第43話 きっとそこから始まっていた

 第二師団の団長に与えられる銀の通行証を使って、ハングは王都に足を踏み入れる。その顔に表情はなく、ただまっすぐに目的地に向かって足を動かす。王城の前を素通りし、学院に続く道を横に逸れ、第一師団の詰め所前に立ったハングは小さく息を吐き出した。


 そして足でドアを蹴り開ける。


「おいおいおい、足癖悪ぃぞ」


 中でお茶を飲んでいたラウネが、ハングに視線を向けた。


「一度やってみたくてね」

「イタズラは自分の部屋でやれ」


 ラウネのこめかみに青筋が浮き出る。ハングは肩をすくめて「私の部屋のドアが壊れたら困るだろう?」と言葉を返した。


「お前は凍えたくらいじゃ死なねえから誰も困らねえよ」

「ハング団長が死ぬかどうかは知らないけど、俺の研究室まで揺れたのは困るねぇ」


 地下室から顔を出したニフがゆるく笑う。綺麗に空気を揺らしたニフの声は、耳に余韻を残して消える。


「揺れたかい? それは申し訳ないことをしたね」


 ハングは小さく笑ってニフに言葉を返す。それから室内に視線を向け、そこにチーニが居ないことを確認してから口を開いた。


「君の通行証が居る。ちょっと来てくれる?」


 ラウネは眉間に皺を寄せて、首をひねった。


「どこ行くつもりだ?」

「学院の地下書庫」

「は? なんで今」

「行けば分かる」


 ハングはラウネの返事を待たずに、第一師団の詰め所に背を向けた。ニフも地下室からごそごそと出てきて、その隣に並ぶ。一人入口に取り残されたラウネは、慌てて詰め所の鍵を閉めて二人を追った。ニフの隣に並んで、ラウネは眉を寄せる。


「お前はなんでついて来てるんだよ」


 ラウネの問いかけにニフは緩やかに口角を上げた。


「俺のジェニーをレナに貸していて暇だから」


 細められた瞼の隙間から覗く灰色の瞳がラウネを射抜く。ラウネは小さくため息を吐いた。


「物扱いすると怒られるぞ」

「物扱いしてるわけじゃないよ、宝箱の中に閉じ込めてしまいたいと思ってるだけで」


 笑いを含んだ声で言葉を紡いだニフを、ラウネは半目で見やる。ニフは肩を震わせて笑った。笑みを収めて、視線を前に戻してからニフは言葉の続きを口にする。


「そんな顔しなくても、今はしないよ」


 ラウネは小さくため息を吐いた。


「合意の上なら止めねえけど、ジェニーを引退させるなら、代わり見つけてからにしろよ」


 ニフはわずかに目を見開いて、それから吐息に混ぜた笑い声をこぼす。


「団長は相変わらず心が広いね」


 ラウネは眉を寄せて首を傾げた。


「何の話だよ」


 ニフは笑みだけを返して、前に視線を戻す。ラウネもつられて顔を前に向け、学院の門が見えてきたことに気が付いて気を引き締める。それからニフの奥にいるハングを横目で見た。その口元に笑みはなく、長いまつ毛に縁どられた瞳には光がない。視線を進行方向に戻して、ラウネは小さく息を吐いた。



 学院の中に入り、学院長の許可を取り付けたハングたちは図書室に居た。カウンターの奥に座っていた司書は、急に現れたお役人に目を見開き、動揺しきった様子で彼らを迎える。


「俺たちが地下書庫で調べ物をしている間、図書室を閉鎖したい。頼めるか?」


 ラウネの問いかけに小刻みに頷き、司書は鍵をもって扉から出ていく。その度が過ぎた怖がり方に疑問を覚え、ラウネは背後に視線を向けた。それから深くため息を吐き、無表情でカウンターの奥を見つめるハングの腹を強く殴る。みぞおちに鋭い拳が命中したハングはせき込みながら、腹を抑えて、腰を丸めた。


「集中してんのは分かったから、もう少しまともな顔しやがれ、ぶん殴るぞ」

「もう殴っているよ。君、ついに自分の体が何をしたのか認識できないくらい馬鹿になったのかい?」

「もう一発って意味だよ、つうか俺がもともと馬鹿みてえな言い方すんな!」


 ラウネは拳を強く握って、声を絞り出す。痛がるのをやめて背筋を伸ばしたハングは、ラウネの頭に視線を落として薄く笑った。


「私と比べたら馬鹿だろう?」

「てめえの頭こそ現実認識が出来てねえんじゃねえのか? 学院の主席は俺だぜ」


 ハングはラウネの発言を鼻で笑った。


「ボケるにはまだ早いんじゃない? 学院の主席は私だよ」

「アァ?」

「お、開いた」


 ニフの声でハングとラウネは同時にカウンターの奥に顔を向ける。ニフの右手がカウンターの奥から二人を呼び「置いてくよ」と、声を残して下に消えた。ラウネはため息を吐き、カウンターの方に向かう。ハングは小さく笑ってその後を追った。


 地下へと続く扉の近くには細い針金が残されており、それを見たラウネはまた深くため息を吐く。小さな入口から中に飛び降りて、ラウネは近くの本棚を眺めていたニフの頭を叩いた。


