第20話 ミノタウロス
ミノタウロス――ギリシャ神話に登場する頭が牛で体が人間の怪物だが、この世界にも存在するらしい。王城の図書館の書物にそれを見つけた時は驚いた記憶があるが、それが本当にこの惨劇を引き起こしたと言うのだろうか。
「おい、他に冒険者達はいないのか?」
「ほ、他の奴らなんて知らねぇよ……!俺の仲間はみんな殺られちまったんだ!な、なぁあんた助けてくれよ……俺一人じゃここから最上階まで行くなんて無理だ!頼むよ!」
嫌だ。
まだなんの成果も得られていないのに、ここで引き返すなんて冗談じゃない。
「悪いが俺は先へ進む。上に行きたければ勝手にそうしてくれ」
「む、無茶だ!この死体の山が見えないのか!?死にに行くようなもんだ!」
喚く男を無視して、俺は死体の山を漁る。
「な、なにを……」
「あった」
死体の中から血塗れのボックスリングを見つけ出した。
指輪に魔力を込める。
中に何が入っているのかが分からないので、一旦中身を全部出してみるしかない。
中に入っていた物がどっしゃりと地面に出現した。
その中から遺跡内をマッピングした地図を見つけ出した。しかしマッピングは途中から途切れている。他の人間の持ち物も漁ってみたが同様だった。きっと俺と同じように様々なトラップによって下の層に落下したのだろう。最上階からまともにここまでの道のりを記録できた者はいなさそうだ。
更に残念なことに、宝を所持している人間もまた居なかった。リングを付けていた者は三人居たが、手に入ったのは彼らが所持していた硬貨だけ。金貨21枚、銀貨17枚、銅貨43枚、赤貨32枚、総額23,162メリルだ。ここまで来て手に入れたのがこんな端金では納得いかない。
「はずれか……なぁあんた、ここまでの道のりを記録しているマップとかもってるか?」
「マ、マップだ?そんなもん知らねぇよ! 全部仲間に任せてたんだからよ!」
「そうか」
こいつは用済みだな。
俺は男に背を向け、地面を埋め尽くす死体の上を歩き始めた。なるべく踏まないように努力したつもりだが、ばらけた死体の一部くらいは踏んでしまう。踏み付けると嫌な音と一緒に赤黒い血が飛び出し、ぐにゅぐにゅとした感触が足裏に伝わってきて最高に気持ちが悪い。
「ま、待ってくれ!お、俺もついて行くよ!」
男は慌てて駆け寄ってくる。一人で取り残されるより、俺と共に行動することを選んだようだ。
しかし俺はそんな男に振り向きざま「ついてくるな」とそう言った。
「ど、どうして……」
逆にどうしてこの男は俺が無償で助けてくれると思い込んでいるのだろう。
他人と行動するなんていつ裏切られるか分かったものじゃない。そもそもこの状況で一人だけ生き残っているのも変だ。こいつが殺したのか、もしくは仲間を囮にでもして生き残った可能性が高い。そんな奴と一緒に行動なんてできるわけが無い。
「メリットがないからだ。だから俺はお前と一緒に行動する気はないさようなら」
「ま、まて、せめてカイン達のところまで連れてってくれ!頼む!」
「カイン……?」
どこかで聞いた名だと思ったが、確かここへ来る時に乗った馬車にそんな奴がいた。Aランク冒険者だとか言ってたあの金髪エルフ。
「あいつらはこの先にいるのか?」
「あ、ああ多分。あいつらは他の迷宮も攻略したことがある有名なAランクパーティーだ。もっと先に進んでいるに違いねぇ」
なるほど。あいつらと合流出来れば連れて帰ってくれるかも、と期待しているわけらしい。
「分かった。情報提供ありがう」
「あ、あぁ!それくらい」
「それじゃ」
「なっ、ま待ってくれ!」
再び歩き始めた俺の後ろを、男は懐いた野良猫みたいに追いかけてくる。
「お前……しつこい奴だな」
「お願いだ!ここで一人になったら確実に死んじまう!」
「はぁ……。ならステータスを見せろ、そしたら考えてやる」
