第36話 死力の一撃

あれほど穏やかだった森が嘘のように、立て続けに轟音が鳴り響いていた。

カインとマキナは木の裏に隠れ、様子を伺っていた。カインが木の影からちらりと顔を覗かせると、上空からワイバーンがあちこちにブレスを放射している姿が見える。木々は炎に焼かれ、焦げ臭い匂いと黒い煙がそこら中に充満して息苦しい。


「くそ、あの野郎……」

「このままじゃ、いずれここも見つかるわ。そうなる前に奇襲をかけるしかなさそうね」


位置がバレていない今がチャンスだった。

しかし、これまでの戦闘でカインもマキナも魔力を使いすぎている。特にカインはエヴィルボアとの戦闘でかなり魔力を消費していた。


「あの技、あと何発撃てる?」

「奴の鱗を貫けるだけの威力となると、あと一発が限界だ」


光炎閃――光と熱の複合魔法を剣に纏うカインの決め技だ。この技は剣に纏うだけではなく、斬撃や砲撃にも応用の利く技である。さらに砲撃に関しては対象への到達速度が速く、ワイバーンの鱗を焼き切り、貫くほどの破壊力を有している。カインの残りの全魔力を込めれば、まさに必殺の一撃となるだろう。

だがその切り札をきるタイミングを躊躇っていた。


「また避けられる可能性が高い……」


カインはこれまでに三度、同じ技をワイバーンに向けて放っている。が、全て不発に終わっていた。ワイバーンはかなり上空を飛び回り攻撃を仕掛けてくる。それに対してこちらは地上からの魔法撃ひとつ。連射が出来るような代物でもない。


「わかった……なら私が奴の動きを止めるわ」

「バカな、どうやって……」

「考えがあるの」


マキナの真剣な瞳にに、カインは息を飲んだ。


作戦が開始された。

カインとマキナが二手に散らばり、森の中を駆け抜ける。


――頼んだぞマキナ……。


カインが心の中で呟いた。

そんなカインを他所に、森の中を走るマキナは木々の少ない開けた場所で立ち止まり、空を見上げた。

ヤツがいる。口から火を吹き、叫び声を響かせるワイバーンの姿が。


「私はここよ!」


ステッキを翳し、土属性魔法で作り出した小さなイシツブテを射出する。十センチ台の石がワイバーンの頭部に当たって砕けた。

ワイバーンが上空からマキナを睨みつけ、巨大な咆哮を響かせた。


「さあこっちよ馬鹿トカゲ!」


走った。

背後から迫り来る火炎を無視して、ただ只管に走り抜ける。振り返っている余裕はない。一瞬の迷いが命を奪う。

背後が爆発し、熱風がマキナを吹き飛ばす。


「きゃあっ――!」


吹き飛ばされ転がった先で、大木の幹に背中から衝突した。

震える両脚を押さえて何とか立ち上がり、前方上空を見上げる。

上空でワイバーンの口元からメラりと炎が揺れた。

ここだ。勝負はここで決める。


「ダウンバーストッ!!」


ステッキ先端の魔力石が青く光る。

多量の魔力が込められたマキナの奥の手が発動した。

魔法の発現地点は正にワイバーンの頭上。風魔法による強烈な暴風が真上から地面に向かって垂直に叩きつけられる。

大風は吹き荒れた。周囲の木々が根元から大きくしなり、細いものは次々にへし折れていく。

ワイバーンは必死に翼をはためかせ抵抗するが、その大きな翼は広げれば広げる程に風の抵抗を受けてしまう。

ワイバーンの高度が見る見る降下してゆく。あと少し。あと僅かで地に奴を叩き落とせる。

しかしマキナ自身も無事では済まない。大地にぶつかり、地面に対して水平方向に広がった暴風が彼女の軽い身体を容易く吹き飛ばす。しかしマキナの背中を、その一帯で一際大きい巨木が支えていた。

