第22話 穏やかな時間は長く続かない

 レナの運転する馬車が南十一番地に入ったのは、真昼の鐘がなる少し前だった。公園にもなっている広場に馬車を止め、三人は馬車から降りる。ラルゼはあたりにあふれる人々に視線を向け、頭ごと動かして立派な建物に感嘆の声を上げた。


「とりあえずお昼ご飯食べます?」


 レナの問いかけにチーニは首を横に振って、ラルゼを指さす。


「先にラルの服を買おう。この街じゃラルの格好は目立つ」


 ちらちらと無遠慮に向けられる視線にレナは苦笑いをこぼした。若い男女が個人用の貸馬車から出て来ただけでも注目の的なのに、息子にしては年の近すぎる子供を連れているとなれば尚更である。チーニは不快そうに小さく息を吐いて、ラルゼの頭に手を乗せた。


「十一番地ってすげーのな!」


 ラルゼはきらきらと目を輝かせる。


「そうだね。とりあえず移動するよ」

「どこ行くんだ?」

「洋服屋」


 ラルゼはその言葉で初めて、向けられる視線の中に嫌悪と嘲笑が混じっていることに気が付く。自分の着ている丈の足りていない服と、周りの人間の着ている温かそうな服を見比べて、ラルゼはきゅっと唇を噛んだ。俯いたラルゼの背中に、レナの手がそっと触れる。


「だいじょうぶ」


 ラルゼはそのまるい声に引き寄せられるようにして、顔を上げた。歩き出していたチーニが止まったままの二人の方へ視線を向ける。レナはまっすぐに前を向いたまま、もう一度口を開いた。


「だいじょうぶだよ」


 立派な建物に目を輝かせる気持ちも、嫌悪と嘲笑を向けられる痛みも、レナは良く知っていた。ラルゼの背をそっと押して、レナは歩き始める。ラルゼもつられて、一歩踏み出した。温かな手に背中を押されて、一歩、また一歩と進んでいく。


 ラルゼは深く息を吸った。冷たい手と、行ってらっしゃいと笑った妹の顔を思い出して、深く息を吐き出す。知らず強張っていた体から、ゆっくりと力が抜けたのが分かった。


「行ける?」


 チーニは追いついたラルゼの目を見て問いかける。


「いける」


 ラルゼの答えにチーニはゆるく口角を上げて、体の向きを変えた。




 服屋でレナに着せ替え人形のごとく試着を繰り返されたラルゼは、げっそりとした顔で「すげー疲れた」と呟く。


「おつかれ」


 チーニは小さく笑いながら、ラルゼの頭を撫でた。ラルゼの後から店を出て来たレナが苦笑いを浮かべる。


「ごめんね、ラルくんなんでも似合うから、楽しくなっちゃって」


 言い訳を重ねながら機嫌を伺うように視線を合わせてくるレナに、ラルゼは唇を尖らせた。


「べつに怒ってるわけじゃねーけど」

「よかったぁ」


 レナは先程までの困ったような顔から一転、満面の笑みを浮かべる。


「それ、寒くないの?」


 ひざ下までの編み上げブーツに半ズボンを合わせたラルゼの足を指さして、チーニは首を傾げる。上も白のワイシャツにニットのベスト。防寒の観点から見たら、五段階評価で二を貰いそうな格好だ。


「さむくねーよ」

「ズボン、長いのじゃなくていいの?」

「金払ってから文句言うなよな」

「寒いなら返品して長ズボン買ってあげるけど」

「なげーのはなんか嫌いだからいい」

「なんか嫌い」


 チーニは信じられないといった顔でラルゼの言葉を繰り返した。ラルゼの隣に並んで歩き出したレナが楽しそうな笑い声をあげる。


「さて。今度こそお昼にしようか」


 衝撃からあっという間に立ち直ったチーニの言葉に、ラルゼはまた目を輝かせた。


「飯?」

「うん」


 チーニは頷きながら、辺りの商店に視線を向ける。ちょうどお昼時という事もあって、どこの食事処も混んでいるようだった。空いている店、という判断基準を失ったチーニは小さく息を吐いた。


