第39話 デート

「ひやぁぁぁあ――――っ!!」


突然の叫び声。

そして唐突に降りかかった、大量の水。

バケツがゴトンと床に転がり、ベッドとその周辺は全て水浸しとなった。当然そこで寝ていたはずの俺もびしょ濡れ状態。前髪からぽたぽたと滴り落ちる水が、シーツに落ちて見る間に繊維の奥まで染み込んでゆく。

濡れた前髪をかき分けて、ちらりと前を見やると、


「ぁ、あ……」


真っ青な顔をしたソフィアが、泣きそうな目で身を震わせていた。


「あの……ソフィアさん、これはどういう」

「ごごごごめんなさ〜いぃ……!」


嘘だろ、と思う。

まだ雇って一日しか経ってないんだぞ。どうやったら寝ている主人の頭にバケツをひっくり返すなんて状況に陥るのだろうか。


「何やってんのマジで。なんでこんな」

「本当にごめんなさいぃ……!少しでもお役に立ちたくてユウ様が寝ている間にお部屋を掃除しようと思ったら、ユウ様の隣でノ、ノア様が寝ていらして……それで驚いちゃってぇ」


溜息が溢れ出た。初っ端からこれじゃ先が思いやられるばかりだ。

とは言え彼女にも悪気があった訳じゃ無いし、ノアのことを言っていなかったのは悪かったとも思う。

ノアは俺の隣で今も呑気に寝息を立てている。


「おい起きろコラ、また勝手に入って来やがって……てか、何でお前だけちっとも濡れてないんだよ!」

「んぅ〜……」


こっちは布団ごとずぶ濡れだと言うのに、ノアは水滴ひとつも付いちゃいない。おそらくは彼女のスキルによるものだろうが、相変わらず運がいい何てレベルじゃない。というか彼女に降かかるはずだった不運もとい水が、全て隣にいた俺に浴びせられている気さえする。厄介な奴だ。


「はあ、もういいよ。でもソフィア、次からはもうちょっと優しく起こしてくれよ」

「は、はい!頑張ります!」


布団から這い出て髪を掻き上げる。


「しょうがない、シャワー浴びるか……。あそうだソフィア、今日なんだけどちょっと知り合いの人と出掛けてくるから、ノアのこと頼んでいいか?金は渡しとくから色々と世話してやってくれ」

「はい、かしこまりました!……しかし、どなたと出かけられるのですか?」

「ああ、マレっていうギルドの受付の人」

「じょ、女性の方ですか……」


ソフィアは少し驚いた顔をしている。


「そうだけど、なに?」

「い、いえその、お二人だけで出かけられるのですか?」

「そうだけど」

「そ、それってつまり、デート……ということでしょうか……」

「は――?」


脳ミソが一瞬こんがらがった。そんなことは毛ほども考えていなかったが、確かに男女が二人で出かければそれは、世間一般で言うところの『デート』になるのかもしれない。マレはそのつもりで俺を誘ったのだろうか。言われてみれば俺を誘う時、彼女はかなり緊張した面持ちだった気がする。そんなまさか、


「違う。断じて違う。そんなんじゃない」

「そ、そうなのですか?」

「ああ、そうだ」


そうに決まっていた。

これまでの人生、女とデートなんてしたことが無い。どころか、恋人なんて代物ができた経験もない。

向こうの世界ではなるべく人を避けて、必要な時に適当に愛想笑いを浮かべて、薄っぺらな人間関係しか築いてこなかったのだ。それでどうして他人と親密になれるというのだろう。

この世界でだって、やってきたことは向こうの世界と何ら変わらない。たまに笑みを浮かべて、自分のプラスになるように立ち回る、これだけだ。


「そ、そうですか……では、本日は私がノア様のお世話を」

「私も行く」


ノアの声がソフィアの言葉を遮った。


「は?行くって」

「私もユウについて行く」


ノアはいつもの寝起きヅラにしては目が開いている。


「何言ってんだよ、今日はマレと二人で行くって約束なんだ。ダメに決まってるだろ」


今日こそは必ずノアを俺から引き剥がして見せる。丁度いい機会なのだ。彼女には俺離れと言うものが必要だ。今後ずっとノアに粘着され続ける人生なんて、俺は真っ平御免蒙る。それにマレは二人で行きたいと言っていたし、約束を破るわけにもいかない。


