第49話 悪の襲来

部屋の明かりを消してカーテンを閉め、光を追い出したその部屋に一人の少女はいた。

外はとっくに明るいのに、眠くなんてないのに、少女は未だベッドの上で毛布にくるまっている。

成村千代は毛布の中で生ぬるい吐息を吐き出した。

思い出されるのはあの日の光景。血を流しながらも命懸けで自分を庇い立つ彼の背中が、今も脳裏に焼き付いて離れないでいる。


『大丈夫か……千代……』


思い出しただけで涙が滲む。

彼は決して強くなどなかった。それどころか、パーティーの中では最弱だった。それなのに、彼は自らの命さえ顧みずこの身を救ってくれた。愛想のないこんな自分を友達だとそう言って。

だと言うのに、成村千代ときたらどうだ。

見捨てた。見殺しにした。星野愛風と雨宮優、二人の友を天秤にかけ、明確な意志を持って彼を見捨てたのだ。

薄情極まりない。友を名乗る資格などありはしない。最低最悪。こんな自分が嫌いで仕方がない。いっそ自分が死んで、なんて考えもしたが、それすらも怖くて出来ない臆病者が成村千代という人間だった。


「ユウくん……」


今は亡き友の名を呟いた。

三秒後の出来事である。ガラスの砕け散る音とほぼ同時、強烈な衝撃が部屋中を揺らした。


「な、何……!?」


布団から飛び起きる。そこから左隣、少し離れた位置にある窓を見て目を疑った。

緑色の鱗にびっちり覆われた巨大な怪物の頭が、窓ガラスを突き破り部屋の中へと伸びていた。怪物は巨大な両の翼をじたばたとはためかせ暴れ藻掻き、狭い窓枠から無理やり体を部屋の中へねじ込もうとしている。

目が合った。その瞬間奴の動きが更に活発となり、涎を撒き散らしながら恐ろしく尖った歯でガチガチと空を噛み始めた。

自分を食い殺そうとしている。それを理解した瞬間、成村の口から遅れて小さく悲鳴が漏れる。

その直後に熱を感じた。

見れば怪物の歯の隙間から赤い炎が溢れていた。


「きゃぁあああああ――――ッ!?」


大声で悲鳴を上げながら頭を庇うようにその場に伏せる。その真上を火炎が物凄い勢いで横切り、反対の壁にぶつかって破壊した。

炎がみるみる部屋中に広がっていく。

慌てて成村は部屋を飛び出した。

寝巻き姿のまま飛び出して、裸足のままにツルツルとした通路を駆け抜ける。


「だ、誰か――!誰か助けて!ま、魔物が――っ!」


意外にもまともに動けたことに驚きながら、大声で叫んだ。しかし反応がない。こんなに広い城の中に、まるで自分以外いないみたいに人の気配がない。

いくら何でもおかしい。成村がそう思っていた時だった。


「きゃっ」


通路を駆け抜けている最中、何かにつまづいて転んだ。

一体何につまづいたのか、そう思って足元に目をやると、


「いやぁっ――!?」


思わず地べたを這うように後ずさった。

足元には血塗れとなって既に息絶えたメイドが転がっていたのだ。どうやらその死体を蹴りつけて転んだらしい。

思わず口元を押さえ、込み上げる吐き気を飲み込む。

初めて目の当たりにした人間の死を前に、全身に鳥肌が立つほどの恐怖を覚えた。恐怖に身体が竦み震えるそんな中、近くからぐちゃぐちゃと、実に嫌な水っぽい音が聞こえてきた。

壊れた人形みたいにガタガタと首を捻って、音のする方へと視線を向けてみると、そこには別のメイドが血だらけで涙を流しながら壁に凭れ座っていて、そのすぐ傍にそいつがいた。人型だが人ではない。皮膚が無く全身の筋肉が剥き出しで、長い手足で四つん這いに動き、息絶えたメイドの内蔵をすり潰すように咀嚼している。

