第44話 狂い始めた心

電気を付けないでカーテンも閉めているので、日が出ている今でも部屋の中はちょっとだけ薄暗い。

俺のベッドの上で、俺の枕に頭を乗っけて、俺の毛布を肩までかけて眠っているノアの横顔を見つめていた。微かな寝息が一定の間隔で繰り返されている。

そんなとき、部屋の扉をコンコンとノックする音がした。

またか、と思って扉を開けた。


「あ、ユ、ユウさま」


扉を開けるとソフィアが立っていた。彼女は自分からノックして呼び出しておいて、俺が現れた途端に少し驚いたような反応を見せる。


「ソフィア、なに?」

「あ、えと、その、今日も早起きされたんですね。ユウ様はいつもお寝坊さん……あ、いえすみませんそうじゃなくって、まだ寝ていらっしゃるかもと思って起こしに参りました」


俺はソフィアの頭からつま先まで、睨むようにじっと観察する。特にどこか怪しい感じはない。


「あの、ノア様は?」

「ノアならまだそこで寝てるよ」


親指をクイッと部屋の奥に向けた。


「それよりソフィア、前にも言っただろ。もう俺のメイドはしなくていいって。突然クビにしちゃって悪いけど、違約金として金も渡したんだ。もうここには来るなよ」

「あ、えっと……で、ですが私はその……お金なんて無くてもいいです……!ユウ様のお世話をさせていただきたく」

「ソフィア、もうこんなことはやめろって言ってるんだ。それとも何だ、無償で俺の世話をしなきゃいけない理由でもあるのか?」


俺は彼女を睨んだ。

どうにも怪しかった。

彼女を解雇してからもう二週間が経つ。彼女には失業手当として暫くの間分の生活費を与えた。今はこの宿酒場ブランに住み込みで働いているみたいだ。もっとも部屋が満室なため、現在はブランの娘のミーナと同じ部屋に寝泊まりしているらしい。

しかし彼女は仕事を解雇されたにも関わらず、毎朝のように俺の部屋へ出向いては扉をノックしてくる。金も貰っていないと言うのに、未だ俺に執着する理由は何だろうか。やはり俺を監視するように誰かに頼まれている可能性がある。


「えと、その……理由とかは無くてですね、わ、私はただユウ様の」

「悪いけどソフィア、もう俺には関わらないでくれ。朝だって起こしに来なくていい。これ以上付きまとわれるのも迷惑だ」


彼女の肩が揺れる。

大きな瞳が少しだけ潤んでいた。


「す、すみません……食堂の、お手伝いをしてきます」


ソフィアは俯いたまま、逃げるようにその場を去った。

天井を見上げて溜息を漏らす。


「そろそろ支度しないと」


そう呟いて、俺は部屋の扉をゆっくりと閉めた。



Dランクの掲示板に貼り付けられた依頼書を手に取る。

コボルト四体の討伐依頼だ。

現在俺の冒険者ランクはDランクにランクアップしている。この間のカイン達とこなしたBランク依頼の功績が評価され、FからDに一気に上がったのだ。元々下位のランク帯はちゃんと依頼さえこなせば、割と直ぐにランクアップする帯域らしい。Bランクの依頼なんてこなそうものなら、2ランクの飛び級なんてわけもない。尤も、Fランクの人間がBランクの討伐依頼に参加させてもらえるなんて、余程のコネが無いと難しいらしいが。


「決まったの?」


隣にいたノアが服をちょんと引っ張る。


「ああ、依頼を受注しに行こう」


依頼書を持って受付まで向かった。


「――ユウさん」


名前を呼ばれて一瞬心臓が痛む気がした。

受付カウンター越しに笑顔で俺の名前を呼んだのは、俺の知らない女性だった。女性は内巻きのブロンドヘアの綺麗な女性だ。


「あんたは?」

「申し遅れました、私はモーラと申します。以前務めていた受付係が退職しましたので、これからは私が受付をさせていただきます」


あの一件以降、マレはこの街から完全に姿を消した。どうやら誰にも何も言わずに消えたみたいで、ギルド内では今でも彼女に関する様々な噂が飛び交っている。


「昨日まではオッサンだった」

「彼は本来は書類処理担当の職員です。突然空いた受付の穴を埋める為に、急遽代役として一時的に受付に回っていたんです」

「ふ〜ん」


昨日までは死んだような顔をした男が受付をやっていた。手際は悪いし態度も良いものとは言えなかったので、多くの冒険者達はこれからあんな奴が俺たちの受付なのかよ〜と嘆いていた。職員の男が死んだような顔をしていたのもきっと、そう言った怨嗟の声や不服そうな冒険者たちの視線にウンザリしていたからに違いない。


