第30話 哀れな男

ギルドのロビーにある休息所にはいつもむさい男達が蔓延っていて、汗臭い臭いと酒の匂いをばらまいてはバカな会話で賑わいを見せている、そんな場所だ。しかし今日に限っては一際周囲に花を撒き散らしている存在がいた。


「ふんっ、ふんっふふ〜ん」


声高に鼻歌を歌うのは、一階ロビーのカウンターで受付を担当している少女、マレだった。

普段は淡い桜色の髪に兎の耳のような白リボンを巻いている彼女だが、本日はそのリボンの色が青い。普段使っていた年季の入った白リボンは彼女の左手首に巻かれていた。


「お、マレちゃん御機嫌だね?なんかいいことあったの?」

「あれ?分かります?」


冒険者の一人の熟年男がマレに問いかけた。感の悪い男は彼女の見た目の変化には少しだって気づいていないらしい。


「こ、れ、見てください!」


マレは自分から指をさして新しいリボンをアピールしてみせる。


「おお、リボンか!そうかリボンが違うんだぁ!」


男はようやく手をポンと打つ。


「えっへへ、頂いたんです!可愛いでしょう?」

「おぉ、確かに可愛いが……一体誰に?」


男が重要な部分に触れようとしたところで、


「おいおいおっさん、野暮なことは聞くもんじゃねぇ。な、マレちゃん」

「カインさん……!」


横から入ってきたカインはそう言ってウインク。いつにも増してキザだ。


「にしてもそのリボン似合ってんな〜。いつものもいいが、その色も君に良く似合う。どうだい?今夜は俺とんがっ!?」

「一々ナンパすんな……!」


横から割って入ったマキナの肘打ちが、無惨にもカインの腹を突き刺した。「す、すみません」とカインは腹を抱えながら苦しげに謝罪する。

するとマキナが、


「マレさん、聞いたよ。あのユウって冒険者、無事だったんだって?」

「はい……!」

「本当に良かった。私も彼に命を救われてるの。一度くらいお礼がしたかったし」


マキナがそんなことを話していると、後方からガコンと扉の開く音がした。マレが視線を移し、釣られた者達が後を追うように振り向く。


「噂をすれば」


カインが呟いた。


――――


「ユウさーん!」


俺がギルド本部入口の扉を開くと、正面のカウンターからマレが笑顔で手を振っていた。その周りに集うように、数人の男女が群がっている。


「ユウ、挨拶してる」

「わかってるっつの」


俺が挨拶を返さないでいると、隣に引っ付いてきていたノアが俺の袖をちょんちょんと引っ張って言った。

俺は手を振るマレ達の方へ笑顔を向ける。がしかし僅かに、その作り笑顔が引き攣りそうになる感覚があった。

マレにカインに、確かマキナだったか。俺の顔を見るなりニコニコ気持ちが悪い。不覚にも一瞬、彼女達がかつてのパーティーメンバーと重なって見えてしまった。今日は先日の迷宮攻略依頼の報告の為に出向いたのだが、出だしから最悪の気分だ。

しかしマレが笑顔全開なのはいつもの話だが、カインもマキナとか言う女も穏やかな表情をしやがって。まさかちょっと迷宮で助けてやっただけで仲間意識なんて持ってやしないだろうな。さっさと御礼だけ寄越してくれれば言うことは無いのに。


「ユウさんユウさん、おはようございます!」


カウンター前まで行くと、マレに再び挨拶をされた。いつにも増して元気一杯のマレが、くどいくらい何か言葉欲しげな眼差しを送ってくる。毎度どうやってるか知らないが、彼女は頭に着けた青色リボンの兎耳をひょこひょこ揺らしてこちらの顔を覗き込んでくる。その期待に満ちた眼差しは重たく俺を威圧してくるようだ。


「に、似合ってるね、そのリボン」

「そうですか!?そうですかっ!?」


このリボンは俺が彼女に買ってあげたものだ。繁華街を歩き回ってようやく彼女が目に止めたから、「あの青いリボンとかマレに似合いそうだな」なんて言ったら「これにします!」と即決した。何時間も歩き回った挙句にようやくだ。