ステータス情報を無闇に他人に開示することは危険である。ベルザムからは嫌という程教わったこの世界の常識と言うやつだ。見せれば自分のレベルやステータス数値、どんなスキルを持っているかまで知られる為、様々なトラブルに巻き込まれる原因になる。弱点を突かれて攻撃されたり、はたまた特殊なスキルを持つ為に捉えられて奴隷の様に働かされるなんてこともあると聞く。
だがこの世界で俺の強さがどのくらいの位置にあるのかを知る必要があるし、良い機会だと思う。人のステータスなんて早々見れるものじゃないし、ここで見せてもらえれば今後の参考になるかもしれない。
「ス、ステータスを……?」
「嫌ならいいんだぞ?」
「わ、分かった!見せる!」
――――――――――――――――――――
【オーダン・ヒンベルト】Lv.26
性別:男
種族:人間族
体力:390/390
魔力:168/228
筋力:320
防御:289
敏捷:289
感覚:236
〈AS〉
・属性魔法(熱・土)
・身体強化
・属性強化
〈PS〉
――
〈称号〉
――
――――――――――――――――――――
「…………」
言葉も出ない。
これが本当なら俺は怪物かなにかだ。いや、このステータスが本物と決まったわけじゃない。もしかしたらステータス内容を任意で変更できるスキルがあるかもしれないし、こいつが極端な雑魚という可能性もある。
「一つ聞きたい、カイン達はお前の何倍くらい強い?」
「カイン達?そんなのわかんねぇよ。だがAランクだし、少なくとも数倍は強いんじゃないか?噂だとレベル60以上だって聞くし」
このステータスの数倍なら俺より弱い可能性が高い。本当ならいい情報を得られた。
「よし分かった。お前、俺の前を歩け」
「つ、連れてってくれるのか!?」
「ああ、だから早く進んでくれ」
俺が言うとオーダンと言う男は俺の前を歩き出した。その背中を見つめながら、俺は少し離れた位置を歩く。
こいつがステータスを偽っている可能性がある以上後ろを歩かせるのはまずい。そう思って前を歩かせたが、ビクビク怯えながら慎重に進む姿を見ていると本当に雑魚に見えてくる。
仮にあのステータスが本当なら、こいつが怯えている敵も大したことないのでは。いや、その考えはなんの根拠にもなっていない。もしかしたらミノタウロスとやらが異常なほど強い可能性だってある。やはり慎重に進むべきだ。
「な、なぁ……こ、これ」
男が突然立ち止まり指をさす。
近づいて見てみると、そこにはまたしても人間の死体があった。数は二人、男と女だ。一人は体が折れ曲がり、もう一人は腹や手足の肉を食い破られた跡がある。
「魔物ってのは人間を食うのか?」
「あ、当たり前だろ。あいつらは動くものなら何でも捕食する」
だがさっきの死体達は食われてなかった。
「食うために殺すこともあれば、遊びの感覚で殺すこともあるのか……」
「そんなことよりあんた、このまま――」
沈黙。と言うより、驚愕で声も出ないという表現の方が正しいだろうか。オーダンは突然話すのをやめ、俺を見つめて何も言わなくなった。だがその表情は口よりもよく物を語っていた。
見ているのは俺なんかじゃなくその背後、
飛び込んできた叫び声に固まった。背筋が凍るような、明確な敵意のこもった不快な鳴き声が背中を圧迫する。
振り返ればそこにいた巨体に目を見開いた。
ただの巨体じゃない。牛の頭部を持つ巨人だ。馬鹿みたいな大きさだが仮にも人間の手足を持っているくせに、奴は突然四つん這いになり頭から生える捻れた角をこちらに向けて唸り声を上げる。ちっぽけな人間を轢き殺すために、目一杯の力を込めているのが分かる。そのポーズだけで突進が来ると瞬時に理解出来た。
案の定次の瞬間にはミノタウロスが驚愕の初速で突進を始めていた。
速い。距離が近い。避けられない。
一瞬そう思ってしまった。
しかし重たい音を響かせながら、ミノタウロスは勢い良く顔から地面へとすっ転がった。
うつ伏せに倒れ込むミノタウロスの背後で、俺は剣に付着している血を振り払う。
すれ違いざまに丸太のような片足を俺の剣が切り落としたのだ。片足を失ったミノタウロスは自身のスピードと体重で勝手に大地に飛び込んでいったわけだ。