口元を押さえる手に力を込め、息を凝らす。しかし身体が制御不能なほどに震え、押さえた口元から声が漏れ出る。声を抑えようとすればするほど、震えと一緒に声が出る。

その声を奴に感知されてしまった。人型の化け物がゆっくりとこちらへ視線を向ける。

数秒時が止まったかのような間の後に、化け物が奇声を上げて飛び掛って来た。


「きゃぁああああッ!!」


叫びながらその場を飛び退いた。が、その先で再び化け物が飛び込んでくる。


「こ、来ないで――ッ!」


咄嗟に放った火炎の魔法が化け物の顔面で爆発した。

化け物の顔から火が吹いて転げ回っている。今なら逃げられる。

竦んだ両脚に力を込め立ち上がり――走った。

全速力で城の廊下を駆け抜ける。暴れ回る心臓、荒れる呼吸、そんなもの無視して走り抜ける。

階段が見えた。飛び込むように階段を駆け下りる。ここは三階だ。二階を過ぎて、一階の踊り場に到着する。赤い絨毯が敷かれた長い通路を駆け抜ける。

光が見えた、出口は目の前、あと少しで――ついに城の外へと抜けた。

しかしその先で、成村はまたしても言葉を失った。

足に急ブレーキを掛けて立ち止まった先に、信じられない光景が広がっている。城のあちこちから煙が上がり、鎧を着た兵や使用人達は無惨な死を遂げ、まるで道端のゴミのように転がっている。

放心状態となった成村の頭の中で、本能が警報を鳴らしていた。

これが異世界だ。日本なんていう生温い国で育った成村には、想像も及ばぬ現実だった。

何か勘違いをしていた。愛風ちゃんがやるから私もみんなと一緒に戦います、そんな甘っちょろい考えで成村は国同士の戦争に参加表明をしたのだ。何と浅はかで愚かだったのだろうと、今頃になって遅すぎる後悔が身に染みてきた。