「ラル、何食べたい?」

「え、いや、なにって言われても、なにがあんのか分かんねえし」


 真新しい服の裾をいじくりながら、ラルゼは歯切れ悪く答える。「弄ってると糸出てくるよ」とチーニに言われて、ラルゼは慌ててニットの裾から手を離した。


「はい! 私が決めてもいいですか!」


 ラルゼの奥でレナが元気よく手を上げた。


「どうぞ」


 チーニが頷くと、レナは手をあげた勢いそのままに道の反対側にある商店を指す


「あそこ絶対美味しいと思います」

「いったことあるの?」

「ないですけど。そんな休みもないですけど」


 ちくり、と待遇に対して文句をこぼしたレナにチーニは真顔のまま言葉を返す。


「最後の文句は僕じゃなく団長に言ってよ。僕だってもう少し睡眠時間が欲しい」

「第一師団ってそんな忙しいのか?」


 チーニは真顔のままラルゼの問いに答える。


「それなりだよ」


 会話をしている間にレナが選んだ食事処にたどり着く。ちょうど二家族の団体が帰るところで、チーニたちは運よく空いた四人席に腰かける。ラルゼは店員に渡されたメニューを上から下まで視線でなぞって、居心地悪そうに体を揺らした。


「僕と同じのでいい?」


 チーニはラルゼの顔を覗き込んだ。ラルゼは唇を尖らせて、小さく頷く。先ほどまで感じていた空腹すらどこか遠くへ行ってしまって、ラルゼは強く手を握る。


「レナは? 決まった?」

「決まりました」


 レナはメニューから視線を上げて、笑った。チーニが机のベルを鳴らすと、すぐに店員がやってくる。


「たまごサンドのセットを二つ。飲み物は両方ともオレンジジュースで、スープはコーンスープ」

「私はベーコンとレタスとトマトのサンドウィッチ。あ、セットで。飲み物はホットコーヒーで、あと、トマトスープで」


 すらすらと注文していく二人にラルゼはさらに唇を尖らせ、短い爪が掌に食い込むほど強く手を握った。三人分の注文を確認した店員が去っていく。チーニは握りしめられたラルゼの拳に視線を落とし、頭をなでる。


「ゆっくり呼吸して」


 髪の間に指を通しながら、チーニは言葉を続けた。


「知らないものを怖がるな、とは言わないよ。恐怖が無くなったら人は簡単に死んでしまうから」


 意識的に深い呼吸をしているラルゼの耳に、チーニの穏やかな声が落ちてくる。


「でも、怖いって気持ちに支配されたらだめだよ」

「どうすればいい」

「怖いと思った瞬間に、深い呼吸を意識して。恐怖を感じると、人の呼吸は浅くなるから。呼吸から、いつも通りにしていくんだよ」


 ラルゼは深く息を吐き出す。そうすると、体の余計な力が抜けた。いつの間にか狭まっていた視界がクリアになって、冷たくなっていた指先に温度が戻る。チーニは店内の喧噪に紛れてしまうような、小さな笑い声をおとした。


「ふふふ」


 レナが笑い声をあげる。


「なんだよ」


 ラルゼは頭の上に置かれたチーニの手をどかしながら、不満そうな声を上げた。


「先輩とラルくん兄弟みたいですね」

「俺が兄貴ならいいぜ」

「どう考えても僕の方が兄だよ」


 チーニはラルゼの頬をつまみながら言葉を返す。文句をこぼしながら、ラルゼは頬を掴んでいるチーニの手の皮膚を引っ張る。


「いたい」

「俺も痛かったっつの」


 ラルゼの頬を離して、チーニは小さく笑った。


 穏やかな空気が流れるテーブルにオレンジジュースのグラスが二つと、マグカップが運ばれてくる。チーニは前に置かれたマグカップをレナに渡し、レナからオレンジジュースを受け取った。


