第2話 十五番地の調香師

 個人用の馬車に乗り込んだチーニは、コートの内ポケットから掌サイズの小瓶を取り出した。中には色とりどりの立方体がぎっしり詰まっている。


「いつも思ってたんですけど、なんですか? それ」


 向かい側に座ったレナの問いかけに、瓶の中をのぞいていたチーニは視線を上げる。


「何って……花砂糖はなざとうだけど」


 レナは思わず三度瞬きを繰り返した。


「はなざとう……」


 花砂糖とは、紅茶などに溶かして花の香りを楽しむための角砂糖である。花弁の砂糖漬けシロップを白い角砂糖に浸み込ませて作るので、一粒がかなり甘い。とにかく甘い。そんな甘さの暴力ともいえる花砂糖をそのまま食べるのは、味覚の麻痺したご老人か、意地を張りたがる子供くらいだ。


 呆気にとられるレナの前で、チーニは青色の立方体をそのまま口に放り込む。


「そのまま……食べる、んですね……」

「結構おいしいよ、食べる?」


 小瓶を差し出されて、レナは両手で罰を作りながら勢いよく首を横に振った。


「絶対いらないです。甘すぎて、向こう三食はご飯食べられなくなりますもん」

「ならないけど……」


 チーニは小瓶の蓋を閉めると、コートの内ポケットに仕舞う。口の中で花砂糖を転がしながら、窓の外に視線を向けた。


 平民の中でも比較的裕福な層が暮らしている十三番地を抜けると、商店よりも民家が目立つようになってくる。出入り口にも木の扉より、植物の蔦で編んだすだれが垂れている建物が多い。


 この国をぐるりと囲む森には、木々を守る番人ばけものが住んでいるせいで、天然の樹木は貴族でも簡単には手が出ない高級品だ。人工的に樹木を育てているものの、それでも需要に供給が追い付かず、木材の値段は常に高騰している。


「すだれだとこれからの時期は寒いですよねぇ」


 チーニと同じように外を眺めていたレナが笑いを含んだ声で呟く。


「レナは二十一番地の出身だっけ」

「そうですそうです。北二十一番地。超田舎街で、いろいろ足りないものだから、夏とか子供は裸足ですよ」


 文句を言っているものの、楽しそうな顔でレナはそう続けた。


「先輩はどこでしたっけ?」


 チーニは窓の外に視線を向けたまま、呟くような声で答える。


「東十五番地、僕らの目的地だよ」


 サンダルで走り回る子供たちを追い越して、馬車は東十五番地に入った。



 東十五番地の中心地でチーニとレナは馬車を下りる。中心地と言っても、十一番地ほどの賑わいはなく、近隣住民のための商店街といった雰囲気だ。


 突然現れた個人用の馬車に好奇の視線を向けていた人々は、チーニたちの黒いコートが目に入るとさっと、視線を逸らし口を噤む。誰だって王直属の兵士に目を付けられたくはない。遠慮がちに向けられる視線を受け流しながら、チーニは目当ての人物を探して辺りを見回す。


「あ! チーニ君だ!!」


 人ごみを切り裂くようにして、声変わり中の濁った少年の声が響く。レナは驚いて声の主に視線を向ける。人をかき分けて出てきたのは、ひょろりと縦に長い十二、三歳の少年だった。


「チーニ君、何してんの? 今日お休み? あ、デートでしょ! 綺麗な人連れてるもんね」

「デートじゃないし、休みでもないよ」


 駆け寄ってきた少年の頭をなでながら、チーニは柔らかな声を返す。


「先輩も地元じゃいいお兄ちゃんなんですね」


 レナが笑いながらかけた言葉に答えたのは、少年の方だった。


「違うよ! チーニ君、すげえ物知りだけど、追いかけっことか絶対してくれないし。みんなテスト前だけ寄ってくの!」

「見事な辞書扱い」


 口数も表情のレパートリーも少ない先輩が、小さな子供たちと追いかけっこしている様子を想像して、レナは小さく笑った。子供と走り回ることほど、チーニのイメージに合わないことはない。


「サイラ達の体力が底なしだからでしょ」


 チーニは少年の頬を軽くつまんで、言葉を挟む。


「それでサイラ、ブーケリアのおばさんは?」

「お姉さんって呼ばないと怒られるよ。サザンカ姉さんなら、今の時間は大体お店にいるよ。チーニ君ブーケリア行くの? 俺も一緒に行っていい?」

「うん。久しぶりだからサイラが案内してくれると助かる」


 サイラに手を引かれて、二人は十五番地の家の間を進む。途中でチーニに気が付いた子供が増え、いつの間にか随分とにぎやかな集団になっていた。


「レナお姉ちゃんは、コーハイなの?」


 いつの間にか手を繋いでいた少女の言葉に、レナは頷く。


「そうだよ。三つ下だから、学院に居た時期は被ってないけどね」


「コーハイってなに? 子分?」


 首を傾げながら問いを発した少年の坊主頭をチーニは軽く叩いた。


「後輩は……年齢が下の人ってことだよ。子分じゃない」


 坊主頭の少年は、いまいち納得できない顔で「ふぅん」と言葉を返す。チーニは吐息のような笑い声をこぼした。手を引いていたサイラが「チーニ君、元気そうだね」と手を握る力を強める。


 人ごみの喧噪を何よりも嫌うチーニが、子供に囲まれて笑っているのを見て、レナは何となく安心したような気持ちになる。


「何その顔」


 安心が顔に出ていたのか、振り返ったチーニが照れくさそうな顔でレナに言葉をかけた。


「いやぁ、先輩にも心休まる場所があるんだなぁって」

「……僕は、王都でも心休まってるよ」


 そうこうしているうちに、目的地である「ブーケリア」の前にたどり着く。店主の『お姉さん』は子供たちに恐れられているのか、店の前につくと子供たちは口々に別れを口にして去っていった。


「ここ、ですか?」


 薄茶色のレンガで作られた四角い建物を指さしてレナは首を傾げた。出入り口には、アストラガスの蔦と一緒に色とりどりの花を編みこんだすだれが垂らされ、どこからか優しい花の香りが漂ってくる。


「そう。これから会うのは、香水作りの腕を見込まれて王宮に呼ばれたのに、それを断ってわざわざ十五番地にお店を建てた変わり者の調香師だよ」


「変わり者とは失礼ね。この街が好きだから、ここに居るのよ」


 すだれが上がり、長い髪をきっちりとまとめた初老の女性が、姿を現した。

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