第50話 猛然たる攻防

凍てつく空気の中、一人の少女が宙に浮かんでいた。赤く綺麗な髪を靡かせ、胸の前で両腕を組み、怒りに満ちた冷たい視線で地上を見下ろしている。


「ナギ……」


地面に転がる一神が弱々しい声で呟いた。


「ほお、これはまた強そうなのが来た」


白髪の魔人が不敵に笑う。

それを見たナギの眉が微かに動いた。


「ムカつくわね……笑ってんじゃないわよ!」


ナギの周辺に再び無数の氷の刃が出現し、魔人の男目掛けて高速で撃ち出された。

男は後方へ回避し次々と氷の刃を交わしていく。その度に氷の刃が地面へと突き刺さってそこら一帯を凍らせていく。


「殺せっ!」


男が再び魔物を召喚。歪んだ空間から現れたワイバーンが二体、ナギに向かって飛んで行く。


「邪魔しないでくれる?」


ナギが呟いた次の瞬間には、空中でワイバーン達の身体が幾度にも亘り切り刻まれ、血肉を飛ばした。

風魔法による不可視の刃だった。


「あの小娘は一体……」


魔人の男の顔つきが変わる。いよいよ彼女の実力を理解し始めた。


「ふっ!」


ナギが杖を翳すと、瞬時に現れた無数の火球が魔人目掛けて、まるでガトリングの様に飛んで行く。


「くそっ」


魔人の男も凄まじい速度で飛来する火球を回避するが、近くの地面で弾けた火炎の風圧に吹き飛ばされる。その先で何とか体勢を立て直すが、


「まだ終わってないわよっ!」


その一瞬の隙をつき、直径三メートルにも及ぶ巨大な火球が打ち出された。魔人の男はギリギリで直撃を避けたが、地面で爆発し広がった火炎に巻き込まれ吹き飛ばされる。


「す、すごい……」


一神が小さく呟く。

自分たちが束になって手も足も出なかった相手を、ナギは圧倒していた。彼女がここまで強いとは思ってもみなかった。

勝てる。そう一神が確信した頃には、ナギの周囲に三度みたび、氷の刃が出現していた。


「死になさい」


その声と同時に、無数の氷刃が魔人の男へと撃ち放たれた。

しかし氷刃が男へ直撃するその手前、氷刃は歪んだ空間に吸い込まれるようにどこかへ消えてしまった。

一体何が起こったのか、ナギが驚愕していると、


「――ッ!?」


ナギは自身の背後から魔力の気配を感じ取った。

すぐさま振り返りるが、既に自らが撃ち放った氷刃の群れが背後から迫って来ていた。避けられない、そう判断した彼女は瞬時に熱魔法による火炎を解き放つ。

火炎が氷を爆発的に蒸発させるが、取りこぼした氷刃の一部が彼女の脇腹を掠める。更に氷の群れが爆発したその衝撃の余波が、彼女の軽い身体を弾き飛ばして地面に叩きつけた。


「ぐっ――」


久しく感じた痛みに顔を歪める。

しかし敵は待ってはくれないようで、いつの間に抜いた剣で魔人が斬り掛かって来る。

ナギはすぐに風魔法の風圧を利用して緊急回避。しかし回避先で一息つく暇もない。敵が闇魔法を使用したことによって、ナギの身体が引き寄せられる。引き寄せられた先には奴の剣撃が待ち構えていた。


「調子に……のんなっ!」


ナギの魔法で地面が変形。岩で出来た強固な壁がナギと魔人との間に形成され、奴の剣撃を防いだ。

しかし再び彼女が空を飛ぶ時間を与えるつもりは無いようで、魔人は体勢を立て直したばかりのナギに凄まじい速度で詰め寄った。

ナギの脳がフル回転する。

相手に空間を操る能力がある以上、遠距離攻撃は不利。近接戦で勝ち目はない。となれば――。


「はあっ!」


地面に手を触れ魔力を流し込む。大地がうねり、無数の棘が地面から突き出し魔人の男へと向かっていく。

男は瞬時に上空へと飛び上がり、ナギの攻撃を躱す。

――ここだっ!

ナギの握る杖の先端が眩く輝いた。


「スパークトルネード……!」


周囲の空気が回転するように収束して行く。その勢いは次第に増していき、ついにそこに巨大な竜巻を巻き起こした。

周囲の砂利を巻き上げ、竜巻の中でそれらが擦れ合い激しい火花を散らす。更に竜巻は帯電していて、時折周囲に放電を繰り返している。

あまりの暴風に成村が悲鳴を上げながら星野を抱きしめた。

激しい暴風で魔人の男が今どうなっているかは分からないが、この魔法に巻き込まれて無事でいられるはずは絶対に無い。

そうして竜巻が次第に収まってゆき、視界が晴れたその先に――。


「いない……」


魔人の男の姿は無かった。

そして、


「きゃあっ」


背後から悲鳴が聞こえナギが振り返ると、


「はぁ……はぁ……」


呼吸を乱しながらも、成村の首元に剣を向け彼女を人質に取る魔人の姿があった。どうやってあの攻撃から逃れたのかは分からないが、この状況が良くないことはナギも十分に理解している。


