第43話 修復不可能

痛い……。

冷たい地面に倒れ込み、精一杯の感想を心の中で呟いた。

痛い、胸が痛い。

鈍く鋭く胸が痛む。背中から心臓を貫かれたのだから当然だった。

違う、そうじゃない。この痛みはそんな単純なものではないだろう。心が砕けるようなこの感覚には覚えがある。


――ああそうか。俺、また裏切られたのか。


「あっはははははっ!あぁ〜お腹痛い。ほんと劣等種ってバカばっかり。こんな簡単な罠に引っかかるなんて」


罠、やっぱりそうだよな。当然だ。

まさかこの俺が、自分より他人を優先してしまうなんて。まさか、『誰かを信じられるかも』なんて。

本っ当にバカだ。呆れてものも言えない。これで何度目だ。馬鹿な奴らに騙されて、安っぽい愛だの友情だのに裏切られて、とおの昔に結論は出ていた筈なのに。


今でも魔人の笑い声が聞こえている。

そりゃ可笑しいだろう。いい笑いものだろう。これまで散々人に裏切られてきて、地獄を見てきて、二度と他人を信用したりしないと心に誓って。それだと言うのに、女に愛の告白をされた程度で浮かれて踊らされて、結局はこのザマだ。

思えば近頃の俺はどうかしていた。見ず知らずの女を拾ってきて居候させたり、他人とパーティーを組んだり、使えないメイドを雇ってみたり、女へプレゼントだなんて笑わせてくれる。

あの日の誓いは何だったのか。俺はこれまで何を学んできたのか。こんな自分に心底腹が立つ。


右手を背中に回して、心臓に突立った剣を引き抜いて、ゆっくりと立ち上がった。


「なっ!?お前、どうして……!?」


立ち上がった俺を見て、魔人の少年の顔つきが変わった。

そりゃ驚愕もするだろう。致命的なダメージを負った人間が、何事も無かった様に立ち上がったのだから。

引き抜いた短剣を放り捨てて、自身の左胸を見やった。既に心臓も背中の傷も完治している。しかし未だ、鈍く鋭い胸の痛みは続いていた。


「お、お前何をした……!?治癒魔法か!?くそお――ッ!」


魔人の少年が短剣を引き抜いた。

飛び込んでくる。

ノロマな攻撃が視界に映っている。


「なんなんだよ……」


ポツリと呟いて、右手に取り出した漆黒の魔剣で奴の短剣を弾き飛ばす。

俺の動きが見えていないのか、戸惑いを隠せていない魔人の少年と目が合った。

次の瞬間には、奴の失った右腕とは反対、少年の左腕が血を撒き散らしながら回転し宙を舞った。


「ぎ、あ゙あ゙ぁああぁあああ――――ッ!!」


耳障りなほど歪んだ悲鳴が反響する。

少年は左肩から大量の血を撒き散らしながら後退る。

そんな少年を黙らせるかのように、容赦なく顔面を殴りつけた。

軽く吹き飛び転がった先で、少年は身体を震わせながら、肩から血を垂れ流しながら、こちらに背を向け逃げ出すように震える脚だけで何とか立ち上がる。そんな彼に近づいて、少年の右脚を斬り落とした。


「ゔわぁあ゙あああ――っく、ゔぅう…………ッ」


涙を滲ませ悶え苦しんでいる。

しかしその目は依然として敵意に溢れ、地面からこちらを睨み上げていた。


「こ、このクソ劣等種がぁッ!お前らなんかに魔人族は負けないっ!お前らを皆殺しにするまで――があ゙ぁあッ」


腹部に魔剣を突き立てた。


「しね…………しねよ…………」


小さく呟きながら二回、三回と剣を少年の腹へ突き立てていく。

そして次第に勢いは増していき、遅れて出てきた感情が徐々徐々に燃え上がっていく。


「しねっ、しねっ、死ね死ね死ねっ!死ねよッ!!死んでくれよおッ!!」


腹の奥底から湧き上がったかつてないほどの憤怒が、身体中を熱く支配していた。もう抑えは効かなかった。

幾度も剣を突き刺し、その度に生温かい血が飛び散て、いつしか足元からの悲鳴は聞こえなくなり、剣が肉を貫く気持ちの悪い音だけが暫くのあいだ響いていた。

ようやく剣を振るう手を止めて、徐に血だらけになった手を見つめる。


――何やってんだ俺……何やってたんだっけ。


混乱している。記憶が混濁している。頭がぼんやり、思考が鈍い。

いつの間にか、涙が頬を伝っていた。

そのとき、ふと背後から気配がし振り返ると、ひとりの少女の姿が視界に映りこんだ。少女は酷く脅えた目で、固まった表情でこっちを見ている。それと目が会った瞬間――。


「あ゙ぁあ゙ぁあああ――――ッ!!」


張り叫びなが、強く握った剣を振り上げ斬りかかった。

怒りが。ただはてしない怒りが、制御不能の感情が、この女を殺せと叫んでいる。殺すしかない。それしかない。この心を鎮めるには、この痛みを解消するには、目の前の少女を八つ裂きにする以外にない。

