第29話 お礼
繁華街の通りは馬車が走らない。その代わりに蟻の群れみたいに、おぞましい人の波が行き交っている。
俺はノアとマレを連れ、そのおぞましい大群の中を掻き分けるように歩いていた。
俺は人混みが心底苦手だ。日本で生活していた時も、祭りやイベント事でごった返しの中を歩くのは大嫌いだったし、ずっとそれを避けて生きてた。だと言うのに、こんな人混みの中を突き進むのには理由があった。
マレに何かお礼をしたい、と言ったのがいけなかった。レアな魔力石を手に入れて調子に乗っていたのもあるが、これまでにマレには色々な物を買ってもらっている。出世払いで返すようなことを以前言っていた気もするが、流石に彼女に恩を売られっぱなしと言うのも気持ち悪いし、今後この女を利用するのであれば関係性もある程度気にしておかなければならないとも思ったのだ。
しかしながら今はまだ魔力石を換金出来ていないので手持ちが少ない。迷宮内で息絶えた冒険者たちの持ち物を漁った時に手に入れた硬貨達も、先のノアの暴飲暴食によってかなり減ってしまった。
なのでマレに何かしてあげると言ったものの、それほど大したことはしてやれないのが実情だった。そのことはマレにもきちんと伝えてある。
が、マレは大喜びだった。金額の大小では無いのだと、ユウさんが私の為に何かしてくれると言うだけで大満足なのだと彼女は言う。
そういう訳で、現在わざわざ繁華街にまで出向いてマレへのお礼を探していたのだ。食事はさっき済ませたし、してやれることと言えば何かプレゼントを買ってやるくらいだ。そういうのはこの繁華街が揃ってるんだとか。
「わあ……色んなものが沢山あって何にするか迷っちゃいます!」
確かに雑貨にアクセサリーに洋服と何でもある。
「ユウ、はぐれないようにね」
「お前が言うのかよ」
ノアは俺の服を掴んで背中に張り付いている。
俺を人避けに使いやがって。
「ユウさん見てくださいあれ!美味しそうな串焼きが〜」
「ユウ、あれ食べたい」
「さっき食ったばっかだろお前ら」
マレは子供のようにあちこちに目を輝かせ大はしゃぎ。ノアは屋台販売の食い物にご執心。まるで近所の花火大会に子供二人を連れて行ったみたいな気分だ。世の親は随分苦労しているのだと思う。
心的疲労が半端ではない。
「マレ、まだ決まらないのか?」
「待ってください!せっかくユウさんがプレゼントしてくれるのに、適当になんて選べませんよ!」
かれこれ一時間はこの人混みを歩き回っている。女と買い物をすると大変だとよく聞くが、マジだ。
それにしたって人が多すぎる。歩くだけで肩がぶつかるし、スリに遭わないよう気をつけなければ。
「きゃっ」
突然目の前にいたはずのマレが人混みに流された。
俺は即座に人混みの隙間に手を突っ込み、マレの腕を掴んで引っ張った。
マレの身体が俺の胸元に飛び込んで動きが止まる。
その瞬間、ふと視線がぶつかって数秒。
「ご、ごめんなさいっ」
マレはその場からすぐ様飛び退き、真っ赤に染った顔をふいと逸らした。
「あの、その……ありがとうございます」
マレは顔を逸らしたまま礼を言う。そんなに露骨に跳ね退かれると、やっぱりちょっと傷つくところがある。
「おい見ろよあれ」
「超可愛い〜」
「あの銀髪の子やべぇ」
周囲からヒソヒソと話し声が聞こえてくる。どうやらノアとマレの二人を見て何か言っているようだ。そりゃあこんな絶世の美少女二人が人混みを並んで歩いていたら、そういう視線を向けられても仕方がないとは思う。
ただあまりにも視線が痛いので、俺が周囲の男達を軽く睨みつけると、集中していた視線は直ぐに霧散した。
「お嬢ちゃん、欲しいならあげるよ」
「だったらウチのも貰ってくれ」
「ずるいぞ!ウチの商品もタダで」
ノアが歩く度に周囲の店舗から声が掛かる。その殆どが食い物ばかりで、ノアは目を光らせヨダレを垂らし、その全てを受け取っていた。この辺一帯の店を制覇しそうな勢いだ。
そんな時だ。背後から確かな殺気を感じ取った。ステータスの感覚数値が高いと、こういうのには敏感になる。
「マレ、悪いんだけどノアと一緒に待っててくれないかな?」
「え、どうされたんですか?」
「ちょっと野暮用ができて、すぐ戻るから」
「あ、ちょっとユウさん――!」
そう言って俺はマレとノアを置き去りに、少し離れた路地裏まで移動した。
太陽の光が届かない、赤レンガの建物に挟まれた路地裏。さっきの人混みが信じられないくらい、人っ子一人いない。
背後から足音と共に気配が近づいてくる。
「で、なんか用だったのか?」
振り返るとそこには、鎧を着た大柄の男が立っていた。
またか、と思う。
「てめぇ、生きてやがったのか……」
そう言ったのはオルドラゴだった。背後からの殺気は彼のものだったようだ。
鋭い目付きがこちらを睨み、ふてぶてしい顔は赤く、アルコールの匂いがぷんぷんする。酒に酔っているらしい。
「悪かったな生きてて。それより殺気剥き出しでこっち睨みつけんのやめてくんね?気持ち悪いし落ち着かないから」
「ふざけんなっ!てめえのせいでマレちゃんがどれだけ……」
毎度の如くオルドラゴに胸ぐらを掴まれた。何故こうも毎度突っかかってくるのか。
「おい、離せって」
「るせえ!!お前さえ……お前さえいなけりゃ……」
ダメだこりゃ。
