第24話 呼び出しにはもう慣れている
支度のためにそれぞれの部屋に分かれたチーニたちは朝の点呼を終え、食堂でまた集まっていた。食堂はいつもよりピリピリとした雰囲気で、ざわめきの声も大きい。チーニはその中に、自分たちに向けられる嫌悪の視線を感じ取って、ため息を吐いた。
「今日のスープ、美味しそうだね」
ルーナの声はいつもより高く、緊張しているのが分かる。チーニはなるべく穏やかな声とスピードを心がけながら言葉を紡ぐ。
「そうだね。体がよく温まりそう」
「うん。今朝は特に寒いからよかったね」
「もうすっかり冬だからね。あ、あのあたりに座ろうか。ディアも、それでいい?」
チーニはトレーの角で食堂の奥を指して、ディアに視線を向けた。食堂に入ってからずっと眉間に皺を寄せているディアは、声を出さずに頷く。チーニはそっと視線を前に戻して、一番奥にある机に向かった。
ルーナが一番壁側、その隣にディア、ルーナの向かいにチーニが座る。
「いただきます」
手をあわせて、食事を始めた三人のもとに一人の少年が近づいてくる。片側の口角をあげた少年は、チーニたちの座る机に強く片手をついた。
ドンッとそれなりに大きな音がして、ざわめいていた食堂が一瞬だけ静かになる。先ほどまでより一段階大きくなって戻ってきたざわめきに、チーニはため息を吐いた。
「よお、最後の朝食はうまいか? ディアルム」
「最後? 卒業まではまだ三か月もあるけど、ついに日数の計算さえ出来なくなったの? エリム」
チーニは鋭い視線を少年──エリムに向ける。
「知らねえようだから教えてやるよ。こいつは昨日の夜、植物園の花壇を荒したんだ。証拠も見つかってる。重大な校則違反だ。退学に決まってるだろ」
「へえ? 昨日の夜から朝にかけて、僕とディアはずっと僕の部屋で一緒だったけど。証拠って? 誰かディアの姿を見たの?」
チーニが薄笑いを浮かべながら言葉を返すと、エリムは鼻で笑った。
「植物園にそいつの万年筆が落ちてたんだよ。管理人が昨日の夕方に見回りしたときは落ちてなかったって話だぜ? そいつが夜中に植物園に入り込んだ証拠だろうが」
エリムは眉間に皺をよせて、ディアを睨みつける。チーニの口から乾いた笑い声が滑り落ちる。
「そんな短絡的な思考回路しかもっていないから、いつも補習になるんだよ」
「アァ?」
「万年筆なんて同じものをいくらでも用意できるし、犯人がディアの物を盗んでわざわざそこに落とした可能性だってある。そんな事も想像がつかないのかな?」
エリムの顔が歪む。チーニは笑みを収めて、懐からだしたナイフをその首筋にあてる。
「大した証拠もないのに僕の友達を犯人扱いしたんだ。責任の取り方は分かるよね?」
顔は笑っていないのに、声には笑みが滲んでいて、そのアンバランスさにエリムの顔が強張った。ナイフから距離をとるように二歩下がると、エリムは怒気を含んだ声を上げる。
「お前たちさっき植物園に居なかったよな? みんな悲鳴を聞いて駆けつけて来たのに。そいつがやったのを知ってたからだろ」
チーニはナイフを仕舞って、立ち上がるとエリムとの距離を詰めた。
「誰かの悲鳴より、僕らの普通の朝を守る方が大事だからだよ。僕が昨日読んだ小説には『犯人は現場に戻りたがるものさ』っていうセリフが出て来たんだけど……現場に行った君こそ犯人なんじゃないの?」
「ふざけんなよ!」
エリムがチーニの襟元を強くつかむ。
「大体悪魔が人間のッ」
チーニはエリムの手首をもつと、そのままエリムの体を反転させてなげる。強く背中を打ち付けたエリムの口から唾と短い息が吐き出された。チーニは表情のない顔で、エリムを見下ろす。
「指と肩と、どっちにしようか?」
エリムの左手を離し、右の小指に手の甲側に曲がるよう力をこめていく。起き上がって抵抗しようとするエリムの右肩を靴のかかとで踏みつけて、チーニは冷めた目でエリムに言葉を投げる。
「ねえ、どっちがいい?」
「おやめなさい。チーニ・アンブラ」
真っすぐに向けられた声に、チーニはゆるりと視線をあげた。視線は上げても、エリムの手から力を抜こうとしないチーニを見て、学院長は視線の圧を強める。
「それ以上やるのなら、貴方の方を退学にしますよ」
チーニはそこでようやくエリムの小指から手を離し、肩から足をどかす。エリムは震えながら立ち上がって、学院長の後ろに隠れた。
「話があります。ディアも、ルーナも、私の部屋においでなさい。もちもん、貴方もですよ。チーニ」
三人に手招きする学院長の後ろでエリムが勝ち誇ったように笑う。学院長はエリムの頭を叩いてから、三人に背を向けた。
