第25話 調査開始
学院長室から食堂に向かって、残りの朝食を胃に収めたチーニはルーナと共に植物園に向かっていた。ディアは一人、部屋で留守番だ。昨日、冬期休暇ように出された大量の課題をこなしている所だろう。
土を踏みしめながら、チーニはゆっくりと息を吐き出す。白く濁った吐息が消える前にルーナが口を開いた。
「そういえば、さっき学院長が言ってたチーニが似てる人ってだれ?」
「ぁあ、ハングさんだと思うよ」
「ハングさん……あー、チーニを二十六番地から拾ってきたって人?」
「うん。そう。僕を拾ったときは、番人の研究とか二十四より下の番地の調査とかをしてたみたいだけど、今は、第二師団の団長だよ」
「えらいひとだ」
チーニは小さく笑った。
「ルーナも見たことあると思うよ。ほら、夏の休みの時、僕のこと迎えに来てくれた人がいたでしょ?」
「あー、あの、背が高くて、髪が長い人?」
「うん。背が高くて、髪が長いひと」
外の気温にあてられて冷たくなった指先に息を吹きかけながら、ルーナが「くふふ」と笑い声をあげる。ルーナのまるい目が優しく細められているのを見て、チーニの口からも笑い声がこぼれた。耳も鼻も冷たくて痛いのに、ただ笑い合うだけで体の奥が温かくなるから不思議だ。
薄雲の間から柔らかくて、ぼんやりした朝の光が降り注ぐ。ルーナの栗色の髪がその光に透けるさまが綺麗でチーニは目を細めた。
植物園は学院の東端にあるガラス張りの建物だ。希少種や低木の育成に力を入れている。チーニは中に入る前に扉に視線を向けた。金属製の南京錠に傷はなく、鍵穴にもこじ開けたような痕跡は見られない。外から侵入した形跡がないかを念入りに調べてから、チーニはようやく中に入った。
先に入っていたルーナが管理人と談笑しているのが見える。チーニはなるべく柔らかな表情を意識して、ゆっくりと二人に近づいていく。まずチーニに視線を向けたのは、管理人の方だった。チーニは目を細めて、顔全体で微笑む。
「こんにちは」
やわらかくあまい声を意識する。
「あ、チーニ。遅かったね」
「ごめんね、先に外を見て来たから」
「なにか分かりそう?」
「植物園のガラスには水垢ひとつないってことは分ったよ」
肩をすくめるチーニに、ルーナは楽し気な笑い声をあげた。チーニは視線を管理人に移す。
「今までも、綺麗に手入れされていてすごいなとは思ってましたが、まさか外のガラスまで掃除が行き届いているとは思いませんでした」
「そんなに大したことじゃないのよ。窓掃除と似ているかしらね」
管理人は先程よりも高い声でチーニに言葉を返し、右手で口元を隠しながら笑った。
「窓掃除も結構むずかしくないですか? 僕、いつも吹き跡が残ってしまって……」
苦笑を浮かべたチーニは気恥しそうに耳の辺りを触る。
「あら。それなら、濡れ雑巾で拭いたあと、柔らかい布で乾拭きするでしょう? その後に、送風機で埃を飛ばすといいわ」
管理人は得意げな顔で「乾拭きには柔らかい布を使うのも大事よ」と言葉を続けた。
「へえ。それは良いことを聞きました。今度やってみます」
「チーニ、本題からだいぶ逸れてるよ」
管理人から柔らかな布を受け取っていたチーニにルーナが苦笑を浮かべる。チーニは眉尻を下げて、ルーナの方に視線を向けた。
「あぁ、ごめん。楽しくてつい」
「本題?」
首を傾げる管理人に視線を戻して、チーニは真面目な顔を作る。
「僕らは今朝、ここの花壇が荒らされていた事件について調べるよう、学院長に頼まれたんです。いくつか質問してもよろしいですか?」
「え? ええ。でも、犯人はあの子でしょう? 万年筆も見つかったし……」
チーニの指先に力が入る。心臓の奥で暴れまわる獣を指先に力をこめて抑え込み、チーニは笑顔を浮かべたまま、視線で続きを促す。管理人は何かに怯えるように、両手を顔の前で揉みながら、言葉を重ねた。
「あぁ、いや、あの子が良い子だっていうのは私も知ってるわよ? でも、ねえ? 悪魔が勝手に体を使って悪さをしてるってことも考えられるでしょう?」
「さあ?」
顔だけは笑顔のままだったが、チーニの口から吐き出された声は怒気を含んでいる。
「僕は悪魔なんて会ったことも、見たこともありませんから」
管理人の口から短く悲鳴が飛び出す。チーニはにっこり笑ったまま、言葉を続けた。
「それでは本題に入りましょうか。まず、昨晩、植物園に鍵をかけたのは確かですね?」
「え、えぇ。終業の鐘がなるころだったかしらね」
管理人はひきつった笑みを浮かべ、震える声でチーニの質問に答える。
「二つ目。最近、鍵を無くしたことは?」
「えっ」
管理人の声が裏返る。
「あるんですね?」
視線を左右に彷徨わせる管理人にチーニが一歩詰め寄る。
「え、あ、いやね? 今回の件とはたぶん関係ないのよ?」
「いつ、どんな状況で?」
煮え切らない返答を続ける管理人にじれたチーニが笑みを収めて、言葉を投げた。管理人はその圧に小さく悲鳴をあげて、涙目になりながら、震える声をおとす。
「えぇっと、一週間前だったかしら。二年生の授業中に、アシュリルの幹に傷がついて、そこからガスが出るっている騒ぎがあったのよ。ほら、あのガスには毒性があるでしょう? それで、急いで、生徒を外に出して。私も外に出たの」
チーニはアシュリルが植えられている冷帯ゾーンに視線を向けた。その場所とちょうど反対側に換気用の小窓が付いている。小柄な人なら簡単に通れそうな大きさだ。
「その時、欠席していた生徒は?」
「え、ええと、いなかった、と思うわ」
管理人は動揺しながらも、言い訳のように言葉を重ねる。
「そのあと、戻ってきたら鍵がなくて。でも、二日くらいで元の場所に戻ってきたのよ? その間は合鍵で閉めてたし……ね? なんにも関係ないでしょう?」
チーニは口元を歪めて、吐き捨てるように呟いた。
「ええ。僕もそう祈りますよ」
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