酔っているためか目が完全に正気じゃない。確実に俺をどうにかするつもりのようだ。
これで何度目だろう。何だか面倒になってきて、思考が投げやりになってくる。
せっかく恩を売るために迷宮で助けてやったのに、何の意味もないじゃないか。幸い誰も見ていないし、いっそ殺してしまおうか。
俺は胸ぐらを掴んでいるオルドラゴの手首を取り、背負い投げた。
二メートルの巨体がいとも容易く宙を舞い、鈍い音を立てて背中から地面に打ち付けられる。
「ガハッ」
オルドラゴは突然の痛みと驚きに顔を顰めつつ、何とか立ち上がろうとしていた。
そんなオルドラゴの胸元を容赦なく踏みつけ、捻るようにグリグリと地面に押し付ける。
「ぐあ」
「大口叩いといてこんなもんかよAランク冒険者さん。俺が気に入らないんだろ?殴ってみろよほら」
徐々に力を入れていくと胸元の鎧が凹んでゆき、オルドラゴは更に苦しみに悶えた。肺が圧迫されて呼吸が出来ないみたいだ。
オルドラゴは俺の足を掴み必死に抵抗するがまるでビクともしない。
その姿を見下ろしながら、俺は高揚感を感じていた。世の中から弱いものいじめが無くならない理由が分かった気がする。気に入らないやつをいたぶるのは実に気分がいい。安全圏から他人を攻撃している奴らはは、きっとこういう気分なんだろう。
しかしモタモタしていられない。人が来たら面倒だし、早く殺してしまおう。
ボックスリングから漆黒の剣、魔剣グリムキャベルを取り出し、その切先をオルドラゴの首元に向けた。
「悪いが喧嘩を売ってきたお前の責任だ。ここで死――」
背後に人の気配。
俺は直様オルドラゴから足を離し、ボックスリングに魔剣を収納する。
「おい、何やってんだお前!」
聞き覚えのある声だ。
振り返るとそこには金髪のエルフ、カインが立っていた。
「あ、あんた……!?生きてたのか!?」
カインは俺の顔を見るなり、随分驚いた様子を見せた。どうやら死んだと思われていたらしい。
しかしまずいところを見られた。何とか誤魔化さなければ。
「あ……うん。実はあの時、何とか生き延びることが出来たんだ。凄く必死だったんだけどね」
咄嗟に作り笑いで返した。
「そ、そうか……そいつは良かった。しかし何でオルドラゴと」
「実は……急に襲われたんだ。マレと買い物に来てたんだけど、彼酔っ払ってるみたいで」
「はあ……そういうことか。すまない、また迷惑かけちまったな」
よし、上手く誤魔化せた。
笑みがこぼれそうになるが、何とか抑える。
「ほら立てよ、帰るぞ酔っ払い」
「うぐ……」
カインはオルドラゴに肩を貸し歩き出す。しかしオルドラゴは酔いとダメージでフラフラだ。
するとカインが思い出したように立ち止まり振り返る。
「そうだ、あん時は助けてくれてありがとな。馬車の時はえらく機嫌が悪かったから、あんたのこと誤解してたぜ」
そう言えば馬車で初めて会った時、俺はカイン達の誘いを断ったのだった。こんなことならもっとやんわり断って置くべきだった。
「実は以前にもオルドラゴに嫌がらせを受けてて……ちょっとムキになってたんだ。あの時は悪かったよ」
「そうか、どうりでウチのパーティーに入りたがらなかったわけだ。悪いな、今度酒でも奢るぜ」
「期待して待ってるよ」
そう言うと、カインはオルドラゴを引き摺りながら路地を出て、人混みの中へと消えていった。そんな彼らの背中を見つめながら、俺は呟くのだった。
「バーカ」
マレ達の元へ戻ると、一目で分かるくらいの人集りが出来ていた。
まずいっ、と思ってすぐに駆け寄り、2人を取り囲む人混みをかき分ける。
「ユウさん!」
マレが俺の顔を見るなり、ほっとした顔で声を上げた。
「男連れかよ……」
「何だよあの男……」
俺が二人の前に現れると、周囲を取り囲んでいた男達が不満そうな顔で睨んできた。負けじと睨み返すと、視線を逸らして去っていった。
「も〜どこ行ってたんですか!知らない人達に声掛けられて凄く怖かったんですから!」
「ユウ、遅い」
「ご、ごめんごめん。知り合いがいて」
まさかちょっと俺が傍を離れるだけで人集りが出来るとは思わなかった。良く考えたらここは日本じゃないのだし、女の子を残して行くのはひょっとするとまずかったかも知れない。
マレは怒って頬を膨らませ、ノアは食い物で頬を膨らませている。
「本当にごめんって。今後は気をつけるよ。それより、欲しいものは見つかった?」
「ああ……それが、まだちょっと」
マレはばつが悪そうに視線を逸らした。まだ決めていないみたいだ。出来るのならさっさとして欲しい。
「別にある程度なら高くてもいいんだよ? 一つと言わず複数選んでもいいし」
自分から誘っておいてなんだが、正直早く解放されたい。彼女へのお礼が済んだらとっとと帰って休みたかった。休まなくても平気と言えど、ここ数日は一睡もしていない。
「いえ、一つだけだから特別感があるんですよ!それにモノの価値は値段だけではないんです!」
マレは意外に頑固だから、多分何を言っても無駄な気がする。
「なら早くその特別なものを探そうか」
「そうですね!」
俺たちは再び人混みの中を歩き出した。
彼女達のお守りはもうしばらく続きそうだ。
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