「でも、」

「でもじゃない。いいかノア、今後もし俺がいなくなったらどうするつもりだ?お前一人で生きていけんのか?買い物だってろくに出来ないだろ」

「……っ別に、いい。ユウがいれば」

「だから、いつまでも俺がいるって思うなって言ってんだよ。少しは俺無しでも飯食って寝れるようになれ」

「……っ」


ノアの眉が下がった。頬まで膨れている。いつもの我儘モードだ。しかし今回ばかりは俺も折れる訳にはいかない。


「いいか、なんと言われようと今日は絶対連れて行かねえ。大人しく待ってるんだな。そんじゃ俺支度するから、あとは頼んだぞソフィア。それと、布団乾かしといてくれよ」

「は、はい!」


そう言って俺はシャワールームへと向かう。


「ユウは、私がいないと不幸になるんだから……」


そんな言葉を背に。



瞳がキラキラ輝いて見える。


「キャァァ――ッ!!」


マレの黄色い声が店内に響く。


「凄いですよユウさん見てくださいこれ!」


目の前のテーブルには、花瓶みたいな大グラスにクリームと菓子とフルーツがてんこ盛りの特大パフェがある。マレに連れてこられた、最近オープンしたカフェの目玉商品らしい。

日本でオープンしてもそれなりに人気が出そうなオシャレな店だ。女子高生なんかがSNS映えを狙って写真を撮りに来るだろう。


「どこから食べましょう〜!」


目の前で嬉しそうに身体を揺さぶっているマレを見ていると、やっぱり彼女も年頃の少女なんだなと思う。

正直パフェだの何だのに興味はないが、たまにはこうやって日がな一日のんびり平和に過ごすのも悪くは無い。

しかし何だろう、この店は。さっきから気になってはいたが、そこかしこにいる男女のカップルが目に入る。と言うか殆どカップルしかいない気がする。


「どうしましたユウさん?」

「え、何が?別に?」


ボーッとしている俺を不思議に思ったらしい。

ソフィアが変なことを言うからいけないのだ。これじゃまるで俺が意識してしまっているみたいじゃないか。

落ち着け、これはデートではない。多分カップルが多い店だから、マレも一人で入りずらかったのだ。俺を連れてきたのもそれだけの理由に違いない。


「もう、しょうがないですね。ユウさんも欲しいんでしょ?」

「え?いや俺は」

「はい、あーん」


クリームが乗っかったスプーンが俺の口元へ近づいてくる。

そのとき、俺の脳がフル回転していた。


――な、何だ何が目的だ。これは罠だ。きっとスプーンに毒が塗られているに違いない。そうに違い。いや待てそれは無い。だってさっきマレはこのスプーンでパフェを食っていたじゃないか。毒が塗られていたならマレは今頃死んでいる。てかちょっと待て、マレが使っていたスプーン。スプーンだと!?


マレが俺の顔を不思議そうに見つめている。


――コイツ見てやがる。俺の反応を見て楽しんでいるのか。これで俺が慌てふためいていたら、俺が意識しているのが丸わかりだ。冗談じゃない。バカにされてたまるか……!


「あむ……う、うん。美味いねなかなか」

「ですよね!」


思った以上にマレは普通だ。こりゃ多分気付いていないな、それかあれだ、異世界では関節キスなんて気にする方がバカみたいなそう言うものなのかも。どっちにしてもこのままじゃ俺一人だけ混乱していて本当にバカみたいなので、気にするのはやめにした。


「ん〜やっぱり美味しい!」


マレの耳が、正確には青いリボンが犬の尻尾みたいにブンブン揺れている。相変わらず気に入って身に付けてくれているみたいだ。代わりに以前まで頭に付けていた年季の入った白いリボンは、今は彼女の左手首に巻かれてある。


「なあマレ、そのリボンって」


俺が視線を向けると、


「ああ、これですか?これは昔、母に貰ったものなんです」

「お母さんに?」

「はい。私に似合うからってプレゼントしてくれたんです」

「……へぇ、そっか」


何となく、それ以上は聞かなかった。それを見つめるマレの瞳を見ると、どこかこれ以上踏み込んではいけない様な気がした。


「それより、この後どうしますか?」

「え、帰るけど」

「…………。ええ!?帰っちゃうんですか!?」


帰るに決まっているだろう。元々今日はこのカフェに来るのが目的だったのだ。その目的が果たされた今、これ以上何をするというのか。


「元々用事はこのカフェに来ることだったろ?それともまだどこか行きたい店でもあるのか?」

「えと、その……特に行きたい場所というのはないのですが……まだ帰っちゃうのは早いな〜と言いますか。も、もう少しだけその、一緒にいたい、です」


視線を逸らし、照れくさそうに、精一杯な様子でマレは言う。

また、ソフィアの言葉を思い出してしまった。

即座に机に額を打ち付けた。


「きゃっ、ユ、ユウさん?」


マレが驚いてこっちを見ている。

そんなはずない。ありえない。こういう勘違いは一番恥ずかしい奴だ。


「ああいいよ、行こうか」


どうせ暇だったし、今日一日で彼女への貸し借りを確実に清算してやる。




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