第17話 取引 2

 一行は東から上ってきた太陽に照らされながら、ドリスト酒場の裏にたどり着く。男はそこでラルゼの首からナイフを離した。本当に首からナイフを仕舞ったことに驚きつつ、ラルゼは男から距離をとった。


 背が高く、細身に見えるが、立ち方にも態度にも余裕がある。男は冷ややかな顔でラルゼと視線を合わせると、口を開いた。


「初めまして、僕の名前はチーニ。君と取引をしに来た」


 ラルゼは差し出された片手に視線を落とし、チーニを睨みつける。


「手短に要点だけ話せ」


 短刀を突きつけながら、ラルゼは言葉を返した。ダンとフィルが既にチーニの後ろに回っている。前方はラルゼ、レイ、アスティールでかため、プラーピは見張りのために屋根の上だ。


 チーニは持っていたナイフを地面に落として、顔の横に両手をあげる。敵意がないことを示されても、ラルゼたちが警戒を緩めることはない。


「いい連携だね。長話は嫌いみたいだから、単刀直入にいくけど、商人たちに献上品を盗ませたのは君たち?」

「なんの話だ?」

「バルドを使って、サザンカに接触し、サザンカを通して商人たちに献上品の盗み方を売り捌く」


 チーニの顔にうっすらと笑みが浮かぶ。ラルゼは唾を飲み込む。


「いい手口だよね。君たちは商人たちが盗みに失敗しても、とりあえず利益を得られるんだから。成功した商人のところに盗品が溜まったらサザンカを通して買い取り、地下街の裏ルートに乗せて貴族たちに高値で売る」


 ラルゼは手元の短刀を強く握った。


「地下街の相場を知らない商人たちは、自分より君たちが儲けていることを知らないから不満も出ない」


 目の前ですらすらと言葉を続けるチーニに、ラルゼは奥歯を強く噛んだ。地下街でも第一師団が動き出し、サザンカが捕まったことは噂として流れていた。それでもこんなに早く、バルドやラルゼたちにたどり着くとは考えもしなかったのだ。


「地下街の君たちは商人に接触する機会すらないし、バルドも定職に就いていなかったようだから十三番地の関所を越えられない。献上品を包むような布を扱っているのは、十二より上の番地の商人たちだ」


 チーニはラルゼと距離を詰めて、声を低めた。


「だから、わざわざサザンカを使ったんでしょ? 君たちがサザンカに接触しなかったのは、彼女が捕まっても自分たちの情報が漏れないようにするためかな」


 チーニはラルゼの顔を覗き込み、笑みを浮かべたまま首を傾げる。綺麗に上がった口角から滑り落ちてくるのは、よく砥がれたナイフのように冷たい声だ。


「さあ、間違いがあったら言ってごらん?」


 ラルゼのこめかみから汗が伝う。何か言わなくては、と思うのに口が渇いて言葉が出てこない。人数もそろっているし、ラルゼは荒事が多い地下街でも弱いほうではないのだ。見境なしに喧嘩をしたがる連中を地面に沈めることもしょっちゅうある。それでも、チーニを殴り飛ばす気にはなれなかった。


(こいつは、ダメだ。喧嘩を売ったらダメな方の人間だ)


 争いの多い地下街の中で磨かれたラルゼの勘が告げている。


(俺が今、生きてんのは、こいつが俺を殺そうとしてないからだ)


 目の前の相手はナイフすら持っていないのに、ラルゼは心臓を鷲掴みにされたような恐怖を感じていた。短刀を握る掌に汗がにじむ。


「なにが目的だ」


 やっと絞り出した声にいつもの覇気はない。


「言ったでしょ? 君と、取引がしたい」


 そう言って、チーニはラルゼから距離を取って指を二本たてる。チーニの呼吸すら警戒しながら、ラルゼはその動きを睨む。


「僕からの要求は二つ。一つは、二度と献上品を盗まないこと。献上品に限らず、王や王族に関わる窃盗を犯さないと約束してもらう。それから、君の仲間をこういった盗みからは手を引くよう説得してほしい」


 チーニの声は先程までと変わらず平坦だ。平坦で冷たい。ラルゼは唾を飲み込んで、二つ目の要求を待つ。


「二つ目は、君たちに献上品の盗み方を教えたディアルム・エルガーの事が聞きたい」


 ラルゼは処理速度の落ちた脳でゆっくりと、言葉を理解していった。そして、体の力を抜く。ラルゼが体の力を抜くのと同時に、チーニから発せられていた圧のようなものが薄れた。ラルゼは深く息を吐きだして、口を開く。


「嫌だと言ったら?」

「報酬を聞く前に嫌だと言うつもり?」

「報酬?」


 ラルゼの片眉があがる。


「そう、報酬」


 チーニは頷きながら言葉を返す。


「どういうつもりだ? お前は第一師団の人間じゃねえのか?」

「第一師団所属の人間だよ。よくわかったね」


 チーニは笑みを収めて、ラルゼを称賛する。


「お役人なら、窃盗犯に罰を与えに来たんじゃねえのかよ」

「それは残念ながら不正解だね」


 ラルゼは眉間に深く皺を寄せた。チーニの言葉も、行動も、意味が分からない。そもそも、こんな風に長話をしていないで警ら隊に突き出せばそれで終わるはずなのだ。地下街の子供なら、大した証拠がなくても審判会で有罪にできる。地上に住めないラルゼたちを庇おうとする人間など、地上には存在しないからだ。