「一口飲みます?」


 揶揄うように笑ったレナにチーニはストローの袋を破きながら言葉を返す。


「ブラックコーヒーは人間の飲み物じゃないと思ってるからいらない」

「苦いものへの敵意がすごいですね」


 笑い声をこぼしながら、レナはカップを傾けて冷えた体をコーヒーで温める。


「にげーの?」

「苦いよ。超苦い」


 ラルゼのグラスにストローをさしながら、チーニは眉を寄せた。ラルゼはレナが美味しそうに飲む黒い液体を興味津々といった様子で見つめる。


「飲んでみる?」


 ラルゼは差し出されたカップとレナの顔を見比べて「どうぞ」と促されると、そっとカップに口をつけた。


 そろそろと黒い液体を口に含む。


「にっっっげ」

「だから言ったでしょ」


 ラルゼはうげぇと眉間に皺を寄せた。口までへの字に曲がっている。レナは楽しそうな笑い声をあげてカップを中身を飲みこんだ。


「ラルくんにはまだ早かったかな」

「年齢の問題じゃないと思うけど」

「先輩は味覚がちょっとアレですから」

「ちなみに団長も飲めないよ」

「え。そうなんですか」


 レナは驚いた顔のままもう一口コーヒーを飲む。


「ダンチョウって誰だ?」

「人の名前じゃなくて役職の名前だよ。第一師団の一番えらいひと」

「強い?」

「うん。すごく強いよ」


 誇らしげな声で答えたチーニの前にサンドウィッチとスープが運ばれてくる。ラルゼはどこか遠くへ行ってしまっていた食欲がもこもこと湧き上がってくるのを感じた。


「いただきます」


 手を合わせる二人に倣って、ラルゼは両手を合わせる。


「いただき、ます」


 ぎこちなく呟いたラルゼに頷きを返して、チーニはたまごサンドにかぶりついた。



 食事を終え、心地の良い満足感に身を任せながら、ラルゼはチーニたちに続いて店を出る。


「お昼ご飯も食べたことだし、馬車に戻ろうか」

「おう」


 店の前に止まっている荷馬車に視線を向けたラルゼは、そこに乗せられている大量の花瓶に目を見開いた。


(すっげー)


 白く滑らかな陶器を吸い込まれるように見つめる。自分の顔が歪んで映り込んだ様子がおかしくて、ラルゼは少し先に居るチーニたちを振り返った。


「なぁ」


 ラルゼの方へ向いた二人の両目が大きく見開かれる。


「これすっ


 ラルゼの腕をチーニが強く引く。前のめりに転んだラルゼの耳を、鋭い音がつんざく。


 どこかで誰かの悲鳴があがる。

 音に驚いた馬が暴れだす。

 ジーンと耳の奥でラルゼの知らない音が鳴っている。

 大量の花瓶がラルゼの居た場所に落ちていた。白くて鋭い何かの真ん中で、誰かが倒れている。


 チーニ、と呟いたはずの口から音が出ることはなかった。レナがチーニに駆け寄って、目を見開いて、目を閉じて深く呼吸をしたのがラルゼにも見えた。


 音が一度に脳内に戻ってくる。


「ラルくん、病院行くからついて来て」


 チーニを乗せた担架がラルゼの前を通り過ぎた。レナに引き起こされて、ラルゼはよろけながらも何とか立ち上がる。


「ローゼ公園広場にある馬車に運んでください」


 レナはラルゼの手を握ったまま、担架を持つ男性に声をかけた。


「え? このまま病院行った方がいいんじゃ?」


 困惑した表情を浮かべる男性の耳元にレナが顔を寄せる。


「あまり大きな声では言えないんですが、その人は第一師団の特別な保護を受けているんです。知らない病院にデータが残ると困ります。乗ってきた馬車でかかりつけの医院に運びますから、どうか、お願いしますね」


 レナの言葉に男性は未だ納得のいかない顔をしていたが、その手に団員証が握られているのを見て、ようやく頷いた。


 レナは小さく息を吐き出して、繋いだままになっていたラルゼの手を離す。震えていることを隠すために両手を強く握りしめて、レナは無理やり口角を上げた。


「だいじょうぶ、だいじょうぶだから」


 自分に言い聞かせるように笑ったレナの頭に、チーニの傷が驚くべきスピードで塞がっていくさまが何度も蘇っては消える。深く息を吐き出して、レナは少し先に居る担架を追った。

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