「み、みんなは……愛風ちゃんは……?」


真っ先に浮かんだのは仲間の顔だった。

裸足でペタペタと、荒い地面をゆっくりと歩いた。

今もそこかしこから、爆発の様な激しい音が聞こえている。特にあっちの方から。

音のする方で誰か戦っているのかも。

再び走る。きっと、きっとみんなは無事なはずだ。そう自分に言い聞かせながら走った先に、


「愛風ちゃん――ッ!!」


ボロボロになった星野愛風がうつ伏せで倒れているのを発見してしまった。

すぐに駆け寄って抱き寄せる。


「そんな……愛風ちゃんっ!」


星野は目を瞑りぐったりとしている。慌てて彼女の胸に耳を当て心臓の音を確かめると、ゆっくりとした心臓の鼓動が確認できた。

だがホッとしたのも束の間、


「ち、ちよ……逃げろっ」


少し離れた場所に倒れていた一神が、掠れかかった声でそう言った。彼も酷い怪我を負っている。

そしてそんな一神のすぐ側に、見たことも無い男がひとり立っていた。黒いコートを身に纏う白髪長身のそいつの頭には、黒い悪魔のような角が生えていた。


「魔人族……」


そう判断せざるを得ない。こんな酷いことをする人間は、今のところ魔人族意外に思い当たらない。


「ん?何だこの小娘は。貴様も勇者の仲間か」


白髪の魔人に睨まれ、成村の身体がびくりと揺れる。間違いなく恐怖を感じていた。


「に、逃げろ……ちよ……っ」


必死に声を上げる一神を嘲笑うように、魔人が彼の頭を踏みつけた。


「ふんっ、勇者と言えど所詮はまだレベル10前後の小僧、話にならんな」

「くっ……」


男は一神を踏みつける足に更に力を込めた。それに抗うように一神が、


「フラッシュ、バン……!」


一神がそう口にした刹那、強烈な光が辺りを包んだ。


「くっ、小賢しい真似を……!」


魔人の男の視界が眩み、


「今だぁぁぁ!!」


一神が叫んだ。

その瞬間、城の二階窓ガラスが突き破られ、砕けたガラスと共に桐山大河が勢い良く飛来した。


「うぉおおお――!!」


スキルによって強化された桐山の肉体、そこから繰り出される右拳の強力な一撃が男の顔面を捉えた。


「くっ……!」


男の身体は弾け飛び、盛大に地面を転がる。


「まだだぁああ!」


桐山が拳のガントレットに燃え盛る火炎を灯した。

地に転がった男目掛けて、桐山の渾身のひと振りが再び襲いかかる。

決まった、そう誰もが思っただろう。

しかし次の瞬間には、魔人が桐山の勢いをそのまま利用し、尖らせた右手指先を桐山の土手っ腹に突き刺していた。


「ぐふっ」


桐山の口から血が溢れ、膝から崩れ落ちた。


「桐山ぁああッ!!」


一神の叫び声が響く。

こんな状況でも成村は、星野を抱き寄せたままちっとも動けないでいた。


「ふっ、惜しかったな。最後の一瞬、攻撃を躊躇わなければ少しは俺にダメージを与えられたかもしれんと言うのに……」


魔人族の男は口元から垂れる血を指で拭い、倒れる桐山を見下して笑った。


「ふははははっ!これが異世界から召喚された勇者達だと?随分と滑稽だな。ひ弱な勇者に無能な術士、あまつさえ敵を殺すことすら躊躇う腰抜けが従者とは……。魔王様の脅威となる前に排除しようと思っていたが、これならわざわざ成長前に襲撃する必要もなかったな」

「く、そおっ」


何とか立ち上がろうとする一神を、男はすかさず蹴りつけた。


「一神くん!」


思わず成村が叫ぶと、魔人と目が合ってしまった。冷たい視線が成村の心臓を締め付ける。


「そう言えばもう一匹いたんだったな」

「に、げろっ……千代……!」


勇者の一神でさえ手も足も出ない。自分なんかが勝てるわけがない。ここは彼の言うとおり、逃げの一手しかない。

だが、


「逃がすと思うか?」


男がそう言った直後、目の前の空間にドス黒い歪みが現れた。歪みは次第に大きくなっていき、


「な、なに……?」


空間の歪みから、次から次へと見たことも無い魔物が現れ始めた。

頭が三つある狼、身体が燃え上がるオオトカゲ、全身鱗に覆われた翼竜。

絶望的な状況だった。

魔人族の男一人にすら手も足も出ないというのに、これほどの魔物の群れに取り囲まれて無事で居られるはずがない。城内の兵士は恐らく全滅、星野と桐山は動けそうもない、勇者の一神でさえ満身創痍。どう足掻いたって、この状況を覆せる手段がない。

最早これまで、そう思って目を瞑り星野の身体を強く抱きしめた、そのときだ。

一瞬にして、周囲の気温が著しく低下したのが肌でわかった。冷気だ。強烈で冷徹で、心まで凍てつきそうなほどの冷気が周囲に蔓延はびこっている。肌寒いだなんて、そんなレベルではない。

地につけている手足が少しづつ凍りついていく。成村は慌てて星野の身体を抱きよせた。

そして気づいた。周囲の魔物の身体がピキピキと凍てついていく。魔物達は奇怪な声をあげて騒ぎ立てるが――――。

ほんの瞬きの間ほどだ。その間に高速で飛来した無数の氷の刃が魔物達の身体を次々に穿ち、貫かれた部分から全身を更に氷結させてゆき、遂に地上に現れた全ての魔物が歪な氷像と化してしまった。

その場にいた全員が何が起こっているのか見当もついていない状況で、一人の少女の冷え切った声がどこからか飛び込んできた。


「あんた達……私の弟子に何やってんのよ」


声のする方、上空を見上げるとそこには、ひとり赤髪の少女が浮かんでいた。




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