第18話 やさしいあさごはん

 酒場の裏から出て来たチーニに、レナが駆け寄る。


「お疲れさまです」


 どこか不満そうな顔でレナはそう呟く。


「悪かったと思ってるよ」


 チーニは宿屋に足を向けながら、レナから視線を逸らす。大した説明もないまま朝の早い時間に叩き起こされれば、誰だって不満に思う。レナは唇を尖らせながら、小石を蹴った。


「先輩はいつも説明不足過ぎると思います」


 コロコロと転がった小石に視線を向け、チーニは言われた言葉を心の中で繰り返す。


(いつも)


「この前だって、いきなり十五番地に行くとか言うし。その前は急に野宿することになるし。集合時間に来なかったこともあるし」


 レナの言葉がチーニに小さな棘となって刺さる。何も言わずについて来てくれるから、伝わっていると思っていたのだ。


「集中してるのは分かりますけど、次からはもう少し説明してください」


 チーニは右頬をかきながら「ゼンショシマス」と呟く。レナは不機嫌そうな顔から一転、笑い声をあげた。笑いを含んだ声のまま、レナは言葉を返す。


「善処、お願いしますね」


 頷いたチーニを見て、レナはまた笑った。笑っている間に、宿屋シュラルに到着する。八割ほど上がっているすだれをくぐり、二人はシュラルの中に足を踏み入れた。二人分の部屋を取り、奥の食堂に入る。


「朝ご飯まだやっててよかったですね」

「ギリギリセーフってところだろうけど」


 片づけを始めようとしていた料理人と目が合って、チーニは会釈を返した。


「まだ、大丈夫ですか?」

「ああ、はい。何にします?」


 チーニの問いかけに頷いた料理人は、厨房から出てきて二人にメニューを差し出す。


「じゃあ、おにぎり二つとみそ汁で」

「私は照り焼きチキンのサンドウィッチで」

「はい。おにぎりの具はどうしましょうね?」

「ユニの実の佃煮ってありますか?」

「ああ、はい。ありますよ」

「じゃあ、それで」

「はい、かしこまりました。好きなお席でお待ちくださいね」


 料理人は言葉を残して、厨房に引っ込み、チーニとレナは入口に近い席に向かい合わせで座った。見習いらしき少女が、二人分のお茶を運んでくる。温かいお茶を飲みながら、レナは「そういえば」とチーニに視線を向けた。


「推薦状なんてあったんですね」

「え、入団の時に説明されなかった?」

「えっと……たぶん、されてない、ですね」


 記憶をたどりながら答えるレナの前でチーニはため息を吐く。


「説明したのジェニーさんだっけ?」

「あ、はい」


 緊張しながらレナが頷くと、チーニはもう一度ため息を吐いた。


「あの人適当だからなぁ」


 吐き出された言葉には呆れと諦めが多く滲んでいる。レナは苦笑いを浮かべながら、温かいお茶を飲み込む。


「制度についてはさっき少年に説明した通りだけど、何か質問ある?」

「うーん……あ! さっきある人が作ったって言ってましたけど、誰が作った制度なんですか?」


 チーニは小さく笑ってから、レナの質問に答える。


「ハングさんだよ」

「え。ハングさんってあの、ハング団長ですか?」


 『服が汚れるから』というとんでもない理由で、紛失事件の調査を第一師団に丸投げしたハングの顔を思い出して、レナの眉がきゅっと中央に寄った。その顔を見て、笑みを深めたチーニは頷いて、言葉を続ける。


「あの人は一応、一番地の出身だからね。議会にも顔がきくんだよ」


 驚いて目を見開くレナの前にサンドウィッチが運ばれてくる。お茶と一緒になんとか衝撃を飲み込んだレナはふと、首を傾げた。


「あれ、でも一番地にカーマなんて貴族居ましたっけ?」


 チーニは「あぁ」と呟いて、また小さく笑う。ハングの話をしている時のチーニの顔は心なしかいつもより優しい。レナはサンドウィッチにかじりつきながら、チーニの言葉に耳をかたむけた。


「カーマっていうのはハングさんが勝手に名乗ってるだけだよ。本名はハング・カルト・リぺラルって言うんだ」


 レナが三度瞬きを繰り返す。


「……え?」


 力の抜けたレナの口の端からパンの欠片が落ちる。けれどその事を気にしている余裕はなかった。


「え、え? え? ええ?」


 フリーズした脳みそを必死に動かして、レナはどうにか口を開く。


「リペラル家って、あの、修繕士を束ねてるリぺラル家ですか……?」


 チーニは小さく笑い声をこぼした。


「他にリぺラルって家はないよ」


 レナは余りの衝撃に意識を飛ばしそうになった。


 修繕士というのは、人の傷を治す力を持った人々の事だ。血が止まった傷を特殊な針と糸で縫い合わせ、傷口を完全にふさぐ。傷口が開いていても血が止まれば問題ないものの、時折そこから菌が入って病気になることがある。それを防ぐために多くの人は、何か月かに一度、修繕士のもとを訪れて傷をふさいでもらうのだ。


 修繕の力は血筋に乗って受け継がれるもので、彼らの世界では才能と血筋が全てを決める。


 リぺラル家は「修繕士始まりの家」とも言われており、修繕士のトップに立つ家で、お金も地位も生まれた時から十分すぎるほど手に入る。


「なんでわざわざ兵士になったんですかね……」


 レナが小さな声で呟くと、チーニは視線を落として笑った。


「さあ? なんでだろうね」


 レナはサンドウィッチを持ち上げて、食事を再開する。視線をあげたチーニは、みそ汁を一口飲んでから口を開いた。


「ま、学院に入ってから実家には一度も帰ってないらしいから、貴族たちの世界が性に合わなかったんじゃないかな。あの人、偉そうにしてる人間嫌いだから」


 チーニの口角が緩やかにあがる。レナはサンドウィッチを飲み込んでからチーニに言葉を返す。


「先輩、ハング団長のこと詳しいんですね」


 チーニは驚いたような顔でゆっくりと瞬きをして、それから小さな花が咲くように、優しい顔で笑った。


「付き合いが長いってだけだよ」


 吐き出された言葉はどこかぶっきらぼうで、声には優しさがこもっている。レナはなんだか温かい気持ちになって、笑った。


 やさしく穏やかな時間が、二人の間をゆっくりと流れていく。最悪な現実はその後ろから速足で彼らに近づいていた。

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