第3話 ディアルム・エルガー

「子供たちが騒がしいと思ったら、あなたが帰って来てたのね。デートかしら?」

「お陰様で、デートに制服を着ていくようなセンスは持ってないよ」


 チーニの言葉に女性は口元を隠して笑う。上品さがにじむ仕草だった。女性は二人を中に招き入れながら「それで?」と、チーニに問いかける。


「旧交を温めに来たわけじゃないなら、仕事の話?」


 女性がすだれを下ろすと、チーニは勝手知ったる様子でオイルランプに火を灯した。薄暗かった室内が、オレンジ色に照らされる。レナは勧められるままに、中央のソファに腰を下ろした。隣にチーニが、ローテーブルを挟んで女性が座る。


「さて……本題に入る前にお茶を淹れましょう。今日は少し冷えるから」


 女性はそう言って立ち上がると、奥のすだれの向こう側に消える。レナはぐるりと室内を見渡した。


 棚いっぱいの瓶には、香水らしき液体が入っているものと空のまま置かれているものが半分ずつ。白を基調とした花々が生けられた花瓶に、床を覆う毛足の長い絨毯。どれも互いの色を邪魔しない配色で、女性のセンスがうかがえた。


「あの人は、レディラ・サザンカ。経歴は、さっき話した通り」


 室内の空気に混ざるような小さな声で、チーニは女性──サザンカについて話し出す。


「王妃の香水を調合しているくらい腕の立つ人で……珍しい植物とか高価な香料を対価に情報を売買する地下街の情報屋」

「情報屋?」


 思わず聞き返したレナにチーニはゆっくりと頷く。


「具体的にどんな情報をやり取りしているかは知らないけど、情報収集の腕も一流なのは確かだよ」

「あら、嬉しいこと言ってくれるのね」


 いつの間にかチーニの背後に居たサザンカは上機嫌そうに笑う。チーニは立ち上がってサザンカの持っていたトレーを受け取り、三つのカップをテーブルに並べた。言葉を介さずとも意思疎通が出来るらしいその様子は、二人の付き合いの長さを物語っている。レナはマグカップに口をつけ、花の香りがするお茶を一口飲んでから、話を続けた。


「地下街って、光石こうせきの炭鉱跡に浮浪者とか、警ら隊から逃げる犯罪者とかが勝手に住み着いたっていう……地下街ですか?」


 レナの問いかけにチーニが頷く。


「そう。光石は百年くらい前に凄く流行って随分無茶な採掘が行われたらしいんだけど……警ら隊の監視が行き届かなくなって、中止されたみたいだね」


 チーニの言葉をサザンカが引き継ぐ。


「そこに、警ら隊の監視から逃れたい人間が勝手に街を作って、住み始めたのが地下街。炭鉱に入るために造られた入り口が、今は地下街への入口になってるのよ。この店舗の奥にも、地下に下りられる場所があるわ」


 サザンカは足を組み替え、カップを持ち上げると香りを確かめてから紅茶を口に含んだ。チーニはカップには手を付けず、サザンカを睨む。その鋭い視線を受けても、サザンカが笑みを崩すことはない。


「最近、王宮への献上品が紛失する事件が続いてる」

「知ってるわ。どの献上品もなくなる量は少数。でも、不注意にしては件数が多すぎる。だから、第一師団あなたたちが動き出したって。地下街でももっぱらの噂よ」


 チーニはサザンカに向けていた視線を下げ、小さく息を吐いた。レナはその仕草がどことなく不安げに見えて、首を傾げる。


(紛失事件の調査を頼みに来たわけじゃない、のかな)


 チーニは唾を飲み込んでから、視線を上げ、口を開く。


「献上品の紛失が初めて発覚したのは、三か月前。同じ店の籠に入っていた献上品の数が、すべて合わなかった。次はその二週間後。同じ布に包まれて届いた献上品の数が、やっぱり合わなかった。その後も、同じような状況で献上品が紛失する事件が起こった」


 チーニはそこで一度言葉を切った。サザンカはもう一度足を組み替え、カップに手を伸ばす。


「献上者の不注意にしては、あまりにも不自然な点が多すぎる。誰かが意図的に献上品を盗んだんだ。でも、手の込んだやり口のわりに実行犯は詰めが甘く、肝の小さい人物が多かった。その事に加え、短期間に同じ手口の犯罪が何度も起きている、となれば、答えは簡単だ。実行犯の他に、手口を考えて商人たちを唆した人間がいる」


