない言葉が書いてあった。


 『変異型フレアウイルスを100%殺菌! 致死率を10%以下にする超高濃度電解アルカリHyper Bioウォーター』

 

「なんだ、これは……」

 思わず口に出していた。他のすべての商品にも、似たような文言が書き連ねてあった。

 なぜこんなに大量に……、全くもって訳が分からない。

 いや、少しだけ、分かることもある。

 この水は「変異型フレアウイルス」なるものを殺菌する効果があるらしい。聞いたこともない名前だ。

 念のためスマートフォンで検索をしてみる。一件だけ小さなニュース記事がヒットした。遠くの発展途上国で30人が死亡したという内容だった。

 心の奥底から染み渡るような恐怖が湧いてきた。

 「未来から来た自販機」。最初はただの娯楽程度に考えていたのに、私は何かとんでもない事態に巻き込まれているのかもしれない。「見るんじゃなかった」。もう遅いと知りながら、重苦しい後悔が私の中で渦巻いていた。

 私の行動は決まっていた。すぐに財布を取り出し、紙幣を投入口に差し入れる。商品の下には「1000」という数字。

 ボタンを押す、しかし反応しない。どのボタンを押しても何も出てこないのだ。

 もしやと思い、一万円札を投入した。少しの躊躇と共にボタンを押し込むと、それはあっけなく出てきた。お釣りは、返ってこなかった。

 水を取り出してみる。ボトルに触れると何故か異様に冷たい。それに、とても重い。見ると容器は金属製だった。一体中に何が入っているというのか。

 あまり人前に出さないようにすぐに鞄の中にいれた。こんなものを見られては、何と言われるか分かったものではない。 


 それよりもまず、この水を使うような未来が来ないことを祈らなければならない。私は逃げるように自販機を後にした。背広の下はぐっしょりと汗をかいていた。



 結論から言うと、「その未来」はやって来た。

 あの日から二十五年後、世界中で「変異型フレアウイルス」が猛威を振るった。僅か半年で十万人以上が死亡し、治療薬も予防策も追い付かないまま、棺の数だけが増え続けた。

 やがて先の見えない不安に乗じてか「ウイルスを消す!」と銘打った様々な商品が売られるようになった。名前も聞いたことが無いような会社が次々に怪しい食品などを出し始め、それはスーパーの一角を独占するまでに至った。

 そして、それらは飛ぶように売れた。根拠のない話を信じないようにと警告する識者の声も届かず、人々は目先の謳い文句に飛び付き、高額の金を支払い、そしてウイルスに感染して死んでいった。

 一方、私は隠居する生活が功を奏したようで、高齢の身でありながら難を逃れた。この町でも多数の感染者が出たようで、近所の人々は皆引っ越してしまった。

 あの日買ったボトルは、今でも開けずに部屋の隅に転がっている。本来は五百円ほどで売られていたようだが、今ではすでに一万円を越えて取引されているようだ。 

 私はこの「未来の水」を、飲むことも捨てることもしなかった。

 いや、できなかったのだ。

 あの日、私はこの飲み物に出会い、確かに「未来」を知った。しかし、同時にそのまま見て見ぬフリをした。私は世界を見殺しにした。その罪悪感があるから、どうしても触れたくなかったのだ。

 未来を知ることには、それ相応の責任が伴う。事態が大きくなればなるほど、その役割も重要性を増す。

 どれだけ狂人の戯れ言と一笑に付されようとも、私はあの時、やがて訪れる未来について声を上げ続けなければならなかったのかもしれない……。


 そういえば、さっきから外が騒がしい。私はカーテンを少し開けて外を見た。家の前に軽トラックが止まっていて、数人の男が何やら言い合っている。

 重い腰を持ち上げ、何事かと玄関に向かう。この歳でまだ足腰が立つことは、私の誇りでもあった。

 表の道路には、荷物を積んだ軽トラックが立ち往生していた。

「すいません、エンジントラブルでして……」

 作業服を着た男の一人が駆け寄り、申し訳なさそうに言う。

 聞くと、近くの雑居ビルが老朽化のため取り壊しになったそうだが、所有者が不明のため解体できない物が出てきたと言う。

 話半分に聞いていた私は、ふと荷台の上の物を見て絶句した。


 あの自販機が、積まれていたのだ。

 その時、ボンネットを弄っていた男が声を上げた。トラブルが直ったのか、トラックは大きく車体を揺らし、それを合図にエンジンが掛かった。自販機が揺れで倒れないよう、数人掛かりで支えている。

 私はとっさに言おうとした。それは未来の飲み物が買える自販機で、私はウイルスが流行する未来をこの目で見たんだ──。 

 口に出そうとしている間に、トラックは走り去ってしまった。


 言えなかった。いや、言いたくなかったのだ。私は保身のために、口をつぐんでしまった。変なことを言うボケた老人と思われたくなかったから。そして、あれほどの経験をしてもなお、完全に信じることができなかったから。 

 走り去るトラックが見えなくなるまで、私は呆然と眺め続けた。

 やがてとぼとぼと家に戻り、玄関の戸を閉める。

 

 次の瞬間、私は床に泣き崩れた。

 涙が止めどなく溢れ、人目も憚らず嗚咽を漏らして泣きじゃくる。とても老人とは思えない様子だっただろう。私は泣いて、泣いて、泣き続けた。

 殺人ウイルスの流行を知りながら止められなかったから? 自販機を運ぶ彼らに本当のことを言えなかったから? 

 あの自販機に、もう会えないから?

 

 どれも違う。




 トラックが車体を揺らした時、荷台から何かが落ちた。それは自販機に並ぶ商品サンプルだった。私は意図せず、地面に落ちたそれを見てしまった。


『世界の滅亡から絶対に救われる、ガジャマヒエヌゴ・ウンダリーナーアパッティガヂヂヂルドリンク』

  

 

 何故運命はこんな非情な仕打ちをするのか。私が一体何をしたと言うんだ。


 知ってしまった現実から逃れるかのように、私はいつまでも地面にうずくまって泣き続けた。

 



終わり

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短編小説 テーマ:「自動販売機」 千歳 一 @Chitose_Hajime

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