寮と教室棟を繋ぐ渡り廊下を抜け、階段を上り、さらに奥に進むとようやく学院長室が見えてくる。歩いている間中ずっと不機嫌な顔でそっぽを向いてるチーニにディアとルーナは、目を見合わせて笑い声をこぼした。チーニはその笑い声でようやく、二人の方に視線を向けて低い声をだす。
「なに」
「俺のために怒ってくれて、ありがとう、チーニ」
ディアが柔らかく笑う。チーニは一瞬目を見開いて、それからまたそっぽを向いた。
「べつに、ディアのためって、わけじゃないし。僕が、ムカついた、から。怒っただけ」
ごにょごにょと口の中で言葉を転がすチーニに、二人はさらに楽しそうな笑い声をあげた。その笑い声を聞いていたら、嫌な気持ちがすっかり吹き飛んでしまったチーニも、一緒になって口角を上げる。
学院長は薄暗い廊下を歩きながら笑い合う三人に視線を向け、目を細めた。
「さあ、入りなさい」
扉を開きながら、学院長は三人を中に促す。学院長はいつも通りにデスクの奥にある椅子に腰かけ、チーニたちはディアを真ん中にして横一列に並ぶ。学院長はルーナから順番に目を合わせてから、静かに口を開いた。
「まず、チーニ。いくら友達が嫌がらせを受けたからといって、手を出してはいけません。理由は説明しなくても、もう、分かりますね?」
チーニは学院長の目を見ながら、この三年の間に何度も伝えられてきた言葉を復唱する。
「至らぬ生徒に罰を与える権利を持つのは、教師であって、貴方ではありません」
「分かっているのなら、踏みとどまる努力をなさい。貴方の優秀な頭脳と武道の技は、人を傷つけるためにあるのではありませんよ」
チーニはそっぽを向いたものの、小さく頷いた。それを確認してから、学院長はディアに視線を向ける。
「さて。ディア、貴方が昨晩チーニたちと一緒に居たというのは本当ですね?」
「植物園なんて行ってないです」
「ええ。知っていますよ。貴方はとても優しく善良な生徒です。花壇を荒すような真似はしないでしょう」
学院長は微笑みを浮かべ、胸元から一本の万年筆を取り出した。
「次に、これは貴方の物で間違いありませんね?」
学院長から差し出された万年筆を受け取り、キャップに刻まれた自分の名前を確認したディアは小さく頷く。
「でも、これ、四日くらい前にどこかで落として。ずっと探してたんだ、でも、俺、植物園は九日前に授業で行ったのが最後だし」
呟くように言葉を重ねるディアを遮って、学院長の強い声が飛ぶ。
「背筋を伸ばしなさい。ディア」
視線を上げたディアと目を合わせ、学院長は言い聞かせるように、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「この部屋に、貴方が犯人だと思っている人は一人もいません。ここに居るのは、貴方を信頼している教師が一人と、貴方のために心の底から怒ってくれる貴方の友人だけです。分かりますね?」
ディアは唾を飲み込み、深く息を吸い込んで肩の力を抜く。
「はい、学院長」
学院長に言葉を返したディアの目は、朝と同じように真っすぐで、チーニの口元が笑みの形になる。学院長は深く頷いてから、言葉を続けた。
「ディアは賢く、そして優しい生徒です。そのことを知っている人間はこの部屋の外にも居ます。けれど、その容姿から歪んだ目でディアを見る教職員や生徒が居るのも、事実です」
チーニの指先に力が入る。
「彼らの偏見をこんなことが起こる前に解けなかった私にも、責任はあります。あとでいくらでも貴方から罰を受けましょう。けれど、今は他にすべきことがあります」
学院長はチーニに視線を向けた。
「私が今、すべきことは、歪んだ目で生徒を見る教職員を叱ることです。貴方のすべ
きことは分っていますね? チーニ」
「真犯人の捜索と、証拠の発見」
「ええ。簡単には覆らない証拠が必要です。私はディアを退学させようとする教師を、押さえねばなりません。ディアの無実を証明する役目は貴方に任せます。いいですね?」
チーニは絵本の中に出てくる騎士のように片膝をついて、頭を下げる。
「お任せください。学院長」
学院長は笑みの滲む声に小さくため息を吐いて、ルーナに視線を向けた。
「ルーナ。チーニのことを頼みますよ。誰に似たのか、この子は喧嘩を安く買いすぎる所がありますからね。大事になる前に、貴方が止めるんですよ」
ルーナは胸元に右手を当て、左手は腰の後ろに回して、綺麗なお辞儀をする。
「かしこまりました。学院長」
学院長はまた小さくため息を吐いて、沈んだ顔をしているディアに視線を向けた。
「いい友人を持ちましたね、ディア」
ディアはまだ頭を下げている二人に視線を向け、花が咲くように顔をほころばせる。
「俺もそう思います」
その声がとても丸くて優しいから、チーニもつられて笑った。
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