「それより、何で俺の名前知ってんだよ」

「ユウさんの噂はかねがね聞いております。死の迷宮から帰還したひとりで、カインさん達に認められていて、現在飛ぶ鳥を落とす勢いでランクアップされてるんだとか」


くそ、変な噂が回ってやがる。


「あんなのカイン達の力を借りただけだ、ドーピングだよ」

「ふふ、ご謙遜を」


モーラはクスリと笑うと、俺の持つ依頼書を勝手に受け取った。

苦手なタイプだ。


「では、これからよろしくお願いしますね」


頭を下げるモーラに何も言わず、俺が受付を離れたそのときだった。


「ユウ」


名前を呼ばれて立ち止まる。

カインだ。


「なに?」

「あれからどうだ?マレちゃんのこと、何か分かったか?俺も色々調べてはいるんだが中々……」


またそれか、と思う。

マレが消えてから、もう二週間が経つ。それからカインに会う度その話ばかりだ。


「いや全然」

「そ、そうか……」

「じゃ、俺もう行くから」

「ちょ、ちょっと待てよユウ。その……本当にマレちゃんのこと、何も知らないんだよな?あの子から何か聞いてるとか」

「知らないって言ってるだろ」


少しだけ語尾が強まった。

あの女については考えないようにしているのに、何度も何度も掘り返してくる彼が少しウザったく思えたからだ。


「わるい……だが一体どこに。オルドラゴの奴もさっぱり顔見せねえし……」

「もう行っていいか?俺忙しいから」


くだらない連中の為に時間を割いてやる暇はない。早く帰って明日の依頼の準備をしたいのだ。

しかしカインはまだ俺を引き止める。


「待てよユウ、」

「はぁ……なに?」

「お前、どうして俺達とパーティーを組まない。お前は確かに強いが、一人じゃ効率が悪いだろ。俺達とだったら報酬もいいし、何より高ランクの依頼を受けられる」


めんどくせぇ、この話も以前したはずだ。


「言っただろ、俺は誰ともパーティーを組むつもりは無いんだって」

「けどよ……」

「悪いなカイン、俺もう行くわ」


カインの言葉を遮ってその場を去ろうとした振り返りざま、近くを歩いていた男に肩がぶつかった。


「おっと、」


鎧を着けた男が少し大袈裟にリアクションした後、


「おい小僧、前見て歩けねぇのか」


偉そうにお決まり文句を吐き捨てた。

見たところ虎系獣人族だろうか。黄色い毛並みに黒い縞模様の入った耳と尻尾が生えている。その後ろには三人の獣人と二人の人間達が幅を取っていた。恐らくこの虎男の仲間だろう。

