第21話 理想的な希望が思考回路を鈍らせる

「じゃあ、始めようか」


 笑みを消したチーニの視線を受けて、ラルゼは唾を飲み込む。静かな馬車の中に緊張が走る。


「あぁ、そうだ。その包み、朝ご飯だから、食べながらでいいよ」


 チーニはラルゼが膝に抱えた包みを指さした。そのまま自分で持っていた包みを開いて、中のおむすびを掴む。ラルゼはなんだか拍子抜けした気分になりながら、空腹に誘われて包みを開いた。


「それで、君たちに献上品の盗み方を教えたディアルム・エルガーについて知ってることを話してくれる?」


 米粒を噛みながら、ラルゼは答える。


「それだけどさ、献上品の盗み方考えたの俺の妹だぜ」


 チーニはラルゼの様子を観察しながら、続きを促した。


「妹? ああ、病弱で地下街から出てこれないっていう……ベラだっけ?」

「やっぱ知ってやがった」


 ラルゼは悪態をつきながら、おむすびをさらに食べ進める。


「ベラが良い儲け方思いついたっつって話してくれたんだよ。で、俺らはそれを実行しただけ。バルドは、なんか前のとこで親方? と喧嘩したらしくてさ。配達係メッセンジャーのとこで一緒んなって、誘ったらやるっていうから」


 ラルゼは口元についた米粒を拭って、さらに言葉を続けた。


「地下街ってのはさ、あんまし環境がよくねえから、子供とか結構死ぬんだよ。俺くらいでかいのは結構、珍しい。だから、俺とかフィル──あの、背がでっかくてナイフ持ってた奴な──は、いろんな奴に顔を知られてんだよ。飯分けてくれたり良いこともあっけど」


 チーニはラルゼの呼吸や瞳孔の開き具合をつぶさに観察しながら、頭の反対側で話を整理していく。


「今回はさ、でかい盗みだから。顔がバレてる奴だといろんなとこに情報が回っちまって、やりにくいからバルドに動いてもらったんだよ。まあ、あんまし意味なかったけど」

「サザンカに会ったとき、偽名を使ったでしょ? それはどこから名前を借りたの?」


 ラルゼは二つ目のおむすびを頬張りながら「ああ」と呟いた。


「あれな、なんかバルドが学生証拾ってきたんだよ。モナルク学院のやつ」

「今、それ持ってる?」

「ああ、うん。今朝バルドから預かってきたから」


 ラルゼは手に持っていた二個目のおむすびを口に入れると、草編みのカゴをごそごそと探る。薄く加工された木の板を取り出し、ラルゼはそれをチーニに渡した。


 色の薄い木の板に、ディアの名前と入学した年、誕生日などの情報が刻まれている。焼き入れされた文字をなぞるチーニの指先が小さく震えた。


(滑らかな木の手触りも、字の形も、僕の持っているものと同じだ)


 貴重な木材を使った学生証なんて、モナルク学院以外では作っていない。それに加え、学生証に使われる木の板は水や汚れに強い加工を施した特注品。チーニの手元にある学生証が偽物である確率は限りなく低かった。


「これをどこで拾ったか、分かる?」


 もぐもぐと口を動かしていたラルゼは口の中の物をごくりと飲み込む。


「あんたがトムと一緒に行ったあの廃墟の近くだってよ」


(嘘を吐いてる感じはしない。じゃあ、本当にディアの名前が出て来たのは偶然? それともディアがわざと拾わせた? でも、何のために、そんなこと……)


「なあ」


 学生証に視線を落としたまま思考に沈むチーニにラルゼの声がかかる。


「そいつ、なんかやばい事したやつなの?」


 チーニはラルゼに視線を向けた。


「いや」


 後に続く言葉を無理やり飲み込んだような不自然な声の余韻が残る。チーニは俯いて、手の中にあるディアの名前をそっとなぞった。名前を撫でても返事が聞こえるわけもなく。木の板を撫でたところで高めの体温を感じるわけもなく。


 冷たい感触だけが、指先に残る。


「そういうわけじゃ、ないよ」

「じゃあ、あんたの友達?」


 ラルゼの問いかけにチーニは顔を上げた。


「え、どうして?」

「いや、すっげー必死に探してる感じしたから。やばい事した奴じゃないなら、友達かなーって。そんだけ」


 チーニの学生証を握る指先に力が入る。


「昔は、うん、友達だった、と思う」


 歯切れの悪い返答に今度はラルゼの方が首を傾げた。


「今はちげーの?」

「うん。今はちがう」

「ケンカ? 仲直りすんのはダメなの?」


 チーニは小さく微笑んだ。温かな思い出に対する優しい気持ちと、言えなかった言葉が引き起こす苛立ちと、全部を丸く包む薄い膜のような情が、心臓の奥で一緒にいる。微笑むほかにどんな顔をすればいいのか、分からなかった。


「ちがうよ。喧嘩できなかったことが、一番の問題なんだ」


 ラルゼは「ふうん」と呟いて、唇を尖らせた。チーニは微笑んだまま窓の外に視線を向ける。本音をぶつける覚悟も、拒絶を恐れない勇気も、仲直り出来るという信頼も持っていなかった臆病な幼いチーニが、その瞳の向こうで泣いていた。

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