第32話 値段交渉

ここはフェルマニス中央区にある、とある屋敷の応接間。俺はふかふかのソファーに腰掛けている。

中央区に住む輩は金持ちか貴族などの裕福層と決まっているが、その屋敷もやはり立派なもので、俺は随分と落ち着けないでいる。あちこちに飾ってある装飾品骨董品の数々、触れて壊したらと思うととても下手に動けない。


「いいかノア、大人しくしてるんだぞ。その辺にある壺とかに絶対触るなよ」

「ふぁ〜」


左隣に座るノアが相槌の代わりに呑気な欠伸をゆっくり吐き出した。


「なんだよ兄ちゃん、緊張してんのか?」


今度は右隣に座る猫耳少女、シャルがニヤついた顔で問いかけてきた。

バカにされちゃ困る。俺だって以前は城で暮らしていた時期もあったのだ。この程度どうということは無い。


「緊張なんかするかよ。ただこういう意味もなくギラギラした空間が落ち着かないだけだ。ここに住んでるやつの気が知れないね」

「は〜貧乏人思考だなー。今からそんなんじゃ、将来金持ちになった時に金の使い道に困るぞ」


オンボロの借家に住んでる奴に言われたくない、と思う。

俺が仮に金持ちになったとしても、絶対無駄な金の使い方なんてせず貯金とかするに決まってる。とは思いつつも、金が有り余ると結局そう言った趣味を持つのだろうか。そういう運命なのだろうか。


「お待たせしましたシャル殿」


応接間の扉が開き、小太りのおっさんが入ってきた。彼がこの屋敷の主であり、シャルが俺に紹介してくれた商人であった。

今日はこの商人に、迷宮で手に入れた魔力石を売り付けるのが目的だった。


「これはまた……とんでもない品を持ってきてくださいましたね」

「だろ?あたしのお墨付きだ」

「シャル殿が鑑定してくださったのでしたら、やはり間違いは無いのでしょうな」


シャルは商人に随分と信頼を買われているみたいだ。彼女がそれなりに有名だという話はやっぱり本当みたいだ。


「そうですね、6……いや70万メリルで如何でしょうか」


70万メリル。オークションに出せば100万メリルくらいだろうとシャルは言っていたので、凡そ30%ダウンと言ったところ。即現金で用意してくれると言うので、俺としては悪くない条件なんじゃないかと思った。

しかしシャルは、


「おいおい、こんな時まで金額小出しにしてくんのやめろよな。最低80万はいくだろ」

「ははは、いやシャル殿には敵いませんな。つい商売人の癖で少し低い金額を口にしてしまいました。では80万メリルで」

「おいおい、最低つったろ。どうせ競売掛けるんだから100万メリル何てすぐ超えるさ。90でどうだ?」

「そ、それはちょっと……」

「嫌なのか?嫌ならいいぞ、他の商人とこ持ってくからな。あたしの横の繋がりはあんたも知ってんだろ」

「うぅ……分かりました。シャル殿にはいつもお世話になっていますし、では85万でどうでしょう。流石にそれ以上はわたしも……」

「よし決まりだ。85万メリルで交渉成立だ」


シャルはその条件であっさりと身を引いた。商人はこりゃ一本取られたって顔をしている。

正直俺は今でもこの世界の通貨価値があやふやな状態だし、値段交渉なんてしたことも無い。今回の件はシャルに任せて良かったと思う。

その後は商人へ魔力石を引渡し、代わりに白金貨八十枚、金貨五十枚を受け取ることで無事取引を終えることが出来た。


「て、手に入れちまった……ついに、ついに……大金を……」


屋敷の外に出た瞬間、急に周囲の人間が悪人に見えてきた。貰ったらすぐにボックスリングにしまったし、スられる心配はない。


「あんまビクビクすんなよ。兄ちゃんから金奪える奴なんかその辺歩いてねえって。だいじょぶだいじょぶ。ま、リングさえ無くさなきゃの話だがな」


周囲を警戒している俺の様子を見て、シャルがへらへらとそう言った。


「よく聞く話だぜ?大金入った指輪をうっかり無くしちまって首吊った奴の話とか。だからこの国の奴らはみーんな、一家にひとつ金庫を備えてる。兄ちゃんも今日の金で頑強な金庫でも買ったらどうだ?」


確かに金庫に金目のものを入れておけば、ボックスリングを無くしたとしても全財産を失う羽目にはならないだろう。しかし俺は今、宿屋暮らしだ。あの狭くて防犯もなってない部屋に金庫を置くのもどうかと思う。それならリングに収納したまま肌身離さない方が余程安全な気がする。

困ったことに、この国には銀行というものが存在しない。昔はそれに変わる組織があったらしいのだが、詐欺や持ち逃げ破綻が繰り返され、やがて人々は銀行という組織自体を信用しなくなってしまった。今では銀行という看板を掲げただけで白い目で見られるのだから、誰も営業なんてしない。おかげでこの時代の人々は金の管理に苦労しているみたいだ。


