第45話 受け入れられない理想郷

 ハングから双子の泣き黒子を持つ女性について聞いたチーニは、ラルゼの居る研修施設に居た。夕日が差し込むラルゼの部屋で向かい合い、チーニは口を開く。


「ラル、君は双子の泣き黒子を持ってる女性を知ってる?」

「双子? 二個あるってこと?」


 チーニは頷いて右目の下に指先を当てた。


「そう。ここに二つ黒子がある人。髪の色は赤茶色で、背が低い女の人なんだけど」


 ラルゼは唸りながら天井を見上げる。地上で会った人や、地下街の仲間を思い浮かべ、選択肢から消していく。


「あ!」


 ラルゼはチーニに視線を戻して、記憶の隅にいた女性を頭の中心に浮かべた。


「ベラの友達にそういう人がいるぜ」

「ベラの友達?」

「おう。ベゼって名前だったかな。そいつ、地下街の結構奥に住んでんだけどさ、ベラと名前の響きが近いとかですげえ仲良くて。よく向こうから会いに来てくれんの。二年くらい前から、かな」


 ラルゼは妹の顔を思い出しながら笑う。


「あ、そういえば、ベラが献上品の盗み方思いついた日も、ベゼが会いに来た日だったな」


 小さく落とされた言葉にチーニは眉を寄せ、小さくため息を吐いた。言葉を続けていたラルゼは、その疲れた様子に口を閉じる。


「チーニ、なんかあった? 怪我、まだ痛えの?」


 チーニは首を振って、ラルゼに微笑みを返してから立ち上がった。チーニはラルゼのまるい頭をなでる。


「そういやさ、チーニ」

「なに?」

「チーニを拾ったのって、髪の長いハングって人?」


 ラルゼはチーニを見上げて首を傾げた。


「うん。そうだけど、どうして?」

「あ、その人、チーニが目ぇ覚めたって教えに来てくれたんだけど、そん時、頭撫でられてさ」

「うん」

「チーニの撫で方に似てたから、なんとなく、そうかなーって」


 得意げな顔で口角を上げたラルゼの頬を撫でて、チーニは小さく笑った。幼子に戻って、ラルゼに頭を撫でて貰ったような気分だった。心臓の奥に居る幼いチーニが、微笑んだような気がする。


「また、会いに来るね」

「時々で良いぜ。俺、チーニが来るまでにすげえ奴なっとくから」

「うん。期待してるよ」


 チーニは最後にもう一度、ラルゼの頭を撫でて、部屋を出た。


❖❖❖


 第二師団詰め所の会議室で、ハングは窓の外を見つめている。その背後ではラウネが椅子に座って、本を開いていた。


「君、本なんて読めたの?」


 ハングの口から吐き出された嫌味には、いつもよりも覇気がない。


「俺は図書室の常連だったろうが」


 言葉を返すラウネの手元にある本も、先程から同じページを開き続けている。二人の間で会話が途切れ、部屋に沈黙が満ちる。本の上をラウネの視線が滑った。内容がひとつも入ってこない本を見つめたまま、ラウネは小さく呟く。


「思い通りにならねえものだな、現実ってのは」


 ハングは小さく息を吐いて、窓から視線を逸らした。


「思い通りになった現実なんて、見たことがないよ」


 再び静まり返った会議室の扉が開く。入ってきた人物を見て、ラウネは本を閉じた。


「どうだった」


 チーニはドアを閉めながら、ラウネの問いに頷く。


「居ました。ベラ──ラルゼの妹の友達だそうです」


 ハングはラウネの斜め向かいに座った。チーニは一つ開けてラウネの左側に腰を下ろす。


「名前はベゼ。二年ほど前から、ベラの元をよく訪れていたみたいで。ベラが献上品の盗み方をラルゼに教えた日にも、会いに来てたらしいですよ」


 ラウネは背もたれに体を預けて、天井を見上げた。


「やられたな」

「そうだね」


 ハングは小さく頷いて、机の上で組んだ両手に視線を向ける。


「献上品紛失事件で私たちの意識を外に向け、その間に二、三番地での襲撃を計画。解決で気が緩んだところに、襲撃を決行」


 ハングはいつもより低い声で言葉を続ける。


「同胞の死と盗まれた武器類から想定される次。怒り、悲しみ、緊張。極度のストレス状態で、ひとつになる日アインスデーまで、警ら隊の人間がもつかどうか」


 ハングの言葉が空気に溶け切ると、また扉が開かれた。静まり返った室内に視線を向け、ジェニーはカラカラと笑う。


「なんじゃ。珍しく静かじゃの。死者を弔う時間にはまだ早かろうに」


 部屋に入ってきたのは、ジェニー、ニフ、シアンの三人だった。チーニは更に左に一つずれ、ラウネとの間の席を二つにする。そこにジェニーとニフが、ハングの隣にシアンが、それぞれ座った。シアンはクレイドルの地図と、先日まとめた警備計画を机の上に広げる。


