第44話 王への反逆は思想すら罪である

 三人が地上に出る頃には、太陽は空の真ん中を通り過ぎ、西側に傾いていた。


「一巻はどんな話なの?」


 学院を出て、王城に向かいながらニフはハングに問いかける。ハングは眉を上げ「あぁ」と呟いて、視線を前に戻した。


「人ならざる力を与えられながら、人を愛した、哀れな男の末路だよ」


 ニフはその抽象的な答えに首を傾げたが、それ以上問いかける前に、三人は王城にたどり着く。天気が良ければ国中のどこからでも見える、背の高い白亜の城。


「いつ見ても大きいねぇ」


 ニフは首を後ろに倒して、城を見上げる。ラウネは金の通行証を取り出して、入り口を警備している第一師団の団員に近づく。団員は近づいてくる人影がラウネだと分かると、敬礼しながら姿勢を正した。


「ラウネ団長! お疲れ様です!」

「おう。お疲れさん」


 ラウネは通行証を見せながら、後ろの二人を指で示す。


「ハング第二師団団長は俺の同伴だ。ニフ、お前も自分の通行証見せろ」


 ラウネに顎で示されて、ニフは首元からネックレスを引き出した。同じ鎖に掛けられた通行証と金のリングが揺れる。


「ニフクリート一等士官! お疲れ様です!」


 団員はまた敬礼しなおして、ニフに視線を向けた。団員と目を合わせ、その顔から体にかけてじっくりと視線を動かしてから、首を傾げる。


「……君、誰だっけ」

「へ」


 団員は間抜けな声を上げた。ニフは口を丸く開けて固まる団員に通行証を差し出す。ラウネは深くため息を吐いた。団員は戸惑いながらも、ラウネとニフの通行証を確認する。


「ご本人のものと確認できました。中にどうぞ」


 背後の扉を外側に開いて、団員は三人を王城に招き入れた。扉を潜り抜けながら、ハングは小さく笑い声をあげる。


「相変わらずニフは人の顔を覚えるのが苦手みたいだね」

「毒薬の知識で脳の容量がいっぱいだからねぇ」


 ニフは目を細めて笑みを深めた。ハングとラウネは王城の複雑に入り組んだ廊下を迷いなく進む。ニフはその後を追いながら、装飾の行き届いた壁や床に視線を向けた。壁紙やドアの装飾など至る所に、ラクリアの花の模様が使われている。


「ラクリア家は王様の側妻かなにかだったの?」


 ニフの問いかけにハングは吹き出し、ラウネは「ハァ?」と声を上げた。眉を寄せて振り返るラウネにニフは壁を指さす。


「ほら、壁にも床にもラクリアの花ばっかりだ」


 ラウネは眉間の皺を緩めて、笑みを浮かべた。


「ちげえよ。この城、つうか、この世界を作った一人の男が、唯一愛した人間がラクリアって名前だったんだよ。ラクリアは、その少女をイメージして作られた花だ」

「ふぅん」


 ニフは壁の花に視線を向ける。蕾、咲いている時の花、散っている花びら。花の一生が余すことなく、丁寧に描かれている。ニフは愛を込めて描かれたであろう散りゆく花びらを指でなぞった。


「死んでも愛してる」


 ニフの口から滑り落ちた小さな呟きに、ラウネは首だけで振り返る。


「どうかしたか?」


 ニフは壁から手を離して、ラウネに微笑みを向けた。


「いや。なんでもない」


 立ち止まってニフを待つ二人の間に並んで、三人は王城の最奥を目指した。


❖❖❖


 チーニは自室のベットで天井を見上げていた。ぼんやりとした頭に、何度も先程見た光景が浮かぶ。人を刺す男と、屋根からチーニを見下ろしたディア。その二つが上手く重ならなくて、チーニは強く奥歯を噛んだ。


(ねえ、ディア。君は今、何を考えてるの)


 閉じた瞼の裏で笑うディアに問いかけても言葉が返ってくることはない。


(ねえ、ルーナ。僕はどうしたらいいんだろう)


 自分の中心で脈打つ心臓に語り掛けても、声が聞こえることはない。自分のやりたいことも、進むべき道も、見えなかった。ただ、優しかったディアが人を殺したという事実だけが受け入れられずに、内側から怒りの炎がチーニを焼く。


(ねえ、ディア、君はあの日、こんな風に怒っていたの?)


 四年たった今でも、ルーナをチーニが殺したあの日に、頭を抱き寄せた手の温度を思い出すことが出来る。何度も掛けられた言葉の優しい響きを、チーニは今でも、鮮明に覚えている。


 瞼の内側で涙が盛り上がって、目じりから頬を伝った。


(僕がルーナを殺したことを、こんな風に怒っていたの? こんな風に怒りながら、僕に『お前は悪くない』って言ってくれたの?)