一瞬冷や汗をかいたが、奴の動きを目で確認した後でも十分に反応出来た。ステータスが高いと相手との動きにここまで差が出るらしい。
俺はそのままうつ伏せで倒れるミノタウロスの背中を踏み付け、手に持つ剣でその首を刈り取った。
「な、なんだやっぱり弱いじゃん……」
毎度のことだがどの魔物も肩透かしで逆に驚く。
「あれ?あいつどこ行った?」
不意にオーダンの存在を思い出した。しかしついさっきまで後ろに居た筈の彼の姿はどこにも無い。
この状況だけですぐに理解出来た。
「ほら……やっぱり裏切るだろう?」
はなから信用なんてこれっぽっちもして無かったが、やはりと言うべきか。予想通りが過ぎて、最早あの男に怒りも憎しみも感じやしない。寧ろ足でまといの邪魔者が消えて清々しているまである。
俺は逃げ出した男を無視して、一人遺跡内を進んだ。
*
バタバタと乱暴に地面を蹴りつける音がひたすら反響し続けている。
「はぁ……はぁ……はぁっ…………」
薄暗いこの環境と息苦しさが酷く煩わしい。それでも構わずオーダン・ヒンベルトは遺跡内を一心不乱に駆け続ける。
彼が逃げ続ける理由は、ただ只管に生きたいという実に本能に忠実なものだった。生きてこの迷宮から抜け出したい。そうしなければならない理由が彼にはあった。
「はぁっ……しょうが、無かったんだ。ははっ、しょうがねぇだろう……死にたく、なかったんだから……」
灯りもない道を、冒険者としての嗅覚だけを頼りにただ走る。
「ゆ、許してくれっ……仲間を見捨てたのも、さっきの小僧を囮にしたのも、全部仕方なかったんだ……!」
息を切らしながら、誰に届くはずもない弁解を無意味に叫びながら走る。
涙を流しながら、彼は走る。
「悪かったよ……ヘクター、マックス、ジュニアン……はぁっ………娘が……待ってるんだ。家で、嫁が……はぁ」
死ぬ訳にはいかなかった。
あの怪物と目が合った瞬間脳裏に過ぎった愛する妻と娘の姿が、震える両脚を突き動かした。止まらなかった。
彼は十年共に過ごしてきた仲間と自身の一番の宝物を天秤にかけ、あっさりとその決断を下した。迷いなど一切なく、十年という時間で作られた絆をひきちぎって投げ捨てた。
「ゆ、許してくれ……許してくれぇ……」
黒髪の少年。どこの誰だか知りもしない。だが妻と娘に会うために利用し裏切った自分をどうか許して欲しいとそう願う。
「はぁ……メルシィ……」
最愛の娘の名を呼んだ。
次の瞬間、彼は暗闇の中で何かに足を取られ、盛大に転んだ。
「っ……はぁ……何なんだ……?!」
見れば足に何か巻きついている。黒い糸のようなもの。
「くそっ、何なんだこれはっ!?」
絡みつく糸を引き剥がそうと抵抗するが、
「ぐっあああああ!!」
糸は彼の足を強烈に締め上げる。
プチブチと聞いたことも無いような音がして、しかしついに糸は彼の足を切断した。
猛烈な激痛と溢れ出す血に訳も分からず痛烈に叫んだ。
「あ゙ぁぁぁぁ…………」
歯を食いしばって声を抑える。がしかし、糸が彼の手足や首に巻き付き、彼を締め上げた。
「ぐっぉ……」
声にならない声を上げ、必死に足掻く。
そしてオーダンは奴と目が合った。
自分を締め上げる正体、黒く長い髪を手足のように操る人間の頭部、のような魔物。そいつが笑いながら自分を絞め殺そうとしている。笑顔で自分が死ぬのをじっくりと見つめている。
「あ゙ぁっ……」
思った。
これは罰なのだと。
仲間を見捨て、見ず知らぬの少年を囮にして生き延びようとした、自分への罰なのだ。
ぼんやり薄れ行く意識の中、頬を涙が伝った感覚だけがあった。
『あらあなた、おかえりなさい』
『お父さん!今日も冒険のお話聞かせて!』
妻と娘が笑顔で自分を迎えてくれる。
そんな夢を彼は見ている。
「――――」
彼は最後まで、愛する者のそばにいた。
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