 チーニは深く息を吐き出して、視線を下げると言葉を続けた。


「今日、捕まった商人の倉庫にここの香水があったよ。他にも、香水の匂いがスーツに残っていた商人は何人かいる。彼らを唆したのは、貴方だね? サザンカ」

「疑うの?」


 サザンカはゆったりとした笑みを浮かべたまま、目を細めてチーニを睨む。視線を上げたチーニも、同じような冷たい目でサザンカの視線を受け止める。


「僕相手に嘘を吐くの?」


 サザンカは笑い声をこぼすと、カップに手を伸ばし、中の紅茶を飲み干した。レナは、膝の上で握りしめられたチーニの手に視線を向け、奥歯を噛みしめる。サザンカは二人を招き入れた時と変わらない笑顔を浮かべたまま、カップをソーサーに戻してから口を開いた。


「随分頭が回るようになったのね」

「お陰様でね」

「そうよ。私が商人たちに、献上品の上手な盗み方を教えたの。でも、私がやったのは教える所だけ。残念だけど、手口を考えたのは私じゃないわ」

「え?」


 驚いて声を上げたレナとは対照的に、チーニは驚きよりも失望の強い表情で「そうだろうね」と呟いた。


「あら、わかってて先に私のところに来たの?」

「貴方が全部の犯人だったらいいと思ったから、先にこっちに来たんだよ」


 いつもより乱暴な調子で、チーニはそう吐き捨てる。


「ひどいこと言うわね」

「貴方が犯人なら、この事件はここで終わるからね。僕は貴方と違って仕事が嫌いなんだよ」


 投げやりな様子で言葉を吐くチーニに、サザンカは柔らかな笑い声をあげた。空気に優しく溶けるような、慈しみに満ちた笑い方だった。レナは視界の端にあるチーニの手がさらに強く握られたことが分かって、眉間に皺を寄せる。


「それで? サザンカは誰に唆されて教唆なんてくだらないことに手を出したの?」


 サザンカの唇が動く。

 吸い込まれた空気が声になる様子を、チーニは目を逸らさずにじっと見つめる。その口から出る名前が、予想とは違って、知らない人のものだったらいいと、そう、願いながら。


「ディアルム・エルガー。本人かどうかは知らないけど、私の前ではそう名乗ったわ」


 チーニは心臓にナイフを差し込まれたような痛みを感じる。懐かしく、名前を聞くだけで胸の奥があたたかくなるその人は。夢の中で何度も思い出をなぞるその人は。最悪の形でチーニの前に再び姿を現そうとしていた。


「ディアルム・エルガー?」


 聞きなれない名前にレナは首を傾げる。


「王と正妻の間に生まれた子供の名前だよ。……まあ最も、四年前に失踪して、もう王位継承権は持っていないけどね」


 チーニの答えに、レナは目を見開いた。


「え……じゃあ今回の事件の一番奥に居るのは王族ってことですか?」

「血筋だけ見ればね。詳しいことは馬車の中で話すよ。とりあえず、サザンカを警ら隊に引き渡そう。あんまりほっとくと、逃げ出しかねない」


 チーニは立ち上がって、サザンカの両手に麻布をかけ、両手首を縛る。


「そろそろ、第一師団わたしたちにも手錠ほしいですよね」


 レナはサザンカの手首に視線を向けて苦い笑いを浮かべた。



 犯罪者を取り締まるのは警ら隊やその上位組織である第二師団の役目であり、チーニたちには犯罪者を逮捕する権限はない。


 こうして、王政に関わる犯罪を犯した人物を拘束することも少なくないのだが、組織間の対立や王政と法律の力関係など、立ちはだかる問題が多く、今のところチーニたちに手錠は支給されていない。


 チーニはサザンカの手首に繋がる紐をレナに預け、オイルランプの火をおとした。いつの間にか日が沈んでいたらしく、オレンジ色の光が無くなると室内は暗闇に包まれる。レナはサザンカの体に触れて、居場所を確かめつつ、チーニがすだれを上げるのを待つ。


「さあ、行こう」


 すだれをあげたチーニは、二人にそう声をかけ、ガス灯と月明かりに照らされた夜の道に足を踏み出した。

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