ただでさえイラついてるのに、邪魔くさい奴らだ。


「うるせえ、逆に何でお前は前見てるくせに避けられねんだよ。このノロマ」


近くにいた冒険者たちの顔がギョッとした。


「はっは!随分と生意気な口利きやがる。お前見ない顔だが、さては最近冒険者になったばかりの駆け出しか?」

「だったら何だよノロマ」


虎男の眉間にシワがよる。

俺の拳に力が入る。


「やめとけ、ガランバルド」


少し後ろからカインが加わってきた。


「カインか」

「遠征から帰ってきてたんだな。てことはディートリヒも戻ってきてんだろ?あんまり暴れると怒られるぞ」

「はっ、俺に指図するんじゃねえ」


どうやらカインはこの男を知っているみたいだ。

カインは俺の肩にポンと手を掛けると耳元で、


「ユウ、こいつらは有名なチームのメンバーだ。敵に回すと面倒だぜ、ここは引いとけ」


冒険者達の中には優秀な人材を集め構成された組織チームが存在するらしい。こいつらはそのチームのメンバー。道理で威張り散らしていたわけだ。

確かにここで暴れてもメリットがない。ここは大人しくしておこう。


「行こうノア」

「ん」


俺はノアを連れて歩き始めた。

しかし、


「ん?おいちょっとまて、」


虎男がそう言うと、その仲間たちが俺とノアの行く手を阻んだ。


「そこの女、よく見たらとんでもねえ上玉だな。そんなヒョロっちい小僧より、俺と一緒に来ないか?お前もうちのチームに入れてやる。俺が推薦すりゃ一発だぜ」

「……?よく分からないけど、私はユウといたいの」

「まあそう言うなって、そんな奴より俺がもっといい思いさせてやる。こっちに来い」


そう言って男がノアの肩に手を触れた。

その瞬間、俺はノアの肩に触れる男の腕を力強く掴み上げた。


「ぐぉおっ!?」

「こいつに、触るな……っ!」


男の顔を睨みつける。

男の篭手が潰れていき、ギリギリと骨が軋む感触がする。


「く、そがぁ……」


堪らず男が膝を着いたところで、俺はパッと手を離した。


「はぁっ……はぁっ……」


男は額に汗を滲ませ、荒い呼吸を繰り返している。そんな彼をほったらかして、


「行こうノア」

「ん、ありがと」


俺はノアを連れてその場を後にした。


ギルドを出ると入口前で一人の少女が立っていた。


「シャル、」

「やっと出てきた。兄ちゃん、あんま揉め事は起こすなよ?」

「どうでもいいから、早く要件を言えよ」

「この前言ってた代物、見つけてきたぜ。苦労したんだからな〜あちこち商人に掛け合ったり闇市嗅ぎ回ったりしてよ〜」


シャルは「ん、」と薄汚れた布を突き出して来た。

フードだ。首元の襟止め部分にブローチの代わりに魔力石が付いている。魔力石の中には何か魔法陣の様な紋章が浮かんでいた。


「本当にこのボロが?」

「そーだよ、このボロひとつが62万メリルだ。かなりレアな代物なんだから、感謝しろよな」


このフードは俺がシャルに探してくれと頼んでおいた、認識阻害の魔法が掛かったフードだった。

これは恐らく、以前襲われた魔人族達が身につけていたフードと同じ系統の魔道具だ。身に付けているだけで周囲の人間は使用者の顔を認識出来ない。

魔人族達のこともあるし、第一王女達のこともある。今後は街を歩いていて襲われる危険性が増えるだろうし、どうしてもこの手のアイテムが欲しかった。そこでシャルにそういった魔道具がないか聞いてみたら、このフードに行き着いたわけだ。


「預かってた金額より12万メリル余分にかかったぞ。ほれほれ、残りの分もはよう渡せ」


シャルが手をヒラヒラさせながら言う。

元の所持金に加え、以前のBランクの依頼報酬とワイバーン等の素材で手に入れた金もあるので払えない金額では無いが、かなり痛い出費だ。早く冒険者ランクを上げて割のいい依頼をこなして行く必要がありそうだ。


「毎度あり」


コインを受け取ったシャルが舌を出した。


「シャル、この魔道具とは別で頼んでた件、どうだった?」

「あ〜魔人族についてな。あたしも頑張っちゃいるが、まるで情報が掴めない。本当にこの街にいんのかってレベルだ」


俺はシャルに魔人族の情報についても依頼していた。

俺は魔人族の一人の少年を殺害し、その死体を廃倉庫内に放置した。あんな所に魔人族の死体があれば数日経たぬうちに大騒ぎになっているはずだが、そうならないと言うことは既に何者かによってあの死体は回収されている。それはまず間違いなく魔人族の仲間の仕業だろう。

