第9話 喧嘩しないでください

 サザンカが警ら隊に引き渡されてから二日目の朝。チーニ、ラウネ、ジェニーの三人は第二師団との定例会議に出席するために三番地を訪れていた。


 第二師団とは、国中に目を光らせ犯罪を取り締まる警ら隊の上位組織で、警ら隊の捕まえた人物を審判会に引き渡す役目を持っている。チーニたち第一師団が王政の味方だとすると、彼ら第二師団は法律の味方だ。


 そうした組織的な考え方の違いから、第一師団と第二師団は常に対立してきた。


 公共馬車を降りてから、第二師団の詰め所が近づくにつれて歩調が遅くなるラウネにチーニは深くため息を吐いた。


「ちゃんと歩いてくださいよ、団長」

「ちょういきたくねえ」


 げんなりした顔でラウネはチーニに言葉を返す。


 長いこと対立している二組織ではあるが、ラウネが団長になってから──というよりも、ほぼ同時期に二つの師団の団長が変わってから、第一師団と第二師団はなお一層溝を深めていた。


 主に、ラウネと第二師団の団長、ハングの個人的な諍いによって。


「仕事に私情を持ち込むのはご法度、なんでしょう?」


 完全に足を止めてしまったラウネの腕を引きながら、チーニは昨晩の言葉を引用する。


「あいつがすぐ私怨を持ち込むのが悪いんだ」

「弱気は格好が悪いぞ、団長」


 ご機嫌な顔で棒付き飴をなめながらジェニーはラウネの腕を引く。開店準備を始めた仕立て屋の主人が、少女と青年に手を引かれて進む壮年の男に愛想笑いをこぼした。チーニはまたため息を吐いて、ラウネの腕をさらに強く引く。


「俺、あいつの顔見たら吐くかもしれねえ」

「まあ、大丈夫じゃないですか。あの人団長の負の感情見ると喜びますし」


 チーニは脳みそでは別のことを考えながら、適当に言葉を返す。その場面をうっかり想像してしまったジェニーは真顔に戻った。


「いや、さすがに喜ばんじゃろ」



 働き者の仕立て屋や、早起きの中流貴族からの好奇の視線を受けながら、三人はようやく第二師団の詰め所にたどり着く。


 白い外壁に、青い屋根がのった大きな建物の前でチーニは、安堵のため息を吐き出した。扉近くに立っていた青年が三人にむかって大きく手を振る。第二師団の副団長で、チーニの一つ上の先輩でもあるシアンだ。


「おはようございます。ラウネ団長、ジェニー副団長、それからチーニ君も。遠いところお疲れ様でした。準備が出来てますので、会議室へどうぞ」


 シアンに招き入れられ、三人は第二師団の詰め所に足を踏み入れる。閉まりかけの扉に向かおうとしたラウネはがっちりジェニーに右腕を掴まれ、深くため息を吐いた。光石こうせきランプの青白い光に照らされた廊下を進みながら、シアンはチーニを振り返った。


「ニフ君は元気にしてる?」

「あー、はい。相変わらず地下室にこもりきりですけど、元気ですよ。お二人は同期でしたっけ?」


 チーニの問いかけにシアンは首を縦に振ってから、苦笑を浮かべる。


「まあ、彼が僕のことを覚えているかは、ちょっと分からないけどね」

「ニフは人の名前を覚えるのが苦手じゃからな。第一師団の人間を覚えているだけでも偉いものじゃ」


 ジェニーの言葉にシアンはさらに苦笑を深める。玄関に向かおうとしたラウネの腕を今度はチーニが強く引いた。ラウネの抵抗も空しく、四人は会議室に着く。扉を開け、一足先に中を確認したシアンは深くため息を吐き、綺麗な笑顔でチーニたちを振り返った。


「ちょっと、中で待っててくださいね。すみません、ハング団長、寝坊したみたいで……すぐ、連れてきますから」


 穏やかな笑顔を浮かべるシアンの手の中で金属製のドアノブが音を立てて歪んでいく。チーニは思わず半歩下がった。学院生の頃から怒ると「ついうっかり」で学院の設備を破壊していたシアンの癖は、今も直っていないらしい。


(優しい顔して怪力だからなぁ、この人)


 チーニは使い物にならなくなったドアノブと、修理費に頭を悩ませるだろう経理担当の団員に心の中で敬礼した。走り去っていくシアンを見送って、チーニたちは会議室の中に入る。


「いつ来ても広いのう」


 ジェニーはぐるり、と室内に視線を巡らせた。片方の辺に十脚は椅子を置ける横長の机と、六脚の椅子が広い会議室の中央に置かれている。広い部屋なのに他に物はなく、そのことが余計に部屋を巨大に見せていた。