 チーニは一人きりの部屋で、静かに涙を流す。あの頃のディアの優しさが痛くて。彼の中にあったであろう怒りを蔑ろにした過去の自分が許せなくて。チーニは目を閉じたまま、長い事、泣いていた。


❖❖❖


 王城の最奥にたどり着いたラウネたちは、制服の襟を正して、謁見の間が開くのを待つ。ニフは腰を屈めて、隣に立つラウネの耳元に口を寄せた。


「王様って怖い人?」


 ラウネは視線を前に向けたまま小さく笑って、ニフに囁き声を返す。


「いい人だよ」


 内側で鍵の開く音がして、ニフは背筋を伸ばした。白い扉が開き切ってから、ラウネとハングは足並みをそろえて中に入る。ニフはラウネの斜め後ろに続く。部屋の真ん中まで進んだところで、ラウネとハングは床に片膝をつけ、頭を深く下げた。ニフもラウネの半歩後ろで同じように首を垂れる。


「顔をあげよ、そなたらの顔が見えぬのは少々つまらぬ」


 よく響く声だった。ハングの白いコートとラウネの黒いコートが同時に揺れて、二人は顔を上げる。ニフは頭を下げたまま、視界の端でそれを捉えた。


「火急の用と聞いたが……我に力を貸せることであれば喜んで叶えよう。何が望みじゃ?」


 ハングは笑みを浮かべて、国王と目を合わせる。


「先程、モナルク学院書庫に保管されていた王政歴史記録書が三冊、持ち出されていることが判明しました。盗難にあったのは、一巻、五十二巻、五十三巻の三冊です」


 黙って話を聞いていた王は、ゆるりと口角を上げて、口を開いた。


「そなたらは我に記録係ロマンシェの書庫を開放せよ、と言いたいのじゃな?」

「はい」


 ラウネは頷いて、頭を下げる。ハングも顔を俯かせた。


「ラウネ・プルミエ第一師団団長及び、ハング・カルト・リペラル第二師団団長の両名は、団長権限を行使し、王立第一書庫の開錠を願います」


 王は二人の後頭部を順に見てから、すぐ傍で記録書に纏めるための情報を書き記していた記録係ロマンシェの方に顔を向ける。視線を向けられた記録係ロマンシェの女性は小さく頷いて、胸元から一本の鍵を取り出した。


 記録係ロマンシェはチェーンから鍵を外し、両手で王に鍵を差し出す。鍵を片手で受け取って、王は口を開いた。


「ラウネ、ハング、顔をあげよ。我、アモル・レーベン・ロワは団長権限の行使を認め、王立第一書庫の鍵を、ラウネ・プルミエに一時的に譲渡する。返却期限は夜半の鐘が鳴り終わるまでじゃ」


 王の言葉が途切れたところで、ラウネは立ち上がって前に進み、差し出された鍵を両手で受け取る。王とラウネの顔が近づいた一瞬に、ラウネの耳に小さな声が落とされた。


「あの子を、頼む」


 ラウネは深く一礼して、王に背を向け、元の場所に戻る。王は緩やかな微笑を浮かべて、扉の傍に立つ第一師団の団員に視線を向けた。団員は扉を開く。


「そなたらの働きで、この国がより良い場所になることを祈っておる」


 三人は深く頭を下げてから、立ち上がり、謁見の間を後にした。




 途中で第一師団の詰め所により、チーニを連れ出したラウネたち一行は、王立第一書庫に居た。書庫を管理する記録係ロマンシェに無くなった本を取り出してもらい、四人は本を囲んで丸くなる。


「一巻はこの世界の創生に関わる本だから、恐らくこの事件にはそれ程関係ない」


 ハングは一巻を机の端に寄せた。


「問題は五十二、三に何が書いてあるか、だな」


 ラウネの言葉にチーニが頷く。ハングが小さく息を吸い込んでから、本を開いた。


「第二王位継承者による反逆と」


 ハングは本の扉に書かれた題名を呟くように読み上げる。


「彼が不死の心臓を手にした際に行われた世界改変について」


 小さかった声は、読み進めるにつれてさらに小さくなった。その場に居た誰もが息をのみ、次いで眉を寄せる。ハングはページをめくった。


「国王陛下の弟君である××殿下が、ラクリア家を襲撃し、不死の心臓を奪取。その後、修繕士の一人が不死の心臓を××殿下に移植。××殿下は初代王の力を継承し、世界の改変を行った」


 文章を指でなぞりながら読み上げたハングは、小さくため息を吐く。四人の間に沈黙が落ちる。全員がディアの狙いを理解していた。


 それは、大事な人を失った人間が、当たり前に浮かべる願い。


 それは、深い後悔を抱いた人間が、当たり前に浮かべる祈り。


「全部やり直したい」


 沈黙を破ったのは、チーニの声だった。焦点の合わない瞳は、記憶の向こうにいるディアに向けられている。声が出ていることにも気が付いていない様子で、チーニは言葉を続けた。


「ルーナが死んだこと、僕が彼女を殺したこと。ぜんぶ、無かったことにして、やり直すつもりなんだね、君は」


 涙を含んで湿った声が、チーニの口から滑り落ちる。チーニは強く手を握った。その言葉を聞いていたラウネは、眉間に皺をよせ、本に視線を落として、わずかに目を剥く。


 ラウネは素早く五十三巻のページをめくり、世界の改変が行われた後の記述を見つけると手を止めた。


「初代王の長男の子孫である王族に加え、初代王の次男の子孫である記録係ロマンシェにも、改変前の記憶があったことから、初代王の血を引く者には改変時の記憶修正が効かないものと考えられる」


 ラウネの言葉が終わると、ニフはゆるく笑った。


「なるほど、ディアが全てをやり直すためには、王族も記録係ロマンシェも皆殺しにしなくちゃいけないわけだね」


 ラウネは深くため息を吐く。


「グレーが黒になりやがったな」

「ええ。これで、ディアルム・エルガーは、僕ら第一師団の罪人です」


 チーニは平坦な声で、そう呟いた。

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