今は大人しくしている見たいだが、またいつ襲ってくるかも分からない。先に見つけ出して皆殺しにしてやろうと考えていたわけだ。


「しっかし本当の話なのか?魔人族に襲われたってのは」

「そんな嘘ついてどうすんだよ」


リーゼン村での一件、そして廃倉庫での出来事を、俺はシャル以外の誰にも話していない。魔人族と交戦しただなんて他の誰かに話して広まりでもしたら、俺は間違いなく騎士団か何かに呼び出され、詳しい事情聴取を迫られる。そんなことになれば俺の顔を知っている奴に見つかるのも時間の問題だ。なるべくことを荒立てないように、静かに終わらせたかった。


「それじゃ、このフードありがとな」

「ちょっと待て兄ちゃん、マレっちの件なんだが」


その瞬間シャルを睨みつけた。

シャルの肩がビクリと揺れる。


「そ、そんな目で睨むなよ。とても信じられなくてな。その……マレっちが魔人族となんて」


シャルもまた、執拗いくらいにこの話題について触れてくる。


「言ったはずだぞ。あいつは魔人族の仲間、裏切り者だ。魔人族をこの街に招き入れ、あの日俺をあの場所に誘き寄せ襲った……」


魔人族達には何か計画があるようだった。俺がその障害になりうると判断し襲ってきたのだろう。俺は魔人族の仲間であるマレにまんまと騙され、殺されかけた。

俺に好意がある様な態度は油断を誘うため、デートと称して呼び出したのは、俺を一人にさせるためと考えれば説明もつく。後は奴らの作戦の通りだ。

思えば最初からおかしかった。出会って間もない頃から妙に俺に付きまとい、俺に取り入ろうとしていたように思う。おそらく奴らには初めから俺のステータス、あるいは異世界人であることが分かる術があったのだ。俺を排除するという計画は、マレと出会った頃から立てられていた可能性が高い。

オルドラゴだってそうだ。ただのうざいバカだと思っていたが、完全に騙された。出会った当初から俺への当たりが強かったのは、何か理由があったに違いない。例えば俺を挑発し戦闘に持ち込み、実力を試して見たかったとか。そうすることで何か弱点を探っていたとか。


「でもよう……あの子は、マレっちは兄ちゃんのこと……」

「現に俺は殺されかけたぞ」

「でも、何か事情があったのかも」

「一体どういう事情があれば、他人の背中にナイフ突き立てていい理由になるんだ?」

「そ、それは……」

「どんな事情があったにせよ、あの女は魔人族とオルドラゴと結託して俺を……、」


まて、そもそも魔人族の仲間がマレとオルドラゴだけなんて可能性はないじゃないか。他にも魔人族達を手引きしている仲間がいる可能性は大いにある。


「に、兄ちゃん大丈夫か?顔色悪いぞ」


俺はシャルの顔を数秒見つめる。


「そう言えばシャル、お前マレと仲良かったよな……」

「…………は?」


俺はとんでもないミスを犯したのではないだろうか。何故シャルが魔人族の仲間じゃないと言いきれる。それにこいつは俺の正体を知っている唯一の存在で、特殊な鑑定スキルでステータスまで把握出来るような奴だ。


「お、おいおい兄ちゃんそりゃねえよ……変な勘違いはよせ……」


ボックスから剣を取り出した。


「に、兄ちゃん……!何考えてるか知らんがその物騒なもんしまえ!」


まさか、いやでも、可能性はゼロじゃない。もしそうだったら、俺は敵に自分の情報を流していたことになる。

心臓の音がやけに響く。シャルが目の前で何か言っているが、よく聞き取れない。

どうしたら、どうしたらいいんだっけ。

心臓の音が近づいてくる――そんな中で、綺麗な声がスっと割り込んできた。


「ユウ、もう行こう?私お腹減ってきた。一緒にご飯食べよう」


隣でノアが俺の服の袖を引っ張っている。


「そう、だな。行こうノア……」

「うん。わたし、オムライスが食べたい」


シャルに背を向けて歩き始めた。

その直後、背後からどしゃっと尻餅をついたような音が聞こえたあと、


「はぁ……どうしちまったんだよ」


そんなシャルの声が、小さく聞こえた気がした。




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