視界の先。涙を流しただ呆然とこちらを見つめる少女の脅えた頭頂部に目掛けて、黒い刀身がゆっくりと近づいて行く。

あと少し。零点数秒後にはこの女の頭を叩き潰せる。あとほんの少しで刃が届く。

少女は諦めた様に瞳を閉じた。頭についた青いリボンが、僅かに揺れる――。

それを見た直後、ピタリと剣が少女の頭上で動きを止めた。

剣が、それを握る手が震えている。動かない。

何を躊躇っている。一振だ。たったそれだけで終わりに出来る。この胸の痛みからもきっと開放される。たったそれだけのことなのに。


「……くっ」


いつかの彼女の笑顔が脳裏に焼き付いて離れない。どこからか声が聞こえてくる気がする。


『ユウさん!』


うるさい。


『わ、わたし……ユウさんには嘘はつきませんし、絶対に裏切ったりしませんよ。だ、だって……だってわたし……』


うるさい……。


『わたしっ、ユウさんが好きですからっ!!』


うるさいんだよ。

全部嘘だったくせに。あの時の表情も、あの時の言葉も、あの時の時間も、何もかも嘘だったくせに。

嫌いなんだよ。大嫌いなんだよ。

お前なんか――。


「くそがぁあああ――――ッ!!」


力任せに叩きつけた剣が、大地に突き刺ささって動きを止めた。

崩れるように膝をつき、俯いた。


「ユ、ユウさ……」


目の前にいる少女が、震える声でなにか言おうとしている。

俺はそんな彼女を睨みつけ、こう言った。


「消えろよ、クソ女……」


それが決定打だった。

彼女と俺の繋がりを断ち切る、決定的な言葉だった。


――――


冷たい地面に座り込み、ずっと俯いたままだ。

その場には自分以外誰もいなくなってしまった。薄暗さと不快な匂いだけがそこにある。そんな場所にはとても似合わない、綺麗な声が聞こえた。


「こんなところで、何してるの?」


顔を見なくてもわかる。


「何でお前がここにいんだよ、ノア」

「いつまでたってもユウが帰ってこないから探しに来た」


そういえば、あれから何時間くらいここにいただろうか。時間の感覚も忘れ、ここでずっと一人だった。

俺の言葉を聞いたあと、マレは何も言わずその場から立ち去った。魔人族の死体はまだそこに転がったままだ。


「一々探しに来るな……大きなお世話なんだよ」


顔も見ず吐き捨てる。会話をする気も起きない。顔も見たくない。早くこの場から消えてくれとさえ願っている。


「……私は言った。ユウは、私がいないと不幸になるって」

「……うるせえよ」


誰といたって同じだ。結局みんな俺を裏切る。これまでだってそうだった。あいつも、あいつらもそうだった。


「帰ろう、ユウ」

「うるせえって言ってんだろ。帰るなら一人で帰れよ」

「ダメ。ユウは私と一緒じゃなきゃ」

「不幸になるってか?」

「そう」


ノアは言い切った。どこからその根拠が湧いて出てくるのだろう。彼女と出会ってからこれまで、良いことなんかろくになかったじゃないか。彼女のスキルがどれだけ優れていようと、幸せになるのは彼女だけ。俺には何の恩恵もない。


「デタラメを言うな。お前なんかいてもいなくても一緒だ。もういいからどっか行けよ……」

「ダメ。ユウのそばにいる」

「どっか行けよッ!もう俺に関わらないでくれ……っ」


こんな思いをするくらいなら、もう誰とも関わらなければいい。俺が甘かったんだ。他人との関わりを避けるんじゃない、無くすんだ。


「でもわたしは、ユウといたい」

「――っ」


涙が汚れた地面を濡らした。

何で、そんなこと言うんだよ。どうして俺を独りにしてくれないんだ。お前がいる限り、俺の願いは永遠に叶わない。


「もう、無理だ……っ。俺はお前を信用出来ない……」

「どうして?」

「お前もいつか、俺を裏切るからだ……」


人間は必ず嘘をつき、騙して裏切るのだ。

俺がこれまで生きてきた中で、これだけは絶対のルールだった。辛い思いをしたくないのなら、痛い思いをしたくないのなら、この世界を生き抜きたいのなら、絶対に他人を信用してはならない。これが結論だった。

ノアだって人間だ。いつか彼女に裏切られる日が必ず来る。もうこの胸の痛みを味わうのは、嫌だ。

しかし彼女は惚けた顔をして言うのだ。


「どうして裏切るの?」


彼女は無表情で首を傾げた。


「だから、いつかはお前も俺を」

「どうして裏切る必要があるの?」

「……っ、」


確かに、とそう思ってしまった。

確かに彼女に俺を裏切る理由は見当たらない。なぜなら彼女は、この世の全てが自分の望むままになるからだ。欲しいものは手に入るし、何に脅かされることも無い。まさに無敵の女の子。わざわざ俺を騙す必要もなければ、裏切る必要も無い。


「け、けど俺は――」


俺の言葉を遮るかのように、そっと、背中に温もりが伝わった。彼女は背後から俺の首元に腕を回し、背中にぺったりとくっついている。

背中から感じる温もりが徐々に、表面を伝って胸の内側に移ってくる。


「大丈夫、私はユウを裏切らない。絶対に」

「でも……っ」

「ユウは、私が幸せにしてあげる」


他の誰が言ったとしても、説得力なんてないのだろう。けれど彼女は違う。世界でただひとり、彼女だけは。

少女の手を握った。


「ぅ……お願いだっ。お前だけは、俺を……」


その日俺は初めて、ひとりの少女の温もりに縋った。




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