第48話 そこには確かに幸福が

 レナ達、式典の警備組が第二師団の詰め所に向かっている頃、ハングとラウネは王城の最奥に居た。謁見の間の扉の前に立ち、ラウネは欠伸をこぼす。


「昨日ぶりだな」

「昨日というか八時間前だけどね」

「細けえな」


 ゆるく拳を振ってハングを殴ろうとしながら、ラウネは大きく口を開けた。涙が浮かんだ目をこすって、どうにか眠気を追い払う。


「眠そうだね、体力が衰えて来たんじゃない? 引退したらどうだい?」

「お前だって目元の隈がひでえぞ。お前が先引退しろ」


 扉の内側で鍵を開く音がする。背筋を伸ばしたハングは、ちらりとラウネに視線を向けた。


「陛下の前で欠伸はするなよ」

「誰に言ってんだ、馬鹿野郎」


 ラウネは横目でハングを睨んで、姿勢を正す。白く大きな扉が内側に開き、二人は足並みをそろえて、中に足を踏み入れた。視線を交わすわけでも、合図をしているわけでもないのに、二人の歩幅はぴったりと合っている。


 部屋の中ほどで片膝を立て、深く頭を下げた。


「顔をあげよ」


 王のよく通る声を合図に二人は頭を上げる。王は柔らかく笑って、二人と順に視線を合わせた。


「昨晩ぶりじゃな。そなたらが朝から来るとは珍しい」


 王はそこで言葉を切り、笑みを深める。


「何が、あったのじゃ」


 僅かに震えた声が空気を揺らした。ラウネは鋭く息を吸い込んで、まっすぐに王を見つめる。


「ディアルム皇太子殿下の生存が確認されました」


 王が息をのんだ。驚いたように目を見開き、口元を手で覆い、その両目に涙を浮かべる。ラウネは王と視線を合わせたまま、言葉を続ける。


「先日、警ら隊南二番地支部が襲撃されるという事件が起きました。ディアルム・エルガーは、その襲撃の主犯格であると推測されます」


 王はラウネの目を見つめ返し、ハングに視線を移した。涙が膨れ上がって、頬を伝う。王は深く息を吐いて、椅子に深く沈んだ。


「また献上品紛失事件、二年前のモナルク学院教員殺害事件にも、同様に関与している可能性があります」


 ラウネは視線の合わなくなった王の顔を見つめたまま、話を続ける。


「昨晩、王立第一書庫を調べた結果、ディアルムの目的は、不死の心臓の入手、及び不死の心臓を使った世界の改変であると判明しました」


 ラウネは淡々とした声で説明を続け、警備計画の部分まで話し終えると、記録係ロマンシェの傍によって警備計画書を手渡した。王はその間、何も言わずただ静かに話を聞いていた。記録係ロマンシェから渡された計画書に目を落とし、王は小さく声を上げる。


「間違っていたと、思うか」


 弱く、か細い声だった。計画書の端を握りしめて、王は言葉を重ねる。


「ディアを生かした我の決断は、間違いだったと思うか」

「いいえ」


 ラウネの強い声が部屋の空気を揺らす。王は目元に力を入れながら、ラウネの目を見返した。


「いいえ、陛下」


 もう一度はっきりと、ラウネは言葉を紡いだ。


「ディアルムの生がどんな結果を迎えるとしても、彼のやろうとしていることがどれほど罪深くても、ディアルムが戻りたいと思える過去を手に入れたことは事実ですから」


 空気を揺らすラウネの声を聞きながら、ハングは唇を噛む。この場に必要のない言葉を、吐いてしまわないように、じっと息を殺す。


「戻りたいと思える時間を得られた事、また会いたいと思える友に出会えたこと。どちらも、とても幸福なことです」


 ラウネは、一言一言、ゆっくりと言葉を重ねた。


「陛下が、赤子のディアルムを殺さなかったから、生まれた幸福です」


 王はラウネの目を見て、小さく笑みを浮かべる。


「そうじゃな」


 囁くようにラウネの言葉に同意して、王は警備計画書に名前を書き込んだ。王の同意を得られたことで、警備計画は本格的にスタートする。記録係ロマンシェによって手渡された紙を両手で受け取って、ラウネは立ち上がった。同時に腰を上げたハングと並んで、二人は謁見の間を後にする。


 背後で扉が完全に閉まったのを確認してから、ラウネは深く息を吐いた。肩から力を抜いて、一番上までとめていたボタンを一つ外す。隣で背筋を伸ばしたままのハングに視線を向け、すぐに前に戻した。


「お前は、間違ってたと思うか」


 ハングは前を見たまま、口を開く。


「私は初めから反対派だよ」


 ラウネは視線を下げて「そうだったな」と呟くように声を落とした。二十年余り前に交わした口論を思い出して、ラウネはさらに俯く。ディアルムを王にすることで悪魔の血を引く子チャピー・ドゥ・ディビルへの差別を無くせる、とかつてのラウネが頭の中で理想を語る。


 無意識にため息をこぼしたラウネの頭にハングの肘が落ちた。


「いってぇ!!」


 肘が刺さるように鋭く命中したつむじを押さえて、ラウネは声を上げる。痛みへの反射で涙目になりながら、ラウネはハングを見上げた。


「何すんだ、てめえ」


 ハングは前を見据えたまま、言葉を吐く。


「君が間違っていなかったと胸を張って答えたんだろう。くよくよするなよ、らしくない」


 ラウネは頭をさすりながら、吹きだすように笑った。薄暗い廊下を抜け、窓から日が差し込む南側の階段に出る。朝日の鋭い光に照らされた階段を降りながら、ラウネは肩を震わせた。


 笑いの波が引くと、ラウネは数歩先を進むハングの肩めがけて、鋭く拳を突き出す。軽々とその拳を避けたハングは、足を止めて振り返った。


「何するのさ」

「先に手ぇ出したのはお前の方だろ」

「くよくよ悩んでいたから慰めてあげたんだろう? 恩人と呼んでほしいくらいだね」

「呼ぶわけねえだろ。慰めるの意味知ってんのか、お前。辞書引いてやろうか?」

「へえ。君、辞書なんて持っていたの?」

「持ってるに決まってんだろ。お前、俺を何だと思ってんだよ」


 ラウネの蹴りを避けて、ハングは歩みを再開した。


「ちょっと賢い戦闘犬」


 ラウネは鋭く拳を突き出して、ハングの横に並ぶ。


「マケリに目ぇ診て貰えよ、悪いのは脳かもしれねえけどな」

「残念だったね、私はすこぶる健康だよ」


 ハングは肩をすくめて、小さく笑みを浮かべた。ラウネはハングの膝を狙おうとした足を下げて、ため息を吐く。


「そりゃあ、おめでとさん」

「……どうも」


 ハングは笑みを収めて、顔をそっぽに向けた。


「私、君のそういう所が本当に嫌いだよ」


 ラウネは驚いたように目を見開いて、小さく笑い声をあげる。


「そりゃどうも」

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