「ふふっ、悪く思うな小娘。まともにやり合っても部が悪そうだったからな。お前は強かったよ。さあ……その杖を捨てろ、今すぐにな」


不敵に笑う魔人。刃を向けられ怯える成村。

そんな二人を見てナギは一息吐いた後、


「はぁ……降参。私の負けよ」


手に持った大杖をカランとその場に落っことし、両手を上げた。

次の瞬間――固く尖った岩の弾丸が超速で剣を握る男の手元に撃ち出された。


「なにっ――!?」


男の手から血が飛び散り、同時に握っていた剣が地に落ちた。

続けざま、男の額にもう一撃、岩の弾丸が着弾する。

男は頭部から血を流し、数メートル後方に吹き飛んだ。その拍子に成村が地面に転がる。

血を滴らせ何とか起き上がろうとする魔人族の男。その眼前にナギが立ちはだかった。


「杖がないと魔法が使えないとでも思った?私の魔法精度を舐めないでくれる?」

「くっ……」


男に向けて手を翳し、魔力を練る。


「これで終わりよ」


そう言ってナギが魔法を放とうとしたその時、目の前の魔人が小さく笑った。

――ナギの身体が一瞬揺れた。

背中が、腹が熱い。ナギが視線を落とすと、腹部から短剣の剣先が突き出しているのが見える。

あれ、そう思った時には既に、彼女は倒れていた。


「ナ、ナギ――ッ!!」


一神の叫び声が聞こえる。しかし腹部が信じられないほど熱くて、全身に力が入らない。

何とか視線を動かすと、すぐ近くにくすんだ青髪の男が立っているのが見えた。青髪の男の頭には白髪の魔人と同様に黒い角が生えている。


「ふふはははっ、俺が一人でこんな場所に攻め込んだとでも思ったか?勘違いするなよ小娘」


白髪の魔人が笑いながら立ち上がる。しかしナギには最早、言い返す力も残っていない。


「ハデル、遅かったな。聖女たちはどうなった?」

「あぁ、すまない……城の中を組まなく探したが聖女も国王もいなかった。おそらくは既に隠し通路か何かで逃げた後だろ」

「そうか。まあいい、今回の目的は勇者の殺害だ。すぐにでも終わらせてしまおう」


白髪の魔人は落とした剣を拾い上げ、


「まずは貴様からだ、小娘……」


ナギの頭上でそれを振り上げる。


「や、やめ……ろ……っ」


背後から聞こえた声に、魔人の手が止まる。

魔人が振り返ると、一神が痙攣する身体で必死に立ち上がろうとしていた。


「ふん、死に損ないめ。貴様はそこで見ているがいい。仲間が次々に殺されていく様をな」


魔人が剣を握る手に力を込めた。


「やっやめろ……やめろぉおおおお――――ッ!!」


そう叫んだ一神の身体が淡く輝いた。

何事かと魔人二人が振り返ったその時には既に、一神が先程とまでとは比較にならない速度で詰め寄ってきていた。

一神のスキル〈覚醒〉が使用された。彼の全ステータスが一時的に二倍になるが、その代償として体力値と魔力値が根こそぎ消費されていく。

ここで決めるしかない。奴らを倒すにはこれしかない。

武器も無しに拳だけで魔人二人に飛びかかる。


「それが貴様の奥の手か……だが、」


しかし一神の動きはあっさりと見切られ、強烈な蹴りを腹部に見舞われた。


「ぐっ――ゲホッ」


腹を押え倒れ込む一神を見下ろし、魔人が嘲笑う。


「確かに先程に比べれば早くなっている。だが、貴様の今のステータスではいくら強化を施したところで俺には勝てんさ」


一神の現在レベルは11、ステータスが二倍になろうが目の前の魔人には歯が立たない。

〈覚醒〉は中断されたため、まだ魔力は残っている。もう一度使うか……しかし今の自分ではきっと奴を倒すことは出来ないだろう。仲間を連れて逃げようにも敵は二人、それを許してくれる相手ではない。それに桐山に星野にナギと、怪我人が三人もいる。成村に至っては完全に戦意を喪失し怯えて縮こまっている。完全に詰みだ。

一神は拳を握りしめた。自分の弱さに心底嫌気がさす。


「どうしてだ……どうして僕は……」


――こんなにも弱いのだろうか。あの時と何も変わってない。親友を見捨てたあの時と、ちっとも変わっていないじゃないか。僕は、弱いままだ。

それでも、辛くても、怖くても、ここで諦める訳にはいかなかった。ここで立ち上がらなければ、一神はきっと一生、何も変わらず弱いままだ。


「折れない……こころ、だけは……っ」

「なにっ……」


ボロボロの身体で、一神が再び立ち上がる。その気迫に魔人二人の顔つきが僅かに変わる。


「誓ったんだ……もう誰も、死なせないっ!」


全身から魔力がごっそり消えていく感覚。失敗すればここで終わり。一か八かの切り札を、今ここで使う。


「来いッ!聖剣――ッ!!」


凄まじい力の波動と共に、辺り一体を白銀の輝きが包み込んだ。





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