第40話 無条件の信用

カフェを出た俺たちは、人混みの中を歩いていた。


「異世界カフェ高すぎんだろなんだよあれ……」


俺は未だに先程のカフェの値段に文句を垂れていた。いつぞやのお返しだと格好つけてお代を払ったは良いが、予想の三倍くらいの値段を要求されて目玉が飛び出すかと思った。もう二度とあの店には行かない。

しかし先程から人混みを歩きながら周囲を見渡してみているが、どこにもノアの姿は見当たらない。前みたいに行く先々にノアが現れる、なんてことは今のところ起こっていない。やはりノアを俺から引き離すことには成功したみたいだ。


「それにしても、こうして二人で歩いているとあの時のことを思い出しますね」


マレは嬉しそうに言った。

あの時、とは俺がマレと買い物に出かけた時のことだろう。あの日は彼女を最大限利用してやろうと、散々色んなものを買わせた記憶がある。当時はまだこの世界の金の価値や相場みたいなものがよく分かっていなかったが、今となっては流石に図々しかったなと、少しばかり反省している。


「あの時はありがと、あんなに沢山……」

「いえ、私が好きでやったことですし。それに、駆け出しの冒険者さんに装備やアイテムをプレゼントしたのもあれが初めてじゃないですから」

「え、そうなのか?」

「はい」


それが本当ならとんでもないお人好しだ。以前彼女は金が有り余っているみたいなことを言っていた。ギルド員はよっぽど給料がいいのか、あるいは物欲がないのだろうか。少しくらい自分のために使えばいいのにと思うが。

するとそのとき、マレが突然立ち止まり指をさした。


「ユウさん、あれって……」


細い裏路地。そこからひょっこりと顔を覗かせる子供がいた。子供の頭には茶色く垂れた犬の耳、そして尻には茶色い毛並みの尻尾が。見たところ獣人族の子供だろう。

ただ子供の服や体は薄汚れていて小汚い。子供は小さな木箱を手に持って、道行く人に片っ端から声をかけているようだ。

物乞いか。どこの世界にもいるのだろう。

この国の景気はすこぶるいいと聞く。そんな中でも、ああしなければ生きていけない奴もいる。自力で稼げない孤児なんかは特にだ。以前シャルが言っていた貧民とは彼らのことだろう。

尤も、あの子供に何かしてやる気は無い。

俺がここで金貨を投げたとしてもメリットがない。そもそも物乞い自体が嘘で、本当は金を捲揚げるための詐欺かもしれない。自己満足で損をするなんて馬鹿もいいとこだ。


「マレ、可哀想だけどここは――っておい!」


言う前にマレは子供の元まで駆けて行くと、


「はい、大事に使うんだよ」

「え、こんなに……?」


そう言って彼女は金貨を三枚、子供の持つ木箱に落とした。


「ばっ、そんなにやるな……!」

「いいんですよ、これだけあれば数日は満足して過ごせます」


彼女の突飛な行動に頭を抱えた。彼女は後先というものを考えない節がある。

今の光景を悪意のある第三者が見たらどうするだろうか。あの子供を殴って金貨を奪うかも、あるいは金を持ってるマレを襲うかもしれない。彼女はそういったことを何も考えていない。

笑顔で手を振るマレを横目に、俺は小さくため息を吐いた。


――――


オレンジ色の空、夕暮れ時のカラスの声、微かな水の音、橋の上には少女が立っている。

そこは街中にある大きな水路を跨いだ橋の上だ。石で造られたとは思えないほど綺麗な仕上がりのアーチの上からは、沈みかけの夕日が赤く染めあげた街並みが見えていた。目の前に流れる水に夕日が反射して目がチカチカする。


「ここ、すっごく景色が綺麗じゃないですか――?」


少し離れたところからマレが呼び掛ける。そんな彼女の元へ歩み寄る。


「今日は楽しかったですね」

「うん、そうだね」


確かに、つまらなくはなかった。

マレに連れられたパフェも美味かったし、カイン達の昔話も笑えた、彼女の服を買いに店に入ったら『ユウさんの服を選んであげます』と言って余計な金を使ってしまったが、悪くない時間だったと思う。

けれど彼女と今日一日接してみて、改めて思うこともある。


「マレ、」

「はい、なんですか?」

「今日のことなんだけどさ、あーやって道端で子供にお金をあげたりするの、あんまり良くないと思うよ」


彼女は他人に対して極端に優しすぎるのだ。優しさは時に自分を、周囲の人間を傷つける。それを彼女は分かっていない。


「どうして、そう思うんですか……?」


彼女はどこか不安そうな顔で問う。


「あの子供に金貨をあげても根本的な解決にはならないだろ?きっとあの子は、あの金貨を使い切ったらまたあそこで物乞いを始めるよ」

「で、でも……ああしたことであの子は喜んでくれました」

「喜んでくれたって……そんなの自己満足だよ。そもそもあの行為自体誰かにさせられてる可能性だってあるし……」

「そんなっ、あの子が嘘をついているって言うんですか!?」

「そうじゃない、可能性があるって話だよ」

「でも……」


マレは納得いかないと言いたげな顔で呟く。さっきまであんなに笑顔だったのに、話題を間違えたかもしれない。だが、ここで言っておかないと彼女はいずれ痛い目を見る。


「マレ、少しは人を疑うってことも大事だ。じゃなきゃすぐに騙される。人は簡単に嘘をつくし、簡単に人を騙す、そういう生き物なんだから。これは全ての人間に共通して言えることだよ」

