第8話 その優しさに価値があるから

 ガシャン。


 強い風が室内を駆け抜けていく途中で、嫌な音がチーニの耳に届いた。部屋に居たほかの二人も、チーニと同じように窓の方へと視線を向ける。


 開け放たれた窓の下。傾き始めた太陽の光が優しく照らす場所に、風鈴だったものがガラス片となって落ちていた。日の光を反射するそれを見て、チーニの呼吸が一瞬止まる。


「あらら」


 一番先に声を上げたのは栗色の長い髪をもった少女だった。ルーナは手に持っていたトランプを逆さまにしてテーブルに置くと、ガラス片に近づく。ルーナが尖ったそれらに手を伸ばした辺りでチーニは我に返った。


「危ないから。僕がやるよ」


 ルーナを手で制して、チーニはガラス片を集める。大きな破片を集め、机の端に置く。ルーナが持ってきてくれた小さな箒と塵取りをつかって、残りの小さな破片を床から取り除く。


「壊れちゃったね」


 ルーナは悲しそうな声でそう呟いた。


「そうだね」


 彼女の言葉に頷きながら、チーニは大きな破片をハンカチに包んでいく。


「仕方ないよ。形のあるものはいつか壊れてしまうから」


 ルーナが平坦な声で言葉を続けた。


「うん」


 風鈴だったガラス片を丁寧にハンカチに包んだチーニは、小さく笑みを浮かべて、包みの上からそれを撫でる。とても優しい手つきだった。


「でも、いいんだ。風鈴だから大切にしていた訳じゃないから。もう、飾ってはおけないけど、大事にすることはできるから。それで、いいんだ」


 ルーナは二度瞬きをしてから、顔をほころばせる。


「チーニらしいねぇ」


 二人の行動をじっと見守っていた白髪の少年は、そこでやっと足の指を動かした。まるで今の今まで体の動かし方を忘れていたような仕草だった。力の抜けたディアの指先から、トランプがばらばらと落ちる。


「どうかした? ディア」


 チーニの視線を受けて、ディアは口をもごもごと動かす。チーニは小さく笑みを浮かべたまま首を傾げ、ディアの言葉を待った。優しくて不器用な彼が、じっくり言葉を選ぶこの時間をチーニは好いていた。


 傷つけないための、傷つかないための、優しい沈黙が三人の間に流れる。


「それ、さ」


 ディアがチーニの手の中にある包みを指さす。


「それ、ちょっとの間俺が預かってもいい?」


 チーニは戸惑いながらも頷いて、ディアに包みを渡した。ディアは手渡されたガラス片を両手で包み込むように受け取る。鳥のひなを扱っているときのような優しい手つきに、チーニは吐息のような笑い声をこぼした。


 柔らかな風が三人の間を通り抜けていく。部屋の中に風鈴の音が響くことはない。チーニは涙を逃がすために目を閉じた。



 次にチーニが目を開けると、そこに二人の友の姿はない。学院時代の寮ではなく第一師団の詰め所の天井が視界いっぱいに映る。チーニはもう一度ゆっくりと目を閉じた。


 けれど、夢の中に落ちていくことはできずチーニは小さく息を吐きながら体を起こす。夢の名残を追いかけるようにして、思い出をたどる。


 割れてしまった風鈴を持ち帰ったディアは次の日、泣きそうな顔でチーニの前に現れた。預けた風鈴の事より、初めてみるディアの表情に焦ってチーニは相手の返事も待たずに、とにかく言葉を重ねる。


「どうしたの」「大丈夫?」「聞こえてる?」そういった言葉が三周くらい口から滑り落ちたところで、ディアがようやく口を開く。


「ごめん」


 小さく吐き出された言葉の真意がつかめず、チーニは首を傾げた。


「これ、直そうと思ったんだけど、うまくいかなくて」


 ディアの両手に乗せられていたのは、不格好になった風鈴だった。短冊の部分には真新しい青色の紙が吊り下げられている。チーニはまじまじと風鈴を見つめ、ゆっくりと現実を噛みしめていく。


 ディアが泣きそうになっている理由を理解して。手元にある風鈴と指先に残る切り傷から昨晩の彼の奮闘を理解して。ディアの優しさと不器用さを理解して。


 チーニは口角があがるのを我慢できなかった。


「ふふっ」


 滅多に声をあげて笑わないチーニの笑い声にディアはぎょっとした顔をして、視線を彷徨わせる。顔全体で笑顔を浮かべながら、チーニはディアと目を合わせた。


「ありがとう。ディア」


 ディアは視線を下げる。


「でも、これ、もうちゃんと音が鳴らないんだ」

「うん。いいよ。何の問題もないよ、そんなこと」

「でも」


 尚も言葉を続けようとするディアを遮ってチーニは口を開く。


「昨日、言ったでしょ。風鈴だから大事にしていた訳じゃないって。大事な人がくれたものだから、ずっと飾っていたんだ」

「うん、ごめ」

「話は最後まで聞いて」


 謝罪を飲み込ませて、チーニは言葉を続ける。


「割れてしまっても、宝箱の中で大事にしようと思ってたんだ。でも、君が繋ぎ合わせてくれた。宝箱じゃなくて、窓辺で大事に飾っておける」

「でも、音が」

「音なんか鳴らなくてもいいよ。大事な人がくれた風鈴を、ディアが直してくれた。それだけで、僕にとって、その風鈴は壊れる前より価値のあるものになったんだよ。だから、ありがとう、ディア」


 ひょこり、とチーニの背後から顔をだしたルーナは優しい顔で笑って「チーニらしいねぇ」と昨日と同じ言葉を口にした。ディアはどこか照れくさそうな顔でそっぽを向く。


 チーニは心臓の辺りがじんわりと温かくなるのを感じて、また笑った。



 優しい記憶に浸るチーニの部屋には、音の出ない風鈴が今も大切に飾られている。

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