「あいたた」

「鍵があるのに、わざわざピッキングする奴があるか」

「一度やってみたくてね」


 ニフは肩をすくめてハングに視線を向ける。笑い声をあげたハングの腹をラウネの拳が鋭く狙う。ひらり、と身をひるがえしたハングは棚に視線を向け、眉を寄せた。急に動きを止めたハングの視線を追って、ラウネも歴史書を視界に収める。


「何だ、これ」

「五、十四、七十二、百八」


 背表紙をなぞりながら、ハングは小さくその巻数を読み上げていく。


「なんでこんなにバラバラになってんだよ」


 ラウネは眉を寄せる。


「あぁ、やっぱり、元々こうだったわけじゃないんだ」


 ニフはラウネに視線を向けた。


「俺が入った時には……あ、いや」

「隠さなくても、団長がヤンチャだったのは知ってるよ」


 ラウネは言葉に詰まって、笑みを浮かべるニフから顔をそむけた。肩をすくめたニフは笑みを収めて、本棚に視線を向ける。


「さて、問題は誰が、何の目的で、本の配置をずらしたのか、だね」


 ニフはハングの方に向き直って、口角をあげて首を傾げた。


「目的は恐らく、盗んだ本の巻数を特定させないためだろうね」


「盗んだ本? 盗まれたって言いてえのか? 確かにここの警備は完璧とは言えねえが、三年に一度教室の配置を変えてるし、外部の人間は見取り図すら手に入れられねえ。盗みだすのは不可能だろ」


「そう、外部の人間には無理だ。でも、卒業生なら、可能だよ」

「は? 卒業生って」


 ラウネの声は尻すぼみになって消える。行きついた答えに目が見開かれ、口元が左手で覆われる。


「お前はディアルム・エルガーが本を盗んだって言いてえのか?」

「まだ憶測の域を出ないけれど、ほぼ間違いないと思っているよ」


 ラウネは鋭くハングの目を見て、低く声を吐き出した。


「一から、説明しろ」

「もちろん。そのつもりだよ」


 ハングはそう言って、ラウネに審判会から戻ってきた報告書を手渡す。ニフも近寄ってきて、その紙を覗き込んだ。


「二年前、学院の教師がある男に殺される事件が起きた」

「覚えてる。教師は女生徒にしつこく交際を迫り、自殺に追い込んだ。犯人はその女生徒の父親で、娘の仇を討ったって事件だろ」

「その父親は聴取の際に『赤茶色の髪をした背の低い女に唆されたんだ』と話しているんだよ」


 ラウネの頭に閃光が走る。


「そう。盗賊団に警ら隊支部を襲うように依頼した女性と同じ特徴だ」


 ハングは父親の証言文の最後の部分を指で示す。『右目に双子の泣き黒子があった』と続き、女性の捜索が行われたが見つからなかったことが記載されていた。


「つまり、警ら隊の南二番地支部を襲撃した犯人と、教員殺害事件の黒幕は同じ人物だ、と?」


 ニフは書類から顔を上げて首を傾げる。ハングは頷いて、説明を続けた。


「あぁ。そして警ら隊を襲撃した三人組の一人は、ディアルムだ」

「なるほど。卒業生と教唆犯が繋がるわけか」


 ニフは笑いを含んだ声をあげ、楽しそうに口元を歪める。


「でも、二年前からディアルムと泣き黒子の女が繋がっていたとは限らねえだろ」


 ハングは黙って書類の上の見取り図に指先を向けた。犯人の侵入経路を見たニフの口から笑い声が零れる。


「あははっ」


 ラウネは眉間に深く皺を寄せて、ニフを見上げた。


「この侵入に使われた窓、シアンが壊した窓だよ。俺もよく脱走に使ってたし、間違いない」


 肩を震わせてひとしきり笑ったニフは、笑みを収めてラウネと目を合わせる。


「これで、二年前の事件にも卒業生が関わってることが分かったね。しかも、俺より下の世代だ」

「教室の入れ替えは?」


 ラウネはハングの方に顔を向けた。


「チーニ君が三年になった四月に入れ替えられている。この事件が起きた時は、まだその頃と同じ配置だよ」


 ラウネは眉間を揉んで、深く息を吐き出す。南端の窓が壊れていることと、教室の配置を知っていること。その二つの条件を、ディアルムは満たしている。


「ディアルムがどうやって書庫の存在を知ったのかは不明だけど、彼がここの本を読みたがる理由は想像がつく」


 ラウネは書庫をぐるり、と見回してため息を吐いた。


「そうだな。不死の心臓について知るには、ここに来るしかねえ」


 ニフはゆるりと口角を上げて、本がバラバラに入れ替えられた本棚に視線を向ける。


「これは骨が折れそうだねぇ」


❖❖❖


「一、五十二、三巻だね」


 元通りに並べられた本に視線を落として、ハングは呟いた。


「一巻は内容を知ってるが、あとは分からねえな」


 ラウネは隙間のできた本棚を見ながら、ため息を吐く。ニフは眉を上げて、ラウネに視線を向けた。ニフが口を開くよりも早く、ハングが声を上げる。


「そうだね……記録係ロマンシェの書庫を開けてもらうしかない」

「あぁ」


 ラウネはガシガシと髪の毛をかき混ぜながら「めんどくせえことになってきやがったな」と言葉を落とした。

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