第7話 怒ってますか

 夜半の鐘が王都にも響く。詰め所の屋根の上に寝そべってチーニは空を見上げた。黒と青の混ざりあった深い夜の空に、半分欠けた月がぽっかりと浮かんでいる。


 月の光が強いせいか、王都は夜でも街灯に火が灯っているせいか、星は見えない。一人きりで夜の空を照らす月は、どこか寂し気に見えて、チーニは目を細めた。


 ギ、ギ、と梯子を上ってくる音がチーニの鼓膜に届く。夜中過ぎにこんな場所に来る人物に心当たりがあって、チーニは目を完全に閉じた。じっと動きを止め、呼吸を深くゆったりとしたものに切り替える。狸寝入りを決め込んだチーニの頭上に呆れたような、優しい声が降ってきた。


「こんなとこで寝てたら風邪ひくぞ」


 ラウネの言葉にチーニはそっと目を開く。


「寝てませんよ」

「知ってる。ほら、これ着とけ」


 体を起こしたチーニに、ラウネは自分の上着を渡す。チーニはコートとラウネに交互に視線を向け、不貞腐れた様子で言葉を吐いた。


「お子様じゃないんですけど」

「去年風邪で寝込んだ前科持ちが何言ってんだよ、いいから着とけ。お前が寝込んだら、三倍は忙しくなんだから」


 チーニはコートを膝の上にかけながら小さく息を吐きだす。白く濁った吐息はすぐに色を失い世界に溶ける。


「寒いですね」

「そーだな」


 ラウネは冷え切った両手をこすり合わせ、吐息を吹きかけた。ぎゅっと体を縮めた上司の体が、いつもよりもずっと弱弱しく見えてチーニは視線を落とす。


「怒ってますか」

「んや」


 ラウネは月を見上げたまま、言葉を返した。幼い頃に家族を失ったラウネを、ずっと傍で助けてくれたのがサザンカだった。一緒に過ごした日々を思い返しながら、ラウネは言葉を続ける。


「人の好奇心にブレーキはかけられない」

「え?」

「レディラが地下街に出入りするようになってすぐ、俺に言ったんだよ。好奇心に火がついちまったら、もう止まれねえって。だから仕方ねえんだって」


 ラウネはため息によく似た笑い声をこぼした。


「お前は仕事しただけだろ。悪いのは、危険だと知ってて止まれなかったあいつだよ」


 言葉に詰まるチーニの頭をかき混ぜるように撫でながら、ラウネは笑う。


「だから、チーニは悪くねえよ。つかそもそも、仕事に私情を持ち込むのはご法度だしな」


 チーニはコートの中で両手を握る。

 乱暴な手つきで髪の間を通り抜ける指先が優しくて。

 人の心配ばかりしているラウネのことが腹立たしくて。

 自分が傷ついたことには気が付いていないその顔が悲しくて。


 力を抜いたら、泣いてしまいそうだった。奥歯を噛みしめて、瞬きを繰り返し、涙を逃がしたチーニは体をひねってラウネの手をよける。その勢いのまま立ち上がり、ラウネを見下ろしてチーニは言葉を吐きだした。


「さっさと寝ますよ、団長が風邪ひいたなんてことになったら、明後日の会議に支障が出ます。というか、ハングさんに笑われますよ」

「別に健康体でも嗤われるけどな」


 ラウネは眉をよせ、心底嫌そうな顔をしてから立ち上がった。


 一つ、傷を増やした二人を半分欠けた月が、そっと照らす。冷たい風は薄着の二人を嘲笑うように、強く吹き抜けていった。

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