第46話 襲撃

まるで走馬灯みたいにいろんな奴の顔が見えている。

煩いくらいに、いろんな奴のごちゃ混ぜになった声が聞こえている。


『ユウは僕が守るから』『仲間ですから』『フェルマニア王国第二騎士団団長だ、よろしく』『こ、この人……ユウくんは友達なんです!』『類は友を呼ぶって本当なのね』『しばらくは休んでろよ』『あなたの名前はユウ、優しいユウ』『ユウさんのこと、好きですからっ!』


――いい?絶対に誰も、信用してはダメ。


「ハッ――」


目をかっぴらくと、いつの間にか全身に汗が滲んでいた。心臓が激しく高鳴るのと同時に、鈍く鋭い痛みがジクジクとそこにある。

目の前には俺のベッドで眠るノアの綺麗な顔があって、彼女の左手は俺の手と繋がっていた。

どうやら椅子に腰かけ彼女の寝顔を見ているうちに、うっかり眠ってしまっていたらしい。まるで風邪をひいた時の夢みたいな感覚だった。


「クソ……」


小さく呟いた。

マレに裏切られたあの日以来、俺は一睡もしていない。それどころか、食事もまともに取っていなかった。

寝ている間に襲われたら、食事に毒を盛られるかも、そんな思考がずっと脳内にこびりついている。

スキルのおかげで寝ずとも食わずとも身体自体は健康そのものであったが、何故か重たい何かが全身に絡まり付いている様な気がする。

この状況は良くない。そんなことは自分が一番よくわかってる。それでもやはり、身の回り全てが信用ならない。

いっそこの街を出ようかとも考えた。が、やはり現実問題どうしても資金が足りない。別の場所へ移り住むのなら、確実に他人との関わりをシャットアウト出来る様にしたい。個人的には山奥に家を建てて、そこで静かに暮らしたい。最低限物資を調達しなければならないので、ある程度村や街に近いところ。そうなると荷馬車や馬も欲しい。ノアもいることだし、毎月の食費も掛かるだろう。ならばやはり、資金が圧倒的に足りないのだ。


「んぅぅ……」


眠っていたノアが声を漏らした。


「ユウ……また寝てないの?」


寝惚け面でこっちを見てくる。


「悪い、起こしちゃったな」

「ううん、いいの。隣にユウがいてくれたから」


ノアは目を細めて笑った。

彼女の頭を撫でる。


「俺もそうさ。お前さえいてくれれば、それでいい……」


この少女が俺を救ってくれる。世界で唯一、彼女だけが信用出来る。ノアさえいてくれれば、他には何も要らないのだ。



朝の七時頃。ソフィアは慌てて駆け出した。ユウがノアを連れて宿を出たところを目撃したからだ。


「ユウ様!待ってください!」


空色の髪を揺らし駆け寄りながら、宿屋の前で彼を呼び止めた。彼女はその手に何か籠のような物を持っている。バスケットだ。


「なに?」

「あ、あのえっと……これ、良かったら持って行ってください!」

「これ、弁当……?」


ソフィアは目の前にバスケットを突き出した。


「朝ご飯、まだ召し上がっていませんよね?朝早起きして作ってみたんです。その……まだお料理は得意では無いのですけど、マテリナ様にご指導頂いて……」


緊張した面持ちのソフィア。バスケットを突き出している彼女の両手には、絆創膏が幾つも張り付いている。

ブランに頼んで早朝五時から厨房を借りて、マテリナに教えて貰いながら料理を作った。これまでソフィアは料理をしたことがない。城の料理に関しては専属の料理人たちが作っていたので、メイドとしての仕事は基本的に掃除や洗濯等の雑用ばかりだったのだ。