「そ、そんな…………っ違います!確かにそういう人もいます。けど、この世界にはいい人だって沢山いますよ!」


綺麗事だと思った。

そんなわけないだろ、バカかこいつは。


「あのなマレ……そんなわけないだろ。人は必ず嘘をつくんだ。俺もそうだしお前もそうだ。普段どんなに良い奴でも、自分の身が危険になれば他人なんて簡単に切り捨てる、そういうものなんだよ」

「……っ、そんなことないです!だって私は人を騙したり裏切ったりなんてしませんもん!」


マレは真っ直ぐな瞳で言ってのけた。

だんだん腹が立ってきた。こういう綺麗事ばっかの夢見るバカが一番タチが悪い。


「それこそ嘘だろ。嘘をつかない人間なんて絶対にいない。カインもマキナもシャルも俺も、お前も、必ず嘘をつく。必ず誰かを裏切る。みんな同じだ」


俺も以前までは、彼女と一緒だった。こいつなら、こいつらならきっと信じられる。そうやって幻想を抱いていた時期が確かにあった。けれど今は違う。そんなものはまやかしなのだと知った。いいや、ずっと前から知っていたのだ。けれど信じてみたかった。他の人間とは何かが違って見えたそいつらを、信じてやりたいと思ってしまったのだ。その結果があの地獄だ。

物語に出てくるような勇者はいない。漫画やアニメの様な、仲間思いで清き心を持った正義のヒーローはいない。この世のどこにも、俺を裏切らない人間はいないのだ。


「そんなことないっ!」


マレの声が夕焼けに響いた。


「マレ、」

「少なくとも私はっ、ユウさんにだけは嘘はつきません!ユウさんだけは絶対にっ、絶対に裏切ったりしません!」


拳を握り、俯きながら、投げやりに叫んだマレの声が響く。

周囲の人間が何事かとこちらを見ている。


「お、おい、あんまり大きな声で…………てか、“俺だけ”ってどういうことだ?」


「……あ、ぁあの……その……」


マレは俯いたまま顔をあげようとしない。心做しか肩が震えている。


「お、おいマレ……?」


俺が呼びかけると、マレがゆっくりと顔を上げた。

夕陽越しでもすぐに分かる、赤く染った頬に、潤んだ瞳、震える唇。それを見た瞬間にまた、ソフィアの言っていた言葉を思い出してしまう。


『そ、それってつまり、デート……ということでしょうか……』


そんなはずはない。


『もう少しだけ、一緒にいたい、です……』


そんなはずはないと、頭では分かっている。だが、そう考えてしまえば全ての辻褄があう気がする。馬鹿げていると、そう思う。けれどそれなら、彼女の言葉の意味も理解出来る気がする。


「わ、わたし……ユウさんには嘘はつきませんし、絶対に裏切ったりしませんよ。だ、だって……だってわたし……」

「マ、マレ」

「――わたしっ、ユウさんが好きですからっ!!」


ピストルで脳髄を撃ち抜かれたら、きっとこんな感覚だろう。

マレの言葉が脳内に反響して、思考がとにかくまとまらないで。

――何て言った?俺が、好き?なんだそりゃ。

恋情。抱いたこともないし、抱かれたこともない。酷く曖昧で不確かな感情。そんなもので、無条件に他人を信用してしまえるらしいのだ、彼女は。


目の前でじっとこちらを見つめる、相変わらず真っ直ぐな瞳がそこにあった。

彼女の大きな瞳に、惚けた面の俺が映り込んでいる。

答えなければならない。彼女のこの想いに。そうでなければならない。


「お、俺は…………よく、分からないんだ。これまで、誰かを信じたことなんて無いし、そんなふうに誰かに信用されたこともない」

「信じられませんか?わたしのことも」


マレの真っ直な瞳には、確かな覚悟が見えた。なら俺の瞳には、どうだろうか。


「お、おれは君のことを……」


『いい――?絶対に――』


そんな最中、いつかの誰かの言葉が脳裏に浮かんだ。

そうだ俺は、誰も信用しちゃいけないんだ。


「わ、わからない……。信じたい、けど、怖いんだ……」

「なら信じて貰えるように、私はずっと、ユウさんのそばにいます。そしてあなたに教えてあげるんです。人を信じることは、こんなにも素晴らしいことなんだって」

「……ぁ、」


照れ混じった表情で、しかし眩しく美しく、優しい瞳でマレは笑う。

そんな彼女に対して、何か言葉が喉元でつっかえた。


「さて、今日はもう帰りましょう!随分遅くなっちゃいましたし」


先程とは変わって、いつものマレがそこにいた。こっちとしては、テンパりすぎて何が何だか分かっていないのだが。


「あ、あぁ~そうだな。か、帰ろうか……」

「はい!」


そうして歩き出したそのとき、それは起こきたのだった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る