この場所まで奴を誘き寄せる、それが彼女の狙いだった。狙い通りワイバーンの高度は下がり、今にも地に叩き付けられるその手前だ。

身体中から魔力がごっそり消えていく感覚がある。

ステッキの先端で光る魔力石に亀裂が入る。

だがそんなことはお構い無しに暴風を生み出し続ける。

あと少し――。

あと少しだった。


「くっ……」


突如として吹き荒れる暴風は止んだ。

魔力切れだ。まだ奴は地に落ちていない。いくら彼女に風属性の適性があろうと、たった一人の魔法で自然現象を引き起こそうだなんて土台無理な話だったのだ。

まるで嵐の後の静けさの中に、怒り狂ったワイバーンの絶叫だけが響き渡った。

マキナの瞳に死が映る、その瞬間。


「今よッ!!」


マキナが叫んだ。

同時にマキナを支えていた巨木の頂上から、眩い閃光が宙に飛び出した。

否、光炎に輝くカインであった。

奴の高度が落ちている今なら、この高さなら、必殺の一撃が確実に届く。ワイバーンの背に、カインの細剣が突き立てられる。


「くたばりやがれぇぇぇえ――ッ!!」


怒号と共にゼロ距離で放たれた死力の一撃がワイバーンの鱗を貫き、内蔵を焼き切り、下腹から強烈な熱光線が大地に向かって突き抜けた。

不意をつかれ、空中で事切れたワイバーンは漸く、ゆっくりと地面に落下した。


「はぁ……はぁ……もう魔力がスッカラカンだぜ……」


息も絶え絶えにカインが言った。


「はぁ……私だって、残りの魔力全部使ったんだから。だからあれほど魔力は大事にって言ってるのに。肝心な時に使えなかったら意味無いでしょ?」

「へいへい、分かってるって――――伏せろッ!!」


突如カインが血相を変えて叫び、マキナの身体を庇うように突き飛ばした。

その瞬間、カインの背後で地面が爆発し、二人は爆風に吹き飛ばされた。


「うぅ……」

「カインっ!?大丈夫!?」


すぐ様マキナが駆け寄る。


「う、あぁ大丈夫……だが、」


二人が見上げた上空で再び咆哮が轟いた。

ワイバーンだ。

しかも先程より一回り大きい個体だ。


「そ、そんな……まだもう一体いたなんて……」

「最悪の状況だ……」


二人の顔が絶望に歪んだ正にその瞬間、


「――――――」


突如空に稲妻が走り、大気を揺るがす落雷がワイバーンの巨体を撃ち抜いた。

膨大なエネルギーを一身に受け、鱗が剥がれ黒焦げとなったワイバーンは血を吐きながら力なく落下した。

地面に横たわるワイバーンの身体が痙攣している。

その光景を目の当たりにし数秒程固まっていたカインは、思い出したかのように慌てて周囲を見渡した。


「やっぱ威力がなぁ……」


小声で何か呟きながら、黒髪の少年が歩いてくる姿が目に映った。


「ユウ……」

「悪い遅くなった。一応村人達の避難は完了したけど…………だ、大丈夫か二人とも?」


こんな状況だ。カインとマキナが呆けてしまうのも無理はないのだろう。



昼間あれほど賑わっている王都フェルマニスも、真夜中ともなると人気は薄れ、偶に聞こえるのはふくろうの鳴き声くらいのものだった。そんな静まり返った街の、それも街明かりから離れた薄暗い路地裏でことは起こっていた。

完璧に闇夜に溶け込むほど真黒なローブを纏う魔人族の男、クォレスはつまらなそうに地に伏す人間を踏みつけた。


「うぐっ」

「期待外れだな。本当にこいつなのか?劣人種達の中でも上位の存在と言うのは……」

「て、てめぇ……」


オルドラゴは自分を踏みつけている男の顔を鋭く睨みつけた。しかしもはや全身はボロボロで、まともに立ち上がることすら出来ない。

するとクォレスのすぐ側にいた魔人族の女、レジーナが徐にオルドラゴの額に人差し指を当てた。


絶対服従ペットの印を上げるわ」


彼女がその言葉を放ったその瞬間、オルドラゴは糸の切れた人形のようにパタリと力を落とした。


「ふふふっ、これであなたは私のペット……」


レジーナは指を加えながら頬を染めている。


「劣人種の中でも上位と呼ばれる者がこの程度の実力ならば、他も大したことはあるまい。この分なら計画もスムーズに行くだろう」


クォレスは不敵に笑う。

すると、彼の持っていた交信水晶がうっすらと光を上げているのに気がついた。


「俺だ、どうした」

『こちらハデル……すまない、ベートが負傷した』

「なに――?」


ハデルとベートは計画の要ともなる重要な実験を、この街の近くにある森で行っていたはずだ。


「一体何にやられた、魔物か?」

『いや、人間だ。それもとんでもなく強い人間族の男だ』

「――っ」


水晶から聞こえたハデルの言葉が、クォレスにはとても信じられないでいる。まさか人間ごときにハデルとベートがやられるとは思ってもみなかった。


「その人間はどんな奴だ?」

『黒髪の男だ。おそらく冒険者だとは思うが、その中でもトップクラスだろう。速すぎて攻撃が見えなかった』

「ほぉ、ハデルがそこまで言うとはな」

『それだけじゃない。その男の連れ、銀髪の女も普通じゃない。俺たちの呼び込んだワイバーンの攻撃をノーモーションで防ぎやがった。夢でも見てるのかと思ったぜ』


ハデルの口ぶりから察するに、相当な手練に違いない。


『あいつらは早いうちに始末しちまった方がいい。今後の計画に支障をきたしかねないからな』

「なるほど、了解した。その者達の足取りを追跡できるか?」

『追跡だけなら大丈夫だ。ネズミを使う』

「わかった、任せたぞ」


その後、交信結晶の光が静かに消えた。

クォレスは再び不敵な笑みを浮かべマントを翻した。


「行くぞレジーナ、計画を実行する前にやることが出来た」

「ええ」


そう言うと、クォレス達は暗闇の中へと消えていった。





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