「これは南二番地の武器庫から盗まれたものの一覧です」


 シアンは紙の束を全員に配った。ニフはゆるく笑って、口を開く。


ひとつになる日アインスデーまでは今日を含めてあと八日。しかも今日は既に終わりかけてる。凹んでいる時間はないと思うけどねぇ」


 ニフの視線を受けて、ラウネは口角を上げた。


「そうだな」


 小さく呟いてからラウネは肩の力を抜く。そして配られた資料に視線を落とした。資料目を通したチーニは、ジェニーの頭を撫でているニフの耳元に顔を寄せる。


「レナはどうしたんです?」

「あぁ、レナはまだ顔色が悪かったから置いて来たよ。どうせ、ひとつになる日アインスデー当日は、俺と一緒だろうし、会議には居なくても大丈夫だろうと思って」

「そうですか」


 ニフはジェニーの頭をなでる手を止めて頬杖をついた。


「随分怖がらせたらしいね、チーニ」


 チーニは紙に落としていた視線を一瞬だけニフに向け、また下げる。ニフは目を細めて、チーニの顔を見つめた。


「なんです?」


 視線の意味をチーニが問いかける。


「いや、君が怒ってるのを久々に見たなぁと思って」


 チーニは目だけ動かして、ニフの表情を視界に入れると小さくため息を吐いた。視線を落とし、わずかに間を開けてから、口を開く。


「僕は、けっこう些細なことで怒りますよ」


 ニフは笑いを含んだ声で、言葉を吐いた。


「知ってるよ」




 それから、新たに判明した事実の確認と、盗まれた武器類から想定される襲撃の規模を元にした警備計画が練られた。第一師団からは新たに、王城警備の人間も式典警備にあたることになった。


 チーニが資料の片づけを手伝ってから外に出ると、空を見上げるラウネが居た。


「どうしたんですか?」


 チーニはラウネの視線を追って、上を見上げ、星空を眺める。満月の冷たい光が二人を照らす。


『見てみて、こうやって繋げるとお花みたいになるよ』


 チーニの記憶の中に居るルーナが笑う。無意識に柔らかく笑みを浮かべるチーニに視線を向け、すぐに空に戻して、ラウネは口を開いた。


「お前、この仕事、降りるか?」


 チーニははじかれたようにラウネの方に顔を向ける。空を見上げたまま、ラウネは言葉を続けた。


「王も法律も、自分の一番大事なもん捨ててまで守るもんじゃねえよ」


 ラウネは満月から顔を逸らして、チーニと目を合わせる。まっすぐにラウネを見つめて、チーニは言葉を紡いだ。


「いいえ」


 ラウネは目を見開く。


「いいのか? 心臓を差し出せば、失ったもんが全部元通りになるかもしれねえんだぞ。死んだグルナも、居なくなったディアルムも。みんな」


 チーニは小さく笑みを浮かべた。


「ディアの描く世界はきっと優しくて、僕にとっても理想郷なんだと思います」


 チーニの声が小さく震える。


「でも、その理想郷は、この世界で死を選んだルーナを丸ごと否定しているから。最悪で、きっと幸せな時間なんてほとんど無くて、でも、ルーナは十八年も生きたから」


 チーニの目に涙が浮かぶ。


「十八年も頑張って、僕らとの時間を幸福だって言いながら死んだルーナを、僕は否定したくない」


 ラウネはチーニの頬に手を伸ばした。


「だから、僕は降りません」


 チーニは無理やり口角を上げる。


「あの日、僕が蔑ろにしたディアの本音に、ちゃんと向き合わないといけないから。ディアの描く理想が、気に入らないから」


 ラウネの手がチーニの頬を伝う涙を拭う。


「だから、降りません」

 真っすぐに目を見て、宣言したチーニの目元を拭いながら、ラウネは小さく笑みを浮かべた。


「わかった」


  チーニは俯いて、涙をこぼした。閉じた瞼の裏で、栗色の髪を揺らして、ルーナが笑っている。


(ねえ、ルーナ。命を懸けなきゃ喧嘩もできないなんて、僕ら、不器用すぎるかな)


 死んだ少女が言葉を発することはない。ただ柔らかく笑ったまま、ルーナはチーニの頬を撫でる。少し冷たい彼女の指先が、本当に頬に触れたような気がして、チーニは小さく笑った。

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