「よ、ユウ!」

「――っ!?」


唐突に呼ばれて振り向いてみれば、カインが馴れ馴れしく肩を組んできた。一瞬手が出そうになったが全力を持って抑え込んだ。こんな場所で騒ぎを起こしたくはない。

ただそんなこと知る由もないカインは俺の耳元で、


「なあユウ、あのかわい子ちゃんは誰だ……!?」

「え?ノアのこと?」

「ノアちゃんていうのか……可憐だ!」


カインは目を見開いて大声をあげた。そしてノアの目の前でお辞儀をすると、


「やぁ、可愛いお嬢さん。俺はカイン、君のナイトだ。良かったらこの後俺とおちゃあ――っ!?」


彼が最後まで言い終える前に、マキナのボディーブローがカインの鳩尾を打ち抜いていた。


「いい加減にしろ」

「お、おなかはやめて……」


カインは腹を抱えて悶絶している。あれは痛い。

俺が引いていると、マキナがこちらへ振り返る。


「ねぇ、私のこと覚えてる?」

「マキナさん……だろ?」

「そう。あの時は助けてくれて本当にありがとう。あなたがいなかったらみんな死んでたわ」

「いや、別に大したことはしてないよ」


本当に大したことはしていない。こいつらを利用するために助けただけ、恩を売りたかっただけだ。早く御礼に金貨でも出してこい。


「いーや、そんでも俺達が助かった事実は変わらないさ。お前のおかげだ」


倒れ込んでいたはずのカインが体を起こし、清々しい顔で言う。


「つーわけで、今日は生還祝いだ!来たい奴はこい!今日は俺の奢りだ!」


カインは周囲に聞こえるように大声で叫んだ。それを聞いた周囲の冒険者たちは、


「よっ、さっすがカイン!」

「Aランク冒険者は器が違うぜぇ!」

「よぉし、今日はとことん飲むぞ〜!」


気前のいいカインを大いに称える。

勝手に盛りあがっているところ悪いが、俺はそんなものに参加するなんて御免こうむる。


「いやあの……俺は」

「おいおい、まさか主役が欠席なんて言わねえよな?」

「そうよ、私達あなたにお礼がしたいの」


どうやら逃がすつもりはないらしい。周囲の冒険者たちは宴に参加出来ると聞いて盛り上がっているし、これはすんなり断れる雰囲気じゃなさそうだ。


「はぁ……しかたない。ちょっとくらいなら」

「よっしゃ決まりだ。酒の美味い良い店があるんだ」


俺が渋々承諾すると、カインは嬉しそうにガッツポーズする。スキルのせいで酒を飲んでも酔えない俺としては、酒の味にこだわりもないが。


「あの、ユウさんが行くなら私も行きたいです!」


カウンター越しからマレが手を挙げた。そんな彼女にカインが、


「お、いいねぇ。マレちゃんなら大歓迎だ。なぁユウ?」

「え、ああ……うん」

「やったぁ!じゃあじゃあ、お仕事が終わり次第向かいますね!」


マレはまだ宴が始まってもいないのにはしゃいでいる。よほど楽しみらしい。周囲の人間も皆、今日の宴を待ち望んでいるようだ。

しかし、


「いい加減にしろよっ!!」


一人の男の声が、そんな明るげな雰囲気を劈いた。

鬼の剣幕でこちらを睨みつけ威圧するのは、オルドラゴだ。今回は酔ってはいないらしいが、その怒りは騒がしい周囲の人間を黙らせるのに十分だった。

あれほど盛り上がっていた空気が一瞬で鎮火し冷え切った。


「勝手にワイワイ盛り上がりやがって、そんなクソ野郎と仲良くすんのがそんなに楽しいか!?ああッ?」


オルドラゴは誰に言うでもなく、その場にいる冒険者達全員に問いかける。


「おいオルド……もうやめとけ」


見かねたカインが宥めようとするが、


「カイン、俺は言ったよな……そいつは昨日俺を殺そうとしたんだぞ!?」


オルドラゴは盛大に声を荒らげる。

どうやら昨日の一部始終をカインに話していたらしい。あんなに酔っていたはずだが、記憶はあったみたいだ。

しかしカインは眉をひそめた。


「待てって、それは何か勘違いだろ。ユウはそんな奴じゃねぇよ」


どうやら俺を疑っていないらしい。一瞬冷や冷やしたが、これならどうにかなりそうだ。


「そ、そうですよ!ユウさんはそんなことする人じゃありません!」


続けてマレが俺を擁護する。


「マ、マレちゃんまで……何で……」


オルドラゴの顔が歪む。マレまでもが俺を庇ったことが心底気に食わないらしい。


「ふ、ふざけんなっ!そいつはクソ野郎なんだよ!お前らみんな騙されてんだ!なんで分かんねぇんだ!」


オルドラゴの熱は更にヒートアップする。顔を真っ赤に、もはや暴れだしそうな勢いだ。

しかしそんな矢先で、


「いい加減にしなさいよ!!」


マキナの声が鋭く響いた。


「あんた、彼に迷宮で助けられたの忘れたの!?せっかく自分の身も顧みないで助けてくれた彼が、なんでわざわざあんたを殺そうとするのよ!」

「ち、ちがうっ!あいつは確かに俺を……」


マキナの猛攻撃にオルドラゴはたじろいだ。周囲の冒険者達も呆れた顔で溜息をつき始めた。もはや彼の味方をするものは、この場に誰一人としていない。

……勝った。

思わずニヤけそうになるのを必死に堪える。


「マキナさん……もうそのへんで」

「いいえ、この際だからハッキリ言わせてもらうわ!いいオルド?あんたカッコ悪いのよ!いつまでもネチネチとしつこく付きまとって、挙句 命の恩人に襲いかかって悪者扱いだなんて!あんたもAランク冒険者の端くれなら少しはプライドってもんを持ちなさいこのヘタレ男ッ!!」


情け容赦なく、オルドラゴは切り刻まれた。紛うことなき正論ではあるが、流石にちょっと不憫に思えてくる。

そんな不憫な男に近づいて、俺は右手を差し出してみる。


「えと、オルドラゴさん。俺も色々誤解させちゃってたなら謝るよ。これを機に仲直りしよう」


俺が実際に言われたら反吐が出る程の綺麗事を口にする。しかしその言葉とは裏腹に、俺の表情は見事に下卑た笑みを浮かべていた。もちろんこの位置この角度からは、オルドラゴにしか見えていない。

オルドラゴのこめかみに、青筋が音を立てて浮き出た。


「このクソ野郎ぉおお!!」


俺はオルドラゴに顔面をぶん殴られ、尻もちを着いた。


「ユウさんっ!!」


慌ててマレが駆け寄ってくる。


「大丈夫ですか!?」

「へ、平気平気……俺わりと頑丈だから」


しかしマレは半分涙目でオルドラゴを睨みつけ、「最低です!」と切り捨てた。

続いてマキナが冷たい声で「あんた、見損なったわ」と一言。

そして最後になんと、ノアがオルドラゴの前に歩み寄って静かに呟いた。


「嫌い」


そこには抜け殻のように呆然と立ち尽くす、哀れな男がいた。




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