初めての挑戦に苦労した。慣れない包丁で何度指を切り落としそうになったことか。けれど決して苦ではなかった。それもこれも、全ては目の前の主、ユウの為だったから。

しかしそんな彼はソフィアの持つバスケットを数秒眺めたあとに、言った。


「いらない」


まるでその瞬間その言葉だけしか世界に音が存在しないかのように、冷たく大きく響いた気がする。


「ぁ……」


バスケットを握るソフィアの手が少しだけ強く握られた。

しかしすぐに彼女は笑顔を向けて、


「お、お腹減ってませんでしたか……?」

「何か入ってるかも知れないだろ」


ソフィアの瞳が揺らいだ。

だが彼女は未だ笑顔で、


「そ、そんな……何も、入ってっ……、」


言葉が続かなかった。

笑顔は保てていたと思ったのに、目元が歪んでしまった。そこから一気に表情は決壊し、涙が零れ始めてしまった。

バスケットを突き出していた手が、ゆっくりと力なく下がっていく。

涙で歪んだ視界に、少し戸惑った表情のユウがいた。

彼は、変わってしまった。

ユウが死んだと聞いた時は、到底その事実を受け入れることなど出来ず、ただ泣いて放心するばかりの日々を送っていた。けれど死んだとばかり思っていた彼は生きていて、まるで奇跡の様な再会を果たすことが出来たのだ。久々にあった彼は以前と少し違っていたけれど、優しいところは何一つ変わっていなくて、変わらず自分を必要としてくれて。

しかし二週間と少し前、あの日を境にユウはまるで別人へと変わり果てた。今でも覚えている。真夜中にノアと共に宿へ帰ってきた時の、彼の虚ろな瞳を。

雇ったばかりのソフィアを突然解雇し、冷たく遠ざけた。正直に怖かった。これまでの自分の知る主とは全く別の人間のようで、近づく者全てを跳ね除けるような視線が怖かった。

けれどまた、あの優しかったユウに戻ってくれるはずだ、あの時のように笑って過ごせるはずだと、ソフィアは信じていた。

けれど今目の前にしている彼を見て、そんな日は来ないんじゃないかと思ってしまう自分がいる。それが堪らなく嫌だ。主を信じられない自分が嫌だった。


「ユウ様っ……、わたしは……ぅ」


泣いているソフィアを見て、バツが悪そうにユウは視線を逸らしている。そんなユウの隣で、ノアは心配そうに彼の横顔を見つめている。

どうすればいいのだろう。なんて言ってあげればいいのだろう。ソフィアにはもう何をどうすれば良いのかわからない。何を言ってあげれば、彼は帰ってくるのだろう。


「ユウ様……お城に、帰りませんか?」


涙を拭って、ソフィアは遂に核心に触れた。

ずっと気になっていた。生きていたのなら、何故仲間の元へ帰らないのか。これまであえて聞かなかったが、きっと並々ならぬ理由があるのだろう。だが最早これしか、彼を呼び戻す方法が無いのではないかと思ってしまう。かつての仲間にもう一度会えたなら、彼の凍りついた心にも何かしらの変化が起きるのではとそう思った。

けれど、


「はあ――?」


ユウの視線が鋭さを増した。


「ユウ様は、どうして皆様の元へ帰らないのですか……?」

「そんなの、お前に関係ないだろ」

「関係ありますっ……!ユウ様は私のご主人様です!今のユウ様は放っておけませんっ。だってユウ様、ずっと辛そう……」


ユウの瞳は鋭く冷たく、どこか悲しげで寂しげで、ずっと何かに怯え苦しんでいるように見える。

ただソフィアの言葉は逆効果だった。


「辛そうだと……?お前に何がわかる……わかったようなこと言うな!!俺はあいつらの元へ戻るつもりは無い!」


ユウは激怒していた。ここまで何かに対して怒りを表している姿を初めて見る。だがここで引き下がる訳にも行かない。


「で、でもきっと勇者様達も、王女様だって心配していらっしゃいます」

「心配?そんなわけないだろ。あいつらは俺を見捨てて裏切ったんだぞ!」

「裏切った……?」


聞き捨てならない話だ。そんな話は一度も耳にしたことがない。


「どういうことですか……?」

「そのまんまの意味だよ。あいつらは突然現れた化け物にビビって、俺を置き去りにして逃げやがったんだ。結局、あいつらは自分の命惜しさに俺を囮に使ったんだ。そんな奴らのところに、なんで俺が戻らなきゃならない」

「そ、そんな……」


とても信じられない。

ソフィアはユウの世話係だったこともあり、一神達のことも多少知っている。いつもユウと仲むずましく笑いあっている姿を何度もその目で見てきた。彼らがユウを裏切るなど、到底想像も出来ない。