 走り回ろうとするジェニーとこの期に及んで帰ろうとするラウネを捕まえて、チーニは奥側の椅子に座る。チーニは暴れる二人を片腕で押さえながら、深くため息を吐いた。



 チーニたちが椅子に座っている頃、第二師団の詰め所内をトップスピードで駆け抜けたシアンは、上司の部屋のドアを蹴破っていた。


「こらこらこら。足癖が悪いよ、シアン」


 シアンに蹴り飛ばされたドアに視線を向けることもなく、ハングは悠然とした笑みを浮かべて、手元の書類に必要な情報を書き込んでいく。


 ハングが真面目に書類仕事をしているのを見て、シアンは一瞬、自分が何をしに来たのか忘れそうになった。うっかり感動してしまうほど、ハングが机に向かって仕事をしているのは珍しい光景なのだ。


 シアンは軽く頭を振って、感動を追い出すとハングの手元から書類を奪い取る。


「何やってんですか、ハング団長」

「何って……仕事だろう? 見て分からないのかい?」


 シアンは深くため息を吐いた。


「団長の今日のお仕事は、第一師団との会議です。書類整理はそれが終わったらお願いします」

「嫌だね。私は今日、どうしても、書類整理がしたい。書類整理以外の仕事をしたら、嫌悪で死んでしまうよ。いいのかい? 大事な団長が死んでしまっても」


 ハングは両手を組んで顎を乗せると、目を細めてシアンを睨む。普段なら圧を感じる表情も、会議が嫌だと駄々をこねているだけの今日はほんの少しも怖くない。シアンは穏やかな笑みを浮かべて、ハングに言葉を返す。


「駄々が許されるのは、子供だけですよ」

「駄々なんてこねていないさ。ただラウネの頭の悪い顔を見る位なら、ここで書類整理をすると言っているだけで」

「それを駄々って言うんです。チーニ君も団長の我儘に付き合ってわざわざ来てくれてるんですから、早く会議室に行きますよ」

「チーニ君だけ、ここに連れてきたらいいと思わない?」

「思いません。時間おしてるんですから、早くいきますよ」

「ラウネは待たせるくらいがちょうどいいさ」


 一向に立とうとしないハングにシアンはため息を吐いた。机を回り込んでハングの前に膝をつき、綺麗な笑顔を浮かべたままシアンは二つの選択肢を示す。


「お姫様抱っこで行くのと、自分で歩くのと、どっちがいいですか?」


 ハングは両手をあげ「降参だ」と笑った。


「君の怪力を自慢して、第一師団に勧誘でもされたら大変だからね」


 眉を下げ困ったような笑顔を浮かべながら、ハングはそう言葉を続ける。シアンは脅し文句がうまく機能しなかったことを悟って、小さくため息を吐いた。



 チーニが帰ろうとするラウネを説得していると、会議室の扉が開いた。シアンと、鎖骨までの長髪を左耳の下で一つにまとめた背の高い男性が、中に入ってくる。ジェニーとチーニは姿勢を正し、ラウネは深くため息を吐いた。


「やあ、チーニ君! 久しぶりだね」


 長髪の男性──ハングが、チーニの向かいに座って顔をほころばせる。


「また警ら隊に力を貸してくれたみたいだね。そろそろ第二師団に来る気になったかな?」


 チーニが言葉を返すよりも一瞬早く、ラウネが口を開く。


「俺の部下に唾つけてんじゃねえよ、切り刻むぞ」

「あぁ、ラウネ。君も来ていたとは……さらに存在感が薄くなったんじゃない?」

「あ? てめえこそ生え際後退してんじゃねえか、髪結ぶのやめた方がいいぜ」

「ご忠告どうも。君の安心のために言っておくと、一ミリも後退してないよ」

「測ってんのかよ、真面目か?」

「私としては、怒りっぽい君の方が禿げないか心配になるね。ストレスは頭皮に悪いよ? 大丈夫?」

「俺は禿げてねえし、これからも禿げねえんだよ……!!!」


 ラウネが拳を握りしめて、声を絞り出す。ハングは「ふぅん?」と馬鹿にしたような笑顔を浮かべた。


「ああもう、喧嘩しないでください」


 シアンは出席者にティーカップを配りながら、二人を止める。乱暴な動作で置かれたカップがカチャカチャと音を立てるのを見て、チーニは小さくため息を吐いた。


「毎回こうなるのう」


 ジェニーは楽し気に笑って、棒付き飴をかみ砕く。シアンの持つティーポットから紅茶が注がれている間も、ラウネとハングの言い争いは止まらない。チーニは自分の分の紅茶に角砂糖を五個とかして、くるくると混ぜた。飴を食べ終わったジェニーが「砂糖の使い過ぎは体に悪いぞ」と囁く。


「ジェニーさんの飴も砂糖の塊ですよ」

「わしは子供じゃから大丈夫じゃ」

「ジェニーさんが子供なら僕は赤ちゃんなので、大丈夫ですね」


 二人が囁き声で話している間に、紅茶が全員に回り、ラウネとハングは口を噤む。シアンは安堵の息を吐いて、テーブルの上に資料を並べた。



 ようやく、第一師団と第二師団の定例会議が始まる。

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