 ラルゼはチーニを睨みながら、彼の言葉を待つ。


「僕ら第一師団は法律を基準に動かない。僕らにとって重要なのは、王や王族への敵意だよ。君たちは生きていくためにより効率的にお金を稼ごうとしただけでしょ?」


 ラルゼは曖昧に頷いた。


「王への敵意を持たず、王を直接傷つけようとしているわけでもない。なら、僕らにとって君たちは罪人じゃない。罪人でもない人間に罰を与えるような権利を僕らは持っていない。それに、今ここで君たちを殺せば地下街の人間が王への不満を抱くことになる」


 チーニのまっすぐな視線がラルゼに向いている。


「法律を基準に動く第二師団──警ら隊の上の組織も、この件からは完全に手を引いたしね」


 チーニは最後にそう付け加え、小さく口角を上げた。先ほどまでの威圧的な笑みではなく、普通の、楽しいことを前にした人間が浮かべる笑みだった。


「というわけで、僕は君と取引がしたいんだけど、話を聞く気になったかな?」

「報酬ってのは、なんだ」

「君がさっきの二つの要求をのんでくれるなら、王都にあるモナルク学院の受験資格をあげる」

「は?」


 ラルゼの口から無意識に声が滑り落ちた。驚いて完全に固まるラルゼの反応をどう解釈したのか、チーニは「あぁ」と呟いてから口を開く。


「モナルク学院っていうのは、身分や」

「知ってる。さすがに、俺でも知ってる。馬鹿にすんな」


 ラルゼはチーニを軽く睨んだ。


「受験資格ってどういうことだよ? あそこは地上に戸籍を持ってねえ奴は受験できないはずだぜ」

「物知りだね」


 ラルゼはチーニを睨んだまま言葉を返す。


「前に調べたからな」

「六年前にある人があらゆる手で反対派の貴族を黙らせて作った制度だよ」

「意味わかんねえ」


 チーニは少しの間視線を彷徨わせ、説明の順序を考えてから口を開いた。


「簡単に言うと、僕が発行できる特別な推薦状があれば、学院を受験できる。もちろんいきなり受けて受かるものじゃないから、一年間の特別研修を受講してもらう。その時点で戸籍を作る。それに研修中は三番地にある寮で生活してもらうから、衣食住の心配もいらない」


 ラルゼの後ろに居たレイが反応を見せる。声こそ上げないものの、目を輝かせ、どうにかチーニの視界に入ろうとそわそわ動く。


「学院の試験に落ちたら?」

「職を紹介して終わり。それ以上の支援はない」


 ラルゼはまっすぐにチーニを見据えた。


「あんんたは取引がしたいって言ったな? それは俺以外にはその推薦状を発行しねえってことか?」

「理解が早くて助かるよ。研修を受けても合格の見込みがない人間には、推薦状を発行できない。制度の存続にはお金がかかるし、そのお金を出してるのは貴族だからね」


 チーニはラルゼの鋭い視線を受け止め、そのまま返しながら言葉を続ける。


「そして、その多くは未来の素晴らしい発見や開発に期待してお金を出してる。だから当然、結果が出せない人間が多くいれば、彼らは出資をやめる」


(こいつの要求をのめば、俺だけが地上に出られる)


 ラルゼの背中には、後ろに居る二人の視線が突き刺さっていた。縋るような、見られているだけで痛むような、そんな切実な視線。お前が居なくなったら、どうやって生きていけばいいのか、とその視線はラルゼに問いかけている。言葉に詰まるラルゼを見て、チーニは小さく息を吐いた。


「まあ、今すぐに返事をしてほしいわけじゃない。二日後の宵の鐘が鳴り終わるまでは、この街のシュラルっていう宿屋にいるから、答えが決まったら、そこまで来てくれる?」


 ラルゼは迷いながらも、その問いに頷く。その動作を確認して、チーニはラルゼに背を向けた。


 地上での暮らし。思い切り勉強ができる環境。そのどちらもがラルゼにとってこの上なく魅力的で、それは他の仲間にとっても同じことだった。地上、しかも三番地と言えば貴族が住む街だ。


「ラル、行っちゃうの?」


 レイがラルゼの服を掴む。縋るようなその動作に、ラルゼは唇を噛んだ。


「ああ、そうだ」


 二歩進んだところにいるチーニが振り返ってラルゼと目を合わせる。


「一つだけ、覚えておいて。君たちの現状を根本的に解決する最も簡単な方法は、君たちの中の誰かが偉くなることだよ。貴族も国王も、力ある人間の話は無視できないから」


 チーニの言葉をかみ砕いて飲み込むラルゼに背を向け、チーニは今度こそ本当に表通りに戻っていった。

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