「考えとくよ。それより、今日はありがとな。シャルのおかけでかなり儲かった」

「まー約束だしな」


ニヘッと笑うシャルを見て、やっぱりこいつは使えるなと思う。手駒に出来て本当に良かった。

だからこれはお礼なんかではなく、今後のことも考えての投資に過ぎない。


「シャル、ほれっ」


俺は白金貨一枚を親指で弾いた。


「うえぇ!?」


シャルは宙に舞った白金貨を危うく取り落としそうになる。


「に、兄ちゃんこれ」

「今日のお礼。あとはまあ、今後タダで情報貰う分ほんの少し上乗せ」

「にいちゃぁああ――――んッ!!」

「どわっ!?」


シャルが腰に飛び込んできた。


「引っ付くなこらっ!」

「何だよ兄ちゃんやっぱ良い奴じゃねーかぁ!とんでもねえ捻くれ腹黒クソ野郎とか思ってて悪かったよ〜!」

「てめえそんなこと思ってたのか!金貨返せこの野郎!」


路上で騒ぐ俺たちのすぐ隣で、ジトっとした重たい視線を感じて見てみると、ノアが何か物言いたげな目でじっとこちらを見ていた。


「ノア……どうした?」


しかしノアは何も言わずふい、と視線を逸らした。そのくせしっかり俺の服の端を指で摘んでいる。相変わらず何を考えているのかさっぱり分からない奴だ。


「それよりシャル、そろそろ離れろ」

「おっと悪ぃ悪ぃ、つい興奮しちまって。こんなにくれるとは思わなくてよ。今更後悔したってもう返さねえぜ」

「いいよ別に。お前のおかげで儲けた訳だしな」


実際シャルがいなければここまでの大金を得ることは出来なかったはずだ。元々払う予定だった手数料と今後の情報料を差し引いてもお釣りが来るし、餌付けと考えれば損した気にはならない。


「それより俺は嬉しいよ。これでようやくコイツ・・・と別の部屋で眠れる」


俺は隣にいるノアの頭をわしゃわしゃ乱暴に撫でた。無表情なノアの頭がグラグラ揺れる。


「え、兄ちゃん達同じ部屋で寝泊まりしてたのか!?」

「まーな。今はまだFランク冒険者だし、コイツ・・・の暴食のせいで金が無かったんだよ」


ノアの頭がグラグラ揺れる。


「ま、今日やっとその金が出来たから、ブランのとこで別の部屋借りてクソ狭い同居生活ともおさらばだ」

「ね、寝る時はどうしてたんだ……?」

「は?そんなもん俺がベッドでコイツ・・・が床に決まってんだろ」


グラグラ。


「な、なんだ……」

「でも朝気がついたらコイツ・・・が俺の布団に潜り込んで来てるから、寝づらくって仕方ねーんだよな」

「やっぱ一緒に寝てんじゃねぇか!」


シャルが大声で叫んだ。


「ばっ、変な言い方するな!こいつが勝手に俺の布団に入ってきてるだけだ!」

「それを一緒に寝てるって言うんだよ!まさか兄ちゃん達……もうそういう関係に」

「馬鹿ふざけんな!誰がこんなヤツと……」


その時ノアを見た。

こんなヤツ、と言うが見た目だけなら誠に遺憾ながら、ノアは滅茶苦茶可愛いと思ってしまう。歳だって離れてない。多分俺と同じか少し下、あるいは年上かもしれない。ノアは寝る時にいつも白いシャツ一枚で眠るので、朝起きた時に隣で服のはだけた彼女を見てドキリとした記憶が無いことも無い。

よくよく考えたら、俺はこれまでとんでもない生活を送っていた気がしてきた。冷静に考えたら、客観的に見てそう言う関係に思われても仕方ない気もしてくる。

俺が見つめる視線の先で、ノアがコテンと首を傾げた。


「こ、この情報は有難く頂戴しておくぜ……ひいっ!?」


シャルの首元に剣を向ける。


「誰かに喋ってみろ……お前を八つ裂きにしてやるからな……」

「じょじょ冗談に決まってんだろっ!?」


全くとんでもない秘密を知られてしまった。ブランに頼んで早急に別の部屋を用意して貰わねば。


「は〜にしても兄ちゃんは鈍男だな。マレっちが浮かばれないね」

「なんでそこでマレが出てくんだよ」

「こっちの話さ」


何を言っているのか分からないが、妙に呆れ顔なのが腹が立つ。


「それより兄ちゃん、用も済んだんだしこんなとこ早く帰ろうぜ」


そう言ってシャルは目の前の大通りを走る馬車に手を振った。すると馬車が急停車、御者の男が降りてきた。


「南区三番通りまで頼むよ」

「三人で300メリルだ」

「ぼったくんじゃねえよおっちゃん。200メリルだ」

「ちっ、どっちがぼったくりだ。相場はこんなもんだろ。280だ」

「220」

「270」

「225」

「刻むんじゃねえったく、250だ。これ以上下げろってんなら他当たれ」

「よーしそれで乗った」


御者の男は「たく勘弁してくれよ……」とぶつくさ文句を垂れながら馬車に戻った。

これは日本で言うところの個人タクシーのようなものだ。この街には公的交通機関が存在しない代わりに、こういった旅客輸送なんかを個人営業している馬車が街中走り回っている。来る時もこれに乗って中央区まで出向いたのだ。

しかしシャルの奴、こんな時まで値切るとはしたたかな奴だ。そんなに金に困っているのだろうか。

馬車に乗り込んだあと、ふと疑問に思って尋ねてみる。


「なあシャル、お前ってなんでそんなに貧乏なんだ?」

「兄ちゃん……普通に失礼だしバカにしてんのか」

「いやでもよ、お前ちまたで有名な情報屋だろ?依頼も結構来てるみたいだし、何でそんなに金ねえの?」

「う……、色々あんだよ」


どこかから借金でもしてるのだろうか。まあ俺には関係ないし、全くもってどうでもいい話だ。


「ま、別にいいんだけど――」

「そうだ……!」


突然シャルが声を上げた。


「何だよ」

「兄ちゃん、この後あたしに着いてきてくれ!」




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