第1話 商人の嘘

「ゆ、許してくれ……! ほんの出来心だったんだ」


 薄暗く、人気もない裏通りで商人は地面に頭をこすりつける。昨晩降った雨のせいで出来上がった泥が額やスーツを汚すが、そんなことを気にしている場合ではない。商人は深く頭を下げながら、もう一度目の前の男に許しを乞うた。黒の袖なしコートを羽織った男は冷めた目で商人を見下ろす。


「王宮への献上品を盗むのはこれが初めて?」


 男の問いかけに、商人は何度も勢いよく頷く。その反動で男のズボンにも泥が飛ぶ。そのことに慌てたのは男よりも商人の方だった。震える声で言い訳を重ねる商人に、男はさらに言葉を続ける。


「随分つまらない嘘だね」

「おれは、うそなんか」


 力のない否定が商人の口から滑り落ちる。


「献上品の数が申請と合わない事象は今月に入って三度起きている。一度目は南二十三番地から献上されたアストラガスの蔦が三メートル分足りなかった。二度目は西十三番地から持ってこられた角砂糖が小瓶一つ分、少なかった。そして、三度目」


 男は三本目の指を立てる。商人の呼吸が止まる。


「東十一番地。藍染の布が一巻き分、足りなかった。君の店から献上されたものだよ」


 男は目を細めて商人を見やる。灰色の瞳に射抜かれた商人は喉元にナイフをあてられたような気持ちになって、どうにか男の前から逃げ出そうと両足をずるずると動かす。けれど、恐怖で力が入らず立ち上がることが出来ない。商人は震える声を吐き出す。


「お、おれがやったのは、最後のだけだぞ、ほかのふ、ふたつなんてしったことか」


 男は小さく息を吐き出してから口を開いた。


「アストラガスの蔦も、角砂糖も、綺麗な藍染の布に包まれていたよ。あれ、君のところの商品だろう? 店舗を示す刺繍はなかったけど、あの染まり具合と日に当てた時の光沢からすぐにわかったよ」

「お、俺は」

「『献上品の包装を請け負っただけ』?」


 商人のこめかみから大粒の汗が伝う。


「近所で噂になってたよ。君が献上品を無料で包んでるってね。いやあ、いい嘘の使い方だよね」


 男の声が笑いを含んで上ずる。


「献上品は中身だけじゃなく、包装にまで気を遣うのが一般的だ。そしていい布や上等な籠はかなり値が張る。そこに、品質が高いと有名な反物屋が『無料で包装してくれる』なんて話を聞いたら、商売に慣れてない人が飛びついても無理はない。それを利用した」

 

「おれは、ただ……」


「包装するからと言って献上品を預かり、中身をほんの少しだけ盗む。あんまりたくさん盗むとバレやすいからね。そうやって、少しずつ献上品を集め、ある程度溜まったら地下街を通して貴族たちに売りさばく。そういう計画だった」


 男はそこで一度言葉を切り、腰を折って商人の顔を覗き込んだ。


「まだ、醜い嘘を重ねる元気があるかな?」


 商人の全身から力が抜け、目からも抵抗する気力が失せる。それを確認した男は、奥の通りからも見えるように右手を振り下ろした。すると、五つの人影が男の背後から現れる。白い制服に身を包んだ警ら隊の人間だ。彼らが商人を立ち上がらせると、上品な花の香りが男の鼻を掠めた。


 警ら隊は拘束した商人を連れて表通りに消える。そのまま警ら隊の支部に連れていくつもりなのだろう。力なく項垂れて連れていかれる商人に視線を向けながら、男は深く息を吐き出した。


「今回はご協力ありがとうございました」


 警ら隊を指揮していた女性は敬礼と共に男に向かって感謝を口にする。男は抑揚のない声で「仕事をしただけなので」と呟いて、女性に背を向けた。




 薄暗く湿った裏路地を抜け、表通りに出る。長いこと暗い場所にいたせいか、太陽光が目に染みて、男──チーニは目を細めた。何度か瞬きを繰り返して痛みを逃がすと、今度は活気ある街並みの鮮やかな色彩が目に飛び込んできて、チーニは思わず二歩下がった。


 客寄せのために声を張り上げる食事処。

 彩り豊かな服をショーウィンドウに飾る仕立て屋。

 通りを行き交う公共馬車。

 店先で走り回る子供の声。


 あまりの騒々しさにチーニは深くため息を吐いた。糸と布と刺繍で有名なこの街は、貴族街と平民街の境目になっていることも相まって、どこに行っても賑わっている。商店の間から、人々の往来を眺めているチーニのもとに、一人の少女が駆け寄る。


 王直属の近衛兵のみが着用を許された黒の袖なしコートを身に着け、金色の長髪を後頭部で一つに結んだ彼女は、チーニの四つ下の後輩だ。


「終わりました?」


 両手に持っていたサンドウィッチの一つをチーニに手渡しながら、レナは首を傾げる。


「警ら隊の仕事はね」

「なるほど。私たちの仕事はこれからですか」


 チーニは昼食のサンドウィッチをかじりながら頷く。柔らかなパンにベーコンとレタスが挟まれていて、マスタードがアクセントになっている。レナはサンドウィッチを噛み締めて、顔をほころばせた。


「おいしいですね、これ」

「そうだね」

「この後、どうします? とりあえず王都に帰りますか?」


 チーニはもごもごと口を動かしながら、首を横に振った。


「いや。このまま十五番地に行く」


 レナは言葉数の少ないチーニの真意がつかめず首を傾げたが、それ以上の説明はない。


(ま、よく分かんないのはいつもの事か)


 謎を追いそうになった思考を切り替え、下の番地に行く公共馬車の時刻表を頭に浮かべた。十五番地には、下りの馬車に乗りさえすればたどり着ける。時刻表を頭の中で確認しながら、腕時計に視線を落とした。


「十七番地行きの馬車が三十分後に出るので、それに乗っていきます?」


 サンドウィッチの最後の一口を飲み込んだチーニは表通りに視線を向け、げんなりした様子で一つ息を吐いた。


「……個人用の馬車借りよう。どうせ経費で落ちるんだし」

「えええ。無駄遣いしたら怒られますよ」

「無駄遣いじゃなくて、必要経費でしょ。混んでる馬車に乗ったら、僕の脳みその回転が落ちる。そしたら一日で終わる仕事が泊りがけになるし、そっちのがお金かかるよ」


 レナは駄々をこねるチーニを半目で見やる。視線を逸らし、懐から小瓶を取り出したチーニを見て、レナは深くため息を吐く。こうなったチーニは何をしても意見を変えないと経験から知っていたからだ。


「ニフさんには、先輩一人で怒られてくださいね」


 チーニは薄く笑みを浮かべる。


「お説教くらいなんてことないよ」


 囁かれた言葉が聞き取れず、レナは首を傾げた。


「なんて言いました?」

「なんでもない。それより、そろそろ移動しよう」


 レナと連れ立って表通りを歩き出したチーニの頭には、居なくなった親友の顔と、残酷で最悪で悪趣味な現実が連れてきた最低な仮説が浮かんでいた。


(ディア。君は今、どこにいるのかな)


 心の中の問いかけに答える声はない。

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