第47話 怪物はどこに居たのでしょう

 第二師団詰め所にて行われることになった合同訓練に参加するために、レナは荷造りを進めていた。ひとつになる日アインスデー当日まで、第二師団の面々と生活を共にすることになっている。久々に会う同期の顔を浮かべて、レナは小さく笑った。


「レナ」

 部屋の外からチーニの声が聞こえて、レナは荷物をまとめる手を止める。扉を開くと、目元に涙の跡を残したチーニが笑みを浮かべて立っていた。


「支度は順調?」


 部屋の中には視線を向けずに、チーニは首を傾げる。レナは口角を上げて、頷いた。


「はい。用意してくださる宿舎に結構色々あるみたいなので、持ち物もそんなにないですし」

「そっか。それは良かった」


 そう言葉を落として、チーニは俯く。表情が見えなくなって、見えないまま、笑いを含んだ声がレナの鼓膜を揺らした。


「昨日は、ごめんね」

「え? あ、いえ。私は、なんとも、ないです」


 レナが歯切れ悪く答えると、チーニは笑いながら顔を上げる。目元に涙の跡が無ければ、いつも通りに見える完璧な笑みだった。


(この人は、いつから、こんな風に嘘を吐けるようになったんだろう)


 背筋を伸ばしたチーニの顔を見上げて、レナは心臓が痛むのを感じる。


「体調は? もう大丈夫?」

「あ、はい。大丈夫です」

「そっか、よかった」


 チーニはレナの表情を観察して、小さく笑みを浮かべる。目を合わせて「じゃあ、気を付けて」と言葉をかけてから背を向けた。


「あの!」


 廊下を数歩進んだところで、背後から声がかかる。少し震えたレナの声に、チーニは首だけで振り返った。


「なに?」


 レナは鋭く、短く、息を吸い込んだ。


「先輩は、大丈夫ですか」


 真っすぐな心配がチーニの心臓に直接届いた。チーニは目を細めて、綺麗な微笑を浮かべる。


「僕は、大丈夫だよ」


 突き刺さる後輩の視線から顔を背けて、チーニは廊下を進み、階段を下った。誰もいない一階の会議室を抜け、外に出る。


 扉の向こうにはトランクに座って目を瞑るニフが居た。ニフは顔をこちらに向けて「チーニ?」と首を傾げる。


「そうです。よくわかりましたね」

「分かるよ。足音は覚えてる」

「なんで目瞑ってるんです?」

「久しぶりの朝日が眩しくて」


 目を閉じたまま、ニフは空に顔を向けた。灰色の髪が朝日を反射してきらきらと光る。チーニはニフの傍に腰を下ろした。地面の冷気が服越しに体を冷やす。


「ねえ、チーニ」


 空を見上げたまま、ニフは口を開いた。チーニは目を閉じて答える。


「何ですか」

「チーニは歴史記録書の一巻、読んだことある?」

「ありますよ」


 チーニの瞼の裏の暗闇には誰もいない。


「チーニはさ、本物の怪物は誰だったと思う? 人ならざる力を持っていた青年か、彼女を愛した少女か……どっちが、化け物だったと思う」


 瞼を閉じたまま太陽の光を見つめて、ニフはいつもより僅かに低い声で問いかけた。


「なんでその二択なんですか。怪物だったのは、自分たちと違う青年を受け入れず、石を投げた外野の人々でしょ」


 思いもよらない三択目の答えに、ニフは吹きだすように笑う。肩を震わせて笑いながら、目を開いてチーニに顔を向けた。


「君は、何というか、あははっ」


 笑いながら言葉を紡ごうとして、結局笑い声に飲み込まれる。チーニは何度か瞬きを繰り返して、口をへの字に曲げた。


「なんですか」


 不貞腐れた顔で自分を見上げるチーニに笑い声を返して、ニフは目元に滲んだ涙を拭う。


「泣いてます?」

「泣いてねーよ、笑いすぎたの」


 目ざとくニフの仕草を見つけた後輩の髪をかき混ぜて、ニフはまた笑った。人とは違う感性を持っていたせいで、石を投げられた幼いニフが、その心臓の奥で泣きながら笑っていた。

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