「で、でも、勇者様たちにも、なにか事情があったんじゃ」

「どんな事情があったにせよ、俺を裏切ったことに変わりがあんのかよ。それに、この際だから言っておくが、俺は第一王女に命を狙われてんだ。戻ったところで俺の居場所なんてないんだよ」

「で、ですが……」


その後、ソフィアは黙りこくった。流石にその事実を知った今、まだ彼に城へ戻れとはとても言えない。

俯くソフィアにユウは背を向ける。


「俺、もう行くから」


そう言った彼の背中が離れていく。

もう無理なのかもしれない。彼を呼び止めることは最早――そう思ったときだった。

胸内に響く、巨大な地鳴りと爆発音が街中に轟いた。

突然の揺れに身体がよろけ、膝を着く。その拍子に手に持っていたバスケットが転がり、中に入っていた料理が地面に飛び出した。

それを見て悲しみを感じる間もない程すぐ、


「――ソフィアッ!!」


正面、ユウが血相を変えて叫んでいた。彼の視線は自分の真後ろに向けられている。

振り返った。

その先には、唾液で糸を引いた巨大な牙がこちらに向かっていた。

すぐそこに、目の前に差し迫る巨大な生物の顎が、ゆっくりと振りかざされる。


――ああ、ユウ様……。


心の中で、主の名前を呼んだ。

耳鳴りのような、鼓膜を突き刺すひずんだ音が聞こえた。

次の瞬間には自分と巨大な顎との間に一人の少年が割り込んでいて、左右に真っ赤な血飛沫が噴射するように散っていた。

ユウだ。

漆黒の剣を携えて、鬼気迫る横顔がそこから見えている。

ユウは更に続けて剣に紅蓮の炎を灯した。


「あ゙ぁああ――ッ!!」


熱風が吹き荒れ、爆炎が眼前の魔物を吹き飛ばした。

ソフィアの空色の髪が乱れ靡き、次第に熱風が収まっていく。

何が何だか理解が及ばず、ただ目前の彼の背中を眺めていた。


「ソフィアっ!」


突然振り返った彼は、ソフィアの両の肩を力強く捕まえて、


「ソフィアっ、無事か!?」

「ユ、ユウさま……」

「怪我とかしてないか……!?」

「は、はい……」


心臓が高鳴っている。

熱風は過ぎ去ったのに、顔が熱い。

彼の表情を見ていた。優しい瞳がすぐそこにある。彼は今、とても心配そうな表情を浮かべている。

ユウ様だ、とそう思った。

自分の知っているユウが、今目の前にいる。

高鳴る心臓を押さえながら、心の中で静に思った。

ユウ様は変わってなんかいない。優しかったユウ様はまだそこにいる。きっと、戻れる。


「ユウ……!」


少し後ろから、ノアが心配そうに駆け寄ってきた。


「立てるか?」

「は、はい……」


ユウに支えてもらいながら立ち上がる。

視線を移すと、地面には先程の怪物が転がっていた。初めて見るが、見た目は五、六メートルはありそうなオオトカゲ。どう見ても魔物だ。


「何でだ……?魔物は王都内には入ってこないはずじゃ……」


彼の言う通り、普通王都内に魔物は入ってこない。王都全体を囲っている巨壁には魔物が寄り付かなくなる魔法効果がある。現にこれまで魔物が侵入した事例は殆ど無かった。それに王都周辺の魔物は弱い魔物ばかりで、こんな巨大なトカゲがうろついてるなんて聞いたことも無い。何かが変だ。

そんな時、ノアがユウの袖をクイッと引っ張って、


「ユウ、あれ」


そう言って彼女が指さした上空には、


「あれは……ワイバーン!?」


紛れもなく、ワイバーンが空を飛び回っていた。それも一体どころじゃない。パッと見ただけで十匹近い数のワイバーンが、街中に火炎を吐き散らしながら王都上空を飛び回っていた。


「そうか……またあいつらが」


ユウには何か心当たりがありそうだった。


「早くどうにかしないと、街中が火の海になるぞ」


そう言ってユウは剣